熊本豪雨から5年 犠牲者ゼロの集落の現在地
熊本豪雨が起きた後、新たな災害から命を守るために集落を離れる決断をした人もいます。思いの現在地を取材しました。
人吉市大柿地区の住宅にかかる、泥に浸かった時計…。
■大柿 長幸さん
「8時12分にここまで来ました。濁り水がここまで溜まった」2020年7月4日に発生した、熊本豪雨。
■ヘリ搭乗のカメラマン「どこが道路でどこが川なのか分からない…」
当時、人吉市大柿地区では町内会長が避難を呼びかけ、58世帯が全壊したものの犠牲者は一人も出ませんでした。
あれから5年…
■大柿 長幸さん
「竹細工の新しいコラボということで。下が陶器なんですよ」
人吉市大柿地区で暮らす、大柿長幸さん(73)です。全域が水没したこの土地で、先代から引き継いだ竹細工とコメ作りを続けています。
記者:5年という月日は今どのように感じられていますか?
■大柿 長幸さん
「あっという間ですね。この緑を見たりボランティアの方との交流を通してですね、どんどん元気をもらっているのを感じます」
6月、大柿さんの元を訪れたのは三重県出身の山田由依さんです。5年前、大柿地区でボランティア活動に参加しました。
■山田由依さん
「コロナだったから。休業とかで休みが多かったっていうのもあって。その期間だけ来て、家帰って仕事して、また数日間来てみたいな」
■大柿 長幸さん
「もうえらい頑張ってくれて。バーッて片付いていくんですよ。すごい力強い存在でした」
被災した苦しみから立ち上がる気持ちを、ボランティアとの縁が支えてきたといいます。
それでも、5年という歳月は風景を一変させました。
国が、川の氾濫を抑えるために増水した水を大柿地区にためる「遊水地」の整備を打ち出したのです。
地区の半分以上が対象となり、6割あまりの世帯が移転を余儀なくされました。
■大柿 長幸さん
「まあとにかく寂しいですよね。何にもないですから。あそこの家もなくなりますから、全部」
まだ生活再建の場所を見つけられない大柿さんは、コメ作りも竹細工もできる土地を探しています。
■大柿 長幸さん
「(自分が17代目で)約380年ぐらい歴史があったんですけど、それがもう…先祖ももうしょうがないなって。言ってると思うんですけどね。歴史がなくなるっていう感じですね」
5年前に町内会長だった一橋國廣さん(81)です。悩んだ末に、別の場所に家を建てることを決めました。
熊本豪雨の直後、大柿地区では一橋さんが避難を呼びかけて回り、犠牲者を1人も出しませんでした。
背景には、日頃からの住民同士の信頼関係がありました。
■一橋國廣さん
「これで終わりですよ、最後にいい稲を作ろうかなと思って。来年3月までに全部家も解体してしまうんですよ…ここでもう死にたいと。(地区内で)いろいろ話をしたんですけどね」
葛藤を抱えながら、新たな一歩を踏み出します。