歩兵第十三聯隊の正門 歩兵第十三聯隊の正門

ヒストリー わたしたちの街
KKT くまもと県民テレビ

気にしたことはなかったけれど
あなたの街にも、
きっとある大切な歴史。

熊本県民テレビがある大江地区には
今も戦争遺跡が残されています。

日本で唯一の“県民テレビ”として
この街が経験した歴史を記録し
未来へ伝えていきます。

街の中に残された軍都熊本の痕跡街の中に残された軍都熊本の痕跡

1945 街の中に残された
軍都熊本の痕跡

KKTがある場所には
かつて陸軍があった

街の中に残された軍都熊本の痕跡

写真提供:歴史文化デザイン研究所

高谷和生氏
くまもと戦争遺跡・
文化遺産ネットワーク代表


高谷和生 氏

熊本県民テレビに残されているのは陸軍歩兵第13連隊の正門です。よく見ると門扉の金具も残されています。当時の本部につながる道路は現在車道としてそのまま利用されています、軍都・熊本を象徴する貴重な戦争遺跡です。


写真提供:歴史文化デザイン研究所

熊本学園大学に残る戦争遺産熊本学園大学に残る戦争遺産

1945 熊本学園大学に残る戦争遺産

軍施設から学びの場へ
修復繰り返し大切に利用

熊本学園大学に残る戦争遺産

写真提供:熊本学園大学

高谷和生氏
くまもと戦争遺跡・
文化遺産ネットワーク代表


高谷和生 氏

熊本学園大学の第2体育館は歩兵第13連隊の食堂と売店でした。関東大震災以降に軍施設が強固に造られたため、建物は大きな柱やコンクリートの梁で頑丈に造られています。軍都・熊本を象徴する唯一の残された建築物で、約90年間利用の変遷を見ることができます。

写真提供:歴史文化デザイン研究所

子どもたちが通う正門も戦争遺跡子どもたちが通う正門も戦争遺跡

1945 子どもたちが通う正門も
戦争遺跡

学校に移設された門
熊本地震で修復

大見出し1945_03
高谷和生氏
くまもと戦争遺跡・
文化遺産ネットワーク代表


高谷和生 氏

九学通りに面していた野砲兵第6連隊の正門は、戦後に白川中学校の正門として移設されています。この一帯は野砲兵第6連隊補充隊の跡地だったものの部隊名を秘匿するために西部第21部隊と呼んでいました。正門は熊本地震で柱がずれたため修復作業が行なわれています。


白川中/大橋校長
熊本市立白川中学校

大橋英材 校長

1947年、現在の場所に白川中学校が建てられたのは、初代校長の岩代吉親が戦後に残った広い土地を子どもたちの教育のために使いたいと尽力したからでした。門に触れると当時を生きていた人たちの願いや夢について思いをはせます。毎日通っている学校の門が戦争遺跡であるからこそ、子どもたちに平和について伝えていきたいと思っています。

写真提供:白川中学校

大江地区も被害 熊本大空襲の記憶大江地区も被害 熊本大空襲の記憶

1945 大江地区も被害
熊本大空襲の記憶

同級生が焼死
自宅は全焼した

大江地区も被害 熊本大空襲の記憶

大江地区で家族と暮らしていた上村文男さん。1945年7月、熊本大空襲で自宅は全焼しました。焼夷弾で熊本の夜空が赤く染まった日。仲の良かった同級生を失いました。いくつ年を重ねても忘れることが出来ない戦争の記憶がこの町にはあります。

提供:米国立公文書館

KKTに残された門 歩兵第13連隊の足跡KKTに残された門 歩兵第13連隊の足跡

1945 KKTに残された門
歩兵第13連隊の足跡

『死んだら作品の焼却を』
戦争が殺したひとりの画家

KKTに残された門 歩兵第13連隊の足跡

太平洋戦争の激戦地・ブーゲンビル島で亡くなったひとりの画家。芸術家を殺した戦争とは何だったのでしょうか。残された絵画や手紙からひとりの兵士の生き様をたどります。

白川中に残された門 秘匿された部隊白川中に残された門 秘匿された部隊

1945 白川中に残された門
秘匿された部隊

母思いながら…
兄は“墓島”で亡くなった

白川中に残された門から出兵

この白川中の門から出兵したひとりの兵士は太平洋戦争の激戦地・ブーゲンビル島で亡くなりました。戦後78年経った今も忘れられない兄の面影。男性は戦争の記憶を語り継いでいます。

提供:米国立公文書館

6・26白川大水害6・26白川大水害

1953 6・26白川大水害

戦後最悪の犠牲者
水害で九死に一生

6・26白川大水害

1953年6月26日、記録的豪雨が熊本地方を襲い、熊本市を流れる白川が氾濫。死者・行方不明者は563人、流された家屋は2585棟という甚大な被害をもたらしました。特に大きな被害を受けたのが大江地区です。2023年で70年を迎え、思い出したくもなかった大水害の記憶を語り継ごうと心に決めた人たちがいます。

震度7の揺れが2度襲った熊本地震震度7の揺れが2度襲った熊本地震

2016 震度7の揺れが2度襲った
熊本地震

障害者の避難所として受け入れ
大学が地域の受け皿に

震度7の揺れが2度襲った熊本地震

観測史上初めて「震度7」に2度襲われた熊本地震。県内では、関連死も含めて273人の方が亡くなりました。20万棟近い住宅が被害を受け、18万人以上が避難しました。大江地区にある熊本学園大学では、地震直後から障害者や介助が必要な避難者を受け入れ、ボランティアで運営を続けました。地域にいるすべての人たちをどう支えていくのか。まちの底力は災害で問われるはずです。

新型コロナウイルス感染拡大新型コロナウイルス感染拡大

2020 新型コロナウイルス感染拡大

街も学びも思い出も…
未知のウイルスで
すべてが閉ざされた

新型コロナウイルス感染拡大

2020年2月、熊本県内で新型コロナウイルスの感染が確認されました。未知のウイルスとの戦いは街を変え、わたしたちの生活を変えました。顔が見えないマスク越しの生活は3年に及ぶことをこの時はまだ知りません。勉学に励み友人と思い出を作るはずの学校は授業の中断や卒業式が出来ない状況に追い込まれ、留学の道も閉ざされました。

KKTくまもと県民テレビ

熊本のテレビ局として…
戦後80年に向けて語り継ぐ

戦争を経験した人も高齢化し、語り部も少しずついなくなる中、熊本に根ざした地元のテレビ局として声を集め、語り継いでいきたい。いつもは気にしない街のヒストリーをみつめることで、熊本に住む人たちがもっと地元を好きになるきっかけにしたいと取り組みました。日本で唯一の“県民テレビ”として、熊本のみなさんと共にあり続けます。

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