「母のようだった」熊本豪雨5年 行方不明のおばが生きた証を…夫婦の思い

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熊本 2025.07.04 20:32

2020年の熊本豪雨から5年。いまだに2人の行方がわかっていません。「生きた証」を望む夫婦の思いを取材しました。

■ 城文博さん
「おばさんの御霊がどこにおらすかわからんけん。穏やかで安らかでありますように。それは毎日。とても見つかるとは思いませんけど」


芦北町に暮らす城文博さん(78)。5年前のあの日、芦北町でひとりで暮らすおばの幸恵さん(当時89)が行方不明となりました。

■城文博さん
「こういうの(写真)は全くない。流れてしまって。残っているのは、人からもらったやつだけですね」

■妻の裕子さん(76)
「お母さんみたいな感じですね。何でも相談できる」

文博さん裕子さんの子どもや孫をかわいがっていたという幸恵さん。

■城文博さん
「7月…4日は特別な日ですもんな…」

5年前の7月4日、文博さんと裕子さん夫婦の自宅も豪雨による球磨川の氾濫で被災しました。12キロほど離れた天月地区に住む幸恵さんの元へ歩いて向かった文博さん。


3時間ほどかけてたどり着いた幸恵さんの家は、窓に家具が詰まり、屋根まで浸水した跡がありました。幸恵さんが避難してはいないかと裏山に向かって名前を呼び続けましたが、反応はなかったといいます。


■城文博さん
「ここに土砂がたくさん溜まっていましたもんね。それを自衛隊の重機で掘ってもらいました。おばさんが埋まっていないかということで」

球磨川が好きで、自宅を建てる際、川を眺められる場所を自分の部屋にしたという幸恵さん。豪雨から1か月ほどたった頃、裕子さんは幸恵さんの家の近くであるものを見つけました。

■城裕子さん
「付近の木にぶら下がってたから。泥だらけで」

目線よりもはるか高い位置に見つけたのは、見覚えのあるスカーフです。


■城裕子さん
「もう、おばさん、おばさんだ!と思ってですね。その辺にいるんじゃないかと思った、おばさんがその付近にね。何にもない。何一つないからですね。おばさんの品物が」

豪雨から約1年後、文博さん夫婦は法的に死亡したとみなされる幸恵さんの失踪宣告を申請し、その後、確定。幸恵さんの自宅で、葬儀を行いました。先祖が眠る納骨堂に幸恵さんのお骨はありません。代わりに納骨堂に納められているのは、幸恵さんのことが書かれた新聞記事です。


■城文博さん
「何もないもんだから。これしかないと思って。これば残せば、後世の人もわかるだろうと思うんです」

幸恵さんという存在を何かの形で残したい。

■城文博さん
「この前、新聞に出とんなはったですな。幸恵さんもよか人やったもんなって、声をかけてもらいますもんね。おばが一番嫌がったのは〝人から忘れられる″ということだったから」

幸恵さんの命日は7月4日。月命日が近づくと、夫婦は欠かさず幸恵さんの自宅へお花を供えに行きます。


■城文博さん
「遺骨がないていうことだけです。どこで眠っとらすとかなと思うだけです」

■妻の裕子さん
「どこいるのって言って叫んで。早く出てきてよーって。見せてよ顔をって。忘れる日が1日もないですよね。やっぱりね」

今もどこかで眠る幸恵さん。思い続けた、2人の5年です。