「帰りたい…」堤防に化した集落 住民だった女性の無念 #熊本豪雨5年

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熊本 2025.07.02 20:44

7月4日で67人の命が奪われた熊本豪雨から5年です。シリーズ・復興の現在地は、「7月4日さえ来なければ」と話す女性の切ない思いです。


熊本県南部の球磨川は、エメラルドグリーンに染まる穏やかな清流です。その川を見つめていたのは、球磨村で生まれ育った中神ゆみ子さん(75)。

■中神ゆみ子さん
「あの水害以来、球磨川の河川敷に降りていけないんです。5年もたつのに。いろんなことを思い出しそうで。7月4日が近づくにつれてなんか内心穏やかじゃないなって。とても締め付けられますね。何年経っても」


中神さんが生まれ育ったのは、球磨川のそばにある茶屋集落。離れて暮らす子どもや孫の成長を見守る大切なふるさとでした。しかし2020年7月4日。約30軒のほとんどが氾濫した球磨川に飲まれました。中神さんは3日の深夜に高台に避難し、翌日の朝、眼前に広がったのは変わり果てた集落でした。


■中神ゆみ子さん
「目の前で家が流れたときに携帯電話を持っていて『信教(息子)、家が…』ってしか言えませんでした。自分たちの目の前で家が流されて、茶屋が流れていったっていうのが、本当にたまらなかったですね」

約2年後、住まいの再建のために集落を離れた茶屋の人たちが久しぶりに集まりました。

■住民同士の会話
「よかと、そがん急いで行かんでも!」
「久しぶり!「茶屋の人間は忘れはせん」
「忘れん、忘れん!忘れることはない」

■中神ゆみ子さん
「早かねえ、もう中学3年生ね」

まるで時計の針が豪雨前に戻ったようです。しかし…茶屋集落は新たな水害に備えるため堤防が建設され、思い出は消え去っていきました。中神さんは、豪雨の後も毎日日記を綴っています。


(2025年6月26日の日記)
「7月4日、何もなかったようなあの日がまた来る。5年経って今どういう気持ちですか?ってどういう気持ちもない。今でもあの茶屋へ帰りたい気持ちは変わらない。もう5年、まだ5年、最後に叶えたいこと、もちろん茶屋に帰る」

村内の別の地区に居を構えた中神さん。今の楽しみは、仲間と集まってのグラウンドゴルフです。ふるさとへの切ない思いと、友人たちと笑い合える日々への感謝。複雑な思いを抱えながら、7月4日がやってきます。


中神さんが今を生きる人へ届けたい「私のメッセージ」は。

■中神ゆみ子さん
「もちろん周りの人の声掛けも大事だけど、最後には自分ですよね。目で見て行動すること。命があったら、また楽しいこともつらいことも乗り越えられるかなって思いましたけどね。自分の命を自分で守るというのが一番じゃないですかね」