選挙2016

熊本県知事選 ハイライト動画      2016年3月27日 

開票結果

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投票率は51.01% 前回を大きく上回る

27日投票が行われた熊本県知事選の投票率(期日前投票、不在者投票も含む)は51.01%となり、過去最低の38.44%にとどまった4年前の知事選を10ポイント以上上回りました。熊本県知事選の投票率が50%を超えたのは、参院補選とのダブル選となった2000年4月の知事選以来となります。

市郡別開票結果と投票率

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出口調査の分析

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有権者の選択は蒲島県政の継続でした。蒲島郁夫さん(69)は農業所得の向上や「くまモン」の活用による観光客誘致など、2期8年の実績を「良い流れ」だとして、さらに発展させると訴えました。陣営は有権者の反応に早くから手応えを感じていたようです。

それを裏付けるように、KKTと読売新聞社が共同で行った出口調査では、すべての世代で蒲島さんが6割から7割という高い支持を得ました。地域別得票数を見ても、各地でまんべんなく票を集めており(市郡別開票結果と得票率の表を参照)、大票田・熊本市でも得票率が6割あまりに達しました。熊本市は市長を3期務めた幸山政史さん(50)にとっては地盤のはずでしたが、その幸山さんに倍以上の差をつけ、得票は幸山さんが熊本市長選で獲得した票数を上回っています。

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出口調査から支持政党別の動向をみると、蒲島さんは自民、公明支持者の7割以上の支持を集め、支持政党がない、いわゆる「無党派層」も6割超が支持しています。自民、公明両党は蒲島さんを全面支援し、農政連や連合なども蒲島さんを推薦しました。政党や団体の組織的な応援が圧勝の一因だったことは間違いありません。

一方、今回自主投票で知事選に臨んだ民進党(民主、維新が27日に合流)の支持者では、蒲島さんと幸山さんとの差はあまりありません。

政治学者で東大教授だった蒲島さんは2008年の初当選後、中央公論で自らの勝因を分析し、「ダウンズの理論*」に従って保守色を薄め、革新色を強めるスタンスを貫いたと明かしています。3期目を狙った蒲島さんは、1期目より相当保守色を強めているといえそうです。

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蒲島さんは2期8年の県政で農業所得の向上やアジアとの定期航空路開設などさまざまな「華」が咲き、「3期目は大きな実がなる」と話しています。出口調査で蒲島さんに投票した人に投票に際して重視した問題を尋ねたところ、景気・雇用、医療・福祉などを重視したという結果が出ました。人口減少が進む中、若い人が県外に流出するのを防ぐ雇用のさらなる確保や「長寿を恐れない社会をどう実現するのか。これから具体的な成果が問われることになります。

*ダウンズの理論 右寄りの保守政党と左寄りの革新政党は、最も支持者が多い中道寄りに政策を変化させるという考え方。蒲島さんは中央公論で、「(自らの勝利によって)ダウンズの理論の正しさは実証された」と述べています。

潮谷前知事 「蒲島県政3期目 これだけはしてほしい」

前の熊本県知事の潮谷義子さん(日本社会事業大学理事長)に、知事選終了直後の28日にインタビューし、3期目に入る蒲島県政に対する提言をしてもらいました。

* * *

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選挙結果はあまりの大差で、驚きました。現職の知名度で差が開きましたが、蒲島さんの政策や実績に対する評価はこれからでしょう。

蒲島さんは人口減対策、雇用確保、農業問題などで実績を訴えました。これらは国の施策でもありますが、2000年を境に地方分権が進む中、県独自の施策を出すことは十分にできます。熊本県は、全国平均より高齢化が7年早く進んでいます。人口減にとどまらず、医療費高騰や高齢者の居住や暮らしを支えていくことが急務です。とりわけ第1次産業には、人口減による後継者不足に加え、TPP(環太平洋経済連携協定)の影響も重くのしかかってきます。

もはや農業だけの振興策ではなく、工業を中心にした企業と連携したり、県立の工業系専門学校などの機能を強めたりしてイノベーション(技術革新)を起こしていく方策を考えるべきです。農業従事者の声に耳を傾けつつ、「第6次産業」にたどり着くまでのプロセスを作っていかなくてはなりません。

蒲島さんに何としてもこれはやってもらいたい、と言いたいのは水俣病の健康調査、川辺川問題、そしてハンセン病。熊本県が抱える3つの大きな問題を、まず客観的に調査して、成果を少しずつ出してほしい。川辺川ダムは建設が止まったから終わり、ではありません。人口が流出してしまった中でどう地域振興を図っていくかは、これからです。

私は知事の時代に、県庁の仕事の軸足を、従来型の「要望」から「政策提言」へと移していくよう求めました。仕事の中心には県民がいなくてはいけません。費用対効果の検証と、県民への情報提供、説明責任を果たすための透明性確保が大切です。県庁職員は能力が高く、方向が決まればとても頑張ります。知事は職員にテーマを与えるのではなく、テーマを掘り起こさせることが大事だと思います。

誰が知事をやっても同じ、ということはありません。知事の立ち方(スタンス)は大きく県政を左右し、知事の決断ひとつで方向性は大きく変わります。誰も教えてくれず、ひとりで決断することもあります。専門知識もない出来事に、雑巾のようにない知恵を絞って立ち向かっていかないといけない時もある。副知事も局長も、誰も味方になってくれなくて、悩んだこともよくありました。

知事は心身ともに公務を優先しなければならない非常にハードな仕事。私は3期もやったら燃え尽きてしまうと思い、ライフワークである福祉で仕事を締めくくりたくて、3選出馬しませんでした。農業の現場をよく知り、知識もある蒲島さんなら、3期目も大丈夫でしょう。県民が政策を評価するのはこれからだ、と肝に銘じて頑張ってほしいと思います。 (談)

過去の知事選はどうだった?

15.jpg4選された知事はゼロ 

過去の県知事選では、何度も「多選」が焦点となりました。1959年(昭和34年)の知事選は、新人の寺本広作さんが4選を目指した桜井三郎さんを「清正公(せいしょこ)さんも12年」と批判し、下馬評を覆して当選しました。加藤清正が肥後国内で治政をつかさどったのは13年程度とされ、知事の4期16年は長すぎるというわけです。

その寺本さんも4選出馬を目指しましたが、自民党の公認を得られず断念しました。代わって知事になった沢田一精さんも細川護煕さんとの自民党公認争いに敗れ、4選出馬できませんでした。1983年(昭和58年)に知事になった細川さんは3選を確実視されていましたが、「権不十年(けんぷじゅうねん)=いかなる権力も10年は続かない」の言葉を残して2期8年で退きました。

蒲島候補は「清正公さんも12年」と「権不十年」のはざまで3選出馬の是非について熟慮した末「今の県政のいい流れを止めない」と出馬を表明しました。これに対して熊本市長を3期で退いた幸山候補と、弁護士の寺内候補の新人2人が、県政を転換する必要性を訴えて出馬を表明しました。現職知事と県都の市長経験者がともに出馬するのは、1963年(昭和38年)以来となります。

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15.jpg知事は住職の呼び名だった?

ちなみに「知事」の語源はサンスクリット語で、「物事を治め司(つかさど)る」という意味があるそうです。もともとは中国で寺院の住職の名前として使われ、その後に地方長官の名称に使われるようになりました。日本でも奈良時代には「知事」という呼称があったようです。「知事」は1871年(明治4年)の廃藩置県で府県の長官の名称として復活しますが、その後、県の長官については「県令」と呼ばれた時期もありました。

白川県が改称されて熊本県が誕生した1876年(明治9年)の県のトップは県令で、初代県令は土佐藩出身の幕末の志士、安岡良亮(1825~1876)でした。安岡は戊辰戦争で新選組の近藤勇(1834~1868)を捕まえる功績をあげて熊本県令になりましたが、県令就任から半年ほどで神風連の乱(1876)に巻き込まれて殺されてしまいます。

2代目富岡敬明県令の任期途中で県令は再び知事と呼ばれるようになり、戦前は政府が内務官僚などを任命してきました。戦前の官選知事は35人。初代の公選知事、桜井三郎さんも、もともと官選知事でした。現職の蒲島郁夫さんは17、18代目の公選知事ですが、初代の安岡良亮から数えると53代目の知事ということになります。

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