【来年で10年】学生が「震災の記憶を“記録”に」 熊本地震で3人亡くなった東海大学阿蘇キャンパス

この記事をシェア

  • LINE
熊本 2025.11.12 20:04

2度の震度7に見舞われた「熊本地震」から、来年で10年です。南阿蘇村では、東海大学阿蘇キャンパスに通う学生3人の命が失われました。
その東海大学でいま、学生たちがある活動を行っています。「震災の記憶を、記録に残す」思いを取材しました。

■泉媛香さん
「災害対応の際に最も混乱していたことだったり、 すごく困難だったなと思ったことはなんですか?」

泉媛香さん、4年生。熊本地震の発生当時、大学でどのような対応をしたのか当時の教職員に聞き取る活動を行っています。泉さんは、地震当時、中学生。熊本市内で被災しましたが、当時の記憶はもう鮮明ではないと言います。

■泉媛香さん
「大学に入るまでこんなに被害が大きいとは知らなかった」


2016年4月、約1000人の学生が通っていた南阿蘇村にある東海大学 阿蘇キャンパスは甚大な被害を受けました。そして大学近くの学生アパートが倒壊し、学生3人が犠牲となりました。

当時の校舎は、震災遺構として整備・保存される一方、地震当時の状況や支援活動などをまとめた「記録」が、東海大学にはありません。

災害からの復興政策を研究する安部美和准教授は、震災当時の記憶が失われかねない状況に危機感を抱いていました。


■安部美和准教授
「熊本地震の時の話をすると、学生達が自分の大学が被災したのを知らないっていうのが、授業をしていて結構びっくりしたことです。何も記録が残っていないというのは、やはり当時を振り返ろうとしても、振り返れないだろうと思って、じゃあ、一旦10年の区切りがもうすぐなので、一度学内に散らばっている記憶、それぞれの記憶や記録を集めたい。」

聞き取りをするのは、安部准教授のゼミに所属する学生たち。4年生の細野智志さんは、兵庫県出身です。

■兵庫県出身・細野智志さん
「熊本に来るまでは、熊本地震のこととか/あんまり知らなかった。地震から10年で、そういう大学の記録がないからまとめるっていう活動に参加できるなら自分も携わりたいなって」

この日、細野さんは木之内均副学長を訪ねました。木之内副学長は当時、倒壊したアパートに取り残された学生の救出や避難所運営に奔走しました。


■木之内副学長
「無線機を持って、学生がどのくらいの人間が挟まっているみたいだと、そこにいる学生に聞くとある程度分かるから、そういう情報を一つひとつ拾ってセンターに集めた」
Q.(細野さん)「安否確認はどうされていたんですか?」
「挟まっているところで声が返ってくるのは生きてるってわかるけど、『おーい』と声をかけて返事も何も返してこない部屋は死んでるのか、留守にしていたのかがわからない。全部の安否確認が終わったのが 夕方遅くくらいだった。15~16時間経ってからだった」

当時の記録がないのは、仲間を失うという悲しい記憶がよみがえり、つらさを訴える人が多かったというのも一つの要因でした。

■木之内副学長
「現実に挟まれていた子は泣きだしちゃうし画像とか見れば、不安になってみたりとか見てたからね。極力触らないというのが強かったですよね」

10月、熊本キャンパスで防災イベントが行われました。学生たちは、関係者から聞き取った内容を手作りのパネルや写真にまとめました。

■イベントの参加者
「自分が体験していなくても、先輩にそういう(亡くなった) 人がいるというのを身近に感じてもらいながら、自分のこととして取り組んでもらえたら私もありがたいなと思います」

地震を経験していない学生たちによる「記憶を、記録に残す」取組みはまだ、始まったばかりです。


■細野智志さん
「こういう活動をやらないよりは絶対やった方が いいと思うので…」
■泉媛香さん
「いろんな人が地震への備えを考えるきっかけになれば」

【スタジオ】
今回活動していた学生はこの春卒業となりますが、今後は3年生に引き継いで調査を続けていきます。
地震を経験した卒業生や地域の人たちなど聞き取りの範囲を広げて、次に災害が起きた時どのように行動したらよいか、その指針をつくりたいということです。