選挙2016

過去の知事選はどうだった?

15.jpg4選された知事はゼロ 

過去の県知事選では、何度も「多選」が焦点となりました。1959年(昭和34年)の知事選は、新人の寺本広作さんが4選を目指した桜井三郎さんを「清正公(せいしょこ)さんも12年」と批判し、下馬評を覆して当選しました。加藤清正が肥後国内で治政をつかさどったのは13年程度とされ、知事の4期16年は長すぎるというわけです。

その寺本さんも4選出馬を目指しましたが、自民党の公認を得られず断念しました。代わって知事になった沢田一精さんも細川護煕さんとの自民党公認争いに敗れ、4選出馬できませんでした。1983年(昭和58年)に知事になった細川さんは3選を確実視されていましたが、「権不十年(けんぷじゅうねん)=いかなる権力も10年は続かない」の言葉を残して2期8年で退きました。

蒲島候補は「清正公さんも12年」と「権不十年」のはざまで3選出馬の是非について熟慮した末「今の県政のいい流れを止めない」と出馬を表明しました。これに対して熊本市長を3期で退いた幸山候補と、弁護士の寺内候補の新人2人が、県政を転換する必要性を訴えて出馬を表明しました。現職知事と県都の市長経験者がともに出馬するのは、1963年(昭和38年)以来となります。

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15.jpg知事は住職の呼び名だった?

ちなみに「知事」の語源はサンスクリット語で、「物事を治め司(つかさど)る」という意味があるそうです。もともとは中国で寺院の住職の名前として使われ、その後に地方長官の名称に使われるようになりました。日本でも奈良時代には「知事」という呼称があったようです。「知事」は1871年(明治4年)の廃藩置県で府県の長官の名称として復活しますが、その後、県の長官については「県令」と呼ばれた時期もありました。

白川県が改称されて熊本県が誕生した1876年(明治9年)の県のトップは県令で、初代県令は土佐藩出身の幕末の志士、安岡良亮(1825~1876)でした。安岡は戊辰戦争で新選組の近藤勇(1834~1868)を捕まえる功績をあげて熊本県令になりましたが、県令就任から半年ほどで神風連の乱(1876)に巻き込まれて殺されてしまいます。

2代目富岡敬明県令の任期途中で県令は再び知事と呼ばれるようになり、戦前は政府が内務官僚などを任命してきました。戦前の官選知事は35人。初代の公選知事、桜井三郎さんも、もともと官選知事でした。現職の蒲島郁夫さんは17、18代目の公選知事ですが、初代の安岡良亮から数えると53代目の知事ということになります。

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