熊本県外のくまもと&くまモン

【東京】くまモンが知事と英語の記者会見に 世界からの熊本支援に感謝  2017年3月27日

熊本地震の発生から1年になるのを前に、蒲島知事とくまモンが東京・有楽町の日本外国特派員協会で、外国人記者を前に記者会見を開きました。

蒲島知事は、世界中からの熊本への復旧・復興に対する支援に感謝を念を表明し、現在の復興状況を説明しました。また、地震後にくまモンが熊本県民を精神的に支えたこと、ケネディ駐日大使など要人と熊本を結ぶ重要な役割を果たしたことなどを説明し、くまモンを「熊本の営業部長であり、外交官だ」と、その活躍を讃えました。

会見は質疑も含めてすべて英語で行われ、くまモンは隣の通訳知事のコメントの和訳を耳打ちしてもらい、時折うなづくなどしていました。得意なスポーツは何かと聞かれると、蒲島知事を介して「くまモン体操とダンス」と答えていました。和訳した記者会見の内容は以下の通りです。

蒲島知事 こんにちは、熊本県知事の蒲島郁夫です。本日は「逆境の中にこそ夢がある」ということをお話ししたいと思います。熊本県は熊本地震の影響で、いまだに大きな問題を抱えています。しかし、私の行政は他の県とは異なります。私は知事になる前は東京大学教授を務めていました。多くの方は「大学教授は、良い政治家にはならない」と思っているでしょう。しかし、それは違います。私の哲学は先ほども申し上げた通り「逆境の中にこそ夢がある」ということです。

私の人生は逆境の連続でした。私は1947年(昭和22年)生まれで、今年で70歳になります。農家の7男として生まれ、1965年(昭和40年)に高校を卒業しました。

私は、たいへんな「落ちこぼれ」でした。でありながら、私は政治家、小説家、牧場主のいずれかになることを夢見ていました。21歳の時、私は牧場主になるため、渡米する決心をしました。農業研修の一環としてアイダホ州に行きましたが、実際は、低賃金の労働者として働くというものでした。普通は18歳で大学に行きますが。私は24歳の時にネブラスカ大学農学部に入学しましたが、1977年(昭和52年)に政治学専攻に転じました。政治家になりたかったからです。ハーバード大学の政治経済学博士課程に進みました。

50歳の時に、東京大学大学院法学政治学研究科教授に就任しました。51歳の時には、熊本県の知事に当選しました。このように私は様々な経験を積んできました。人生はそれほど平坦ではありませんでした。こうして「逆境の中にこそ夢がある」というスローガンを持つようになりました。これは私の人生におけるモットーでもあり、「逆境の中にこそ夢がある」ということは、熊本行政における方針でもあります。

政治学者から政治家に転向した私は、3つの行政方針を持っていました。1つ目は、リーマンショックの直後に県知事に就任したため、経済に依存する価値観から幸福度に依存する価値観へ転換したいと考えていました。2つ目は、リーダーシップというのは、逆境の中でこそ熊本県を導くビジョンを提示する、ということです。熊本県民とともにトンネルを通り抜ける必要があるからです。だから、ビジョンを提示しなければいけません。3つ目は、現在目の前にある問題を解決することです。現在逆境にあったとしても、多くの解決するべき課題があります。県の行政を改革するために、公共政策のパラダイム・シフトを実施しました。通常、行政は、ガイダンス、規制、統制、継続などを強調します。しかし、これは事実ではありません。公共政策のゴールというものは、熊本県民全体の幸福度を最大化することです。だからこそ、私はいつも県民全体の幸福度の最大化を強調してきました。

9年前に知事に就任して以来、私は行政に対して3つの手法を取ってきました。第1に「意思決定」、第2に「明確なゴール設定」、第3に「責任を持つ」ことです。ローチについてご説明します。明確な目標設定について、くまモンを例にご説明します。熊本地震における責任のあり方についてもお話しします。

その前に、どのような「意思決定」か、例を挙げてご説明します。2008年に知事に就任した時、熊本県は経済的困難に陥っていました。経済問題を解決するために思い切った意思決定が必要とされていました。私が行った1つは、自分の知事給与の削減です。知事の給与は124万円でしたので、わかりやすく100万円をカットし、月給を24万円にしました。しかし、所得税のことをすっかり忘れており、所得税を引かれると月に14万円しか残りませんでした。しかし、問題はありませんでした。7年かけ150億円以上の経費削減に成功したからです。削減できた年間経費は約53億円から106億円へと倍になりました。今、熊本地震に対応していますが、地震や他の多くの問題に際して最も重要な備えは、経済の健全化だいうことを痛感しています。

次は、「明確なゴールの設定」です。私のゴールは「WHYの最大化」です。WHYとは全体幸福度を意味します。私なりの方程式によると、このWHYは4つのことに依存します。第1は「Economic(経済)」。経済的な豊かさは幸福度に影響します。第2は「Pride(誇り)」です。誇りを持って生きることは県民の幸福にたいへん重要です。第3は「Securuty(安心)」、安全と社会化です。第4は「Hope(希望)」です。私の県政のゴールは「EPSH」を様々な政策をもって向上させることです。

これから、みなさんに1つの私の県政の一端をお見せします。くまモンです。くまモン、出ておいで!

(くまモン登場)くまモンは、古典的な公共政策とは言えません。しかし、くまモンは人々を幸せにします。くまモンのおかげで県の経済は潤い、くまモンは県民に誇りを与え、くまモンの活動は安全や社会化の向上を支えてきました。くまモンはすべての人の幸福度を向上させます。

くまモンは、熊本県庁の臨時職員でもあります。くまモンは現在、熊本県営業部長に就いています。部長というのは、県では知事、副知事に次ぐ3番目に重要な地位です。2015年のくまモングッズ販売は10億ドルを達成しました。大変素晴らしい数字でしたが、昨年の売上は12億8000万ドルを突破しました。くまモンのおかげで、熊本にはたいへんな経済的な豊かさがもたらされました。くまモンのおかげで誇りを得ることができました。米ウォールストリートジャーナルが、1面でくまモンの経歴を取り上げてくれたのです。これは県民にとってたいへんな誇りです。くまモン自身は話すことができません。だからこそ、彼は国際的なのです。彼は日本語も話しません。何も話しません。(笑)

もう1つ重要なことは、くまモンの利用はロイヤリティフリーだということです。もし、理想的なコミュニティや社会は、人種、宗教、性別、年齢、住まい、社会的地位などあらゆる点で差別がない世界です。くまモンの世界では誰もが平等です。くまモンの世界に入るのもフリーで制限はありません。誰もが利益を得ることができます。フリーであること、そして自治はとても重要なのです。さらにくまモンの世界には政治的な境界が存在せず、オープンな開かれた社会で、誰もが参加することができます。理想的なコミュニティを創造するため、私たちはくまモンの世界を利用しているのです。これはくまモンの繁栄、ひいては熊本県の繁栄に非常に大事だと考えます。

くまモンの世界は今もなお、非常に急速に拡大しています。MINIオックスフォード工場は「くまモンMINI」を非常に生産的に製造し、利益をもたらしました。ドイツ企業のシュタイフが「テディベアくまモン」を作りました。「テディベアくまモン」は1体300ドルでインターネットを通じて販売されました。1500体がわずか10秒で完売しました。たった10秒です。シュタイフは利益を上げ、くまモンもまた有名となりました。フランスの「バカラくまモン」です。カメラ会社のライカは「ライカくまモン」を製作しました。くまモンが有名になるということは、熊本が有名になるということです。様々な手段を通じて人々を幸福にすることが私のゴールなのです。ほかにも橋を建設すること、道路を作ることなど、さまざまな公共政策が存在します。しかし世界を作り出すというのは、また異なった公共政策です。

本日最も重要な熊本地震の話しをします。「責任を持つ」ことは、蒲島行政の第3の方針です。「責任を持つ」というのは、「逆境の中にこそ夢がある」ということと共通する点があります。より良く再建することに責任を持つということです。常に前向きに「逆境の中にこそ夢がある」ということは、地震から再建するプロセスの最中でも常に夢を持つということです。「どうすればいいのか? どうすれば熊本を幸せにできるのか?」これが熊本地震に対応する際の私の哲学です。

熊本地震に対応する原則とは何でしょう。第1は、地震によって被災した方々の痛みの最小化です。第2に地震の前よりいいものに再建することを常に考えることです。今、すべての職員が震災対応に追われています。しかしすべての職員が「どうすればより良く再建することができるのか」を考えています。第3に、「より良い再建」を更に将来の熊本の発展に繋げるためにはどうするか、常に考えることです。常に将来にわたる熊本の発展を考えるのです。

震災から約1年が経ちました。現在その対応フェーズは変化を迎えています。まずは、人命救助が第1優先でした。水と食料の供給が第2番目です。そして、第3番目は避難所の提供です。第4番目は仮設住宅の提供です。現在、私たちはこの仮設住宅提供のフェーズにいます。避難所はすでになく、仮設住宅に被災者は住んでいます。2年後には被災者は自分の住宅を見つける予定です。もしくは、行政から低価格の住宅を提供する予定です。このように常に局面は変化しています。第1に健全な経済状態であること、第2に変化する局面に応じて適切な対応を取ること、これがとても大切です。どのように私はこの変化に対応したか、お話しします。

ハーバードの学生としてサミュエル・ハンティントン氏について学びました。彼は「ギャップ仮説」という理論を唱えました。ここでいうギャップとは期待値と実態の差です。人々は多くの期待を持ち、期待値はすぐに変化します。実態が追い付かないと不満を生み、暴動にもつながります。実態に不満を覚える前に、可能な限り早く、実態を人々の期待値に一致させなければいけません。これは、熊本地震のように大きな震災に直面した際、非常に重要な点だと思います。

どのように期待値に応えたか。最初、人々は水と食料がある避難所の生活に満足しています。しかし、すぐに人々は不満を覚えるようになります。だから、仮設住宅を速やかに提供する必要があります。人々の「痛み」を最小化するために、私たちは木造の仮設住宅を用意しました。同時に、仮設住宅の近くに、組み立て式住居を設置しました。震災から1年経ちますが、熊本では多くの人がまだ仮設住宅に入居しています。仮設住宅はとても狭いので、早い段階で不満を覚えるようになるでしょう。熊本型復興住宅を通常の住宅より安く提供する必要があります。住宅を購入できない人のために、復興公営住宅も用意しなければいけません。人々が仮設住宅に不満を覚える前に、可能な限り早く先手を打つ必要があります。

第2は熊本城です。熊本城は震災で多くのダメージを受け、修復する必要があります。実態を提示することができないので、代わりに「天守閣の修復を今から2年半後の2019年までに終わらせる」と発表しました。これはとても難しいことですが、どうしても発表の必要があり、1度発表したら必ず達成しなければいけません。そうでなければ人々は不満に思うでしょう。発表するということはとても重要です。その他の建築物についても20年以内に修復を終え、一般公開すると発表しました。もう1つは阿蘇山です。阿蘇山は世界最大級のカルデラを持ちます。1度減少した観光客を取り戻すべく、さまざまな手を打っています。阿蘇は熊本城とともに、熊本の宝です。阿蘇山へのアクセスを再建します。これは簡単なことではありませんが、やらなければいけないことです。

第3は、震災に強い港の建築です。八代港へのクルーズ船の誘致を進めています。2015年に八代港に寄港したのはわずか10隻でしたが、2016年にはさらに10隻。そして2017年には70隻ものクルーズ船が寄港を予定しています。さらなる発展に向け、八代港を地震に強い港にする工事を進めていきます。何年か後には200隻のクルーズ船の寄港を想定しています。

第4に、地震の前より良くする再建、熊本の更なる発展です。インドネシア・バリ島とMOU(基本合意書)を締結しました。バリ島は観光にたいへん力を入れています。私たちはバリ島から観光業を学び、代わりに農業技術を提供する予定です。私の県政におけるモットー「逆境の中にこそ夢がある」は、熊本地震からの復興でも適用されているのです。

司会 ありがとうございました。とても興味深いお話でした。スペシャルゲスト(くまモン)ともお会いできて幸いです。質問はありますか?

蒲島知事 くまモンは話すことが出来ないので、私が通訳します。

司会 では私から質問させてください。最近の復旧・復興の成果は何でしょう?その成果を数字で教えてください。再建した建築物の数などのデータを教えてください。

蒲島知事 避難所は既にゼロになりました。避難所にいた方全員がすでに仮設住宅に入居しています。これは1つの成果ですが、これで終わりではありません。被災者すべてが自分の家を手に入れる必要があります。2年以内には被災者すべてが家を手に入れることができるようにします。8割の人は自分で住宅を購入または建築するでしょう。しかし、2割の人に対しては、安価な住宅または公営賃貸住宅を提供する必要があります。

飢えている人はいません。十分な食料と水が供給されていますし、すでに仮設住宅に入居しています。しかし、彼らには生活のために仕事が必要です。会社の倒産等によって職を失うことを多くの方が恐れています。震災から11か月後の統計データによると、熊本地震が原因で倒産した会社はわずか7件だけです。過去50年で最小の数字です。この理由は、日本政府が会社再建費用の5割を支援すると発表したからです。熊本県も再建費用の4分の1を支援すると発表しました。これで会社再建費用の自己負担は4分の1で済みます。これが奏功し、人々はたいへん前向きに会社再建に取り組み、その結果が倒産した会社が7件のみになりました。これは実に驚くべきことです。

現在まだ任期1年目ですから、3年後に、私がこの熊本地震にどのように対応してきたか、本当の意味での統計的成果をみなさんはご覧になると思います。それまでは最終的な統計データというものを提示することは難しいですね。

記者 インバウンド観光客(熊本を訪れる観光客)を増やすためにどのような施策を検討されていますか? もしありましたら詳細の説明をお願いします。

蒲島知事 はい。先ほどは八代港についてご説明いたしました。非常に多くのクルーズ船の入港を予定しています。私が知事に就任した時点ではゼロでした。ちなみに、私は2008年に熊本県知事に就任しています。2015年には10隻、さらに10隻が2016年に。今年2017年は70隻の入港を予定しています。5,000人の乗客がクルーズ船とともにやってきます。つまり、ほぼ毎週5000人の観光客が見込めるということです。これが、私たちが行っている観光客増加施策の1つです。

阿蘇くまもと空港の増改築の進めていきます。特に、国際線ターミナルビルを増改築することで観光客増加を目指しています。熊本を訪れるインバウンド観光客の数は急激に増加しました。しかし、震災の影響を受けて大幅に減少しました。2日前に香港を訪れ、香港航空の再就航を要請しました。香港側は政府に申請をすること、申請が下り次第、再び阿蘇くまもと空港へ就航することを約束してくれました。これで香港からの観光客の増加が期待できます。

また、チャイナエアライン(中華航空)の阿蘇くまもと空港への再就航を実現しました。台湾の高雄から阿蘇くまもと空港へのフライトは、85~90%の搭乗率となっています。台湾からの観光客も戻ってきています。エアソウルも再就航を予定しています。これもまた多くの観光客を誘致するでしょう。来年には多くの観光客が熊本に戻ってくると思います。しかし、昨年は観光客が減少しましたので、現在、呼び戻すプロセスの最中だと言えます。熊本におけるインバウンド観光客については、現在以上のような状況です。

記者 知事とくまモンから熊本地震1年に寄せたコメント、全国のみなさんからのいろいろな支援に対し、全国のみなさんにメッセージはありますか。

蒲島知事 私とくまモンの答えは同じはずです。私たちが昨年この震災に直面した時、くまモンはたいへん衝撃を受け、どうしていいかわかりませんでした。外に出ることも出来なかったのですが、5月5日のこどもの日に、再び仕事を始めました。避難所や学校を訪問し、熊本の人々を幸せにし、再び元気を取り戻すため活動しました。これだけではなく、先ほど申し上げた通り12.8億ドルのお金をもたらしました。

また、私の代わりにくまモンが様々な都道府県を訪れ、各知事に会見して震災支援に対するお礼を伝えています。私が非常に多忙ですので、くまモンだけで訪れて「熊本への支援ありがとうございます」とお礼を述べてきました。くまモンは素晴らしい活動を行ってくれています! これからも続けていく予定です。

知事の直属として、熊本県営業部長や「熊本県しあわせ部長」を務めるのみでなく、様々な国を訪問しています。つまり、素晴らしい熊本県の外交官でもあります。私とくまモンは駐日中国大使にお会いし、同日にアメリカ合衆国のケネディ元駐日大使にもお会いしました。くまモンは両大使にたいへん気に入っていただきました。また、フランス観光親善大使にも任命していただきました。とはこれでいいかな?

司会 きっと、くまモンはジャーナリストにもなれますね。(笑)

蒲島知事 彼は話せないからこそ。国際的に受け入れられるのです。彼がもし日本語を話したら、きっと国際的に受け入れられることはなかったでしょう。

記者 くまモンが生み出した膨大なお金はどのように使われたのですか? 10億ドル以上だとおっしゃいましたね? くまモン自身もなんらかの恩恵を受けたのでしょうか? マンションを購入したり、スポーツカーを購入したり、そういうことがありましたか? 詳細にお願いします。

蒲島知事 くまモンは膨大なお金を稼ぎましたが、彼自身が何かを得ることはありません。県も何も得ていません。くまモンの宇宙を構築するのに、世界中から一切のロイヤリティーを得ていません。それぞれが考え、行動し、有名になり、これによってくまモン、ひいては熊本への好感度が上がり、熊本を有名にします。私たちが望むのは、ただそれだけです。これは、マーケティング戦略の一環です。そして大変成功したマーケティング戦略だと思います。みなさん、織田信長をご存じですか? 商取引を非課税とする「楽市楽座」という政策を行いました。地方都市に過ぎなかった(城下の)岐阜には多くの商人たちが集まりました。そして、これによって、織田信長は名を上げ、強くなっていきました。

くまモンは人々を幸せにする、ただそれだけです。ちなみに、彼の給料はそれほど多くはありません。でも、人々を幸せにできればそれでいいのです。彼が昇給を要求することはありません。くまモンを使用する人々が幸せを感じることがとても重要なのです。だからこそ、くまモンはこれほど愛されるのです。もし、ただお金のためにくまモンを使用したいというのであれば、あまり良い社会だとは言えません。人々がくまモンを愛するがゆえ、人々は利益を得ることができます。そしてくまモンも幸せになり、熊本も幸せになるのです。私が望むのは、こうした理想的なコミュニティです。

記者 熊本地震の後、どれほど観光客が減少したのでしょうか? また、なぜバリ州と基本契約を締結したのでしょうか? たいへん素晴らしい観光地だと思いますが、なぜ熊本県はバリを選んだのでしょうか? そして、MOU(基本合意書)の内容を教えてください。

蒲島知事 2つ目のご質問から回答します。なぜバリかということですが、熊本もまた素晴らしい観光地だからです。多くの観光資源を保有しています。しかし、もっとバリから学ぶことがあります。バリは世界で最も有名な観光地だからです。バリから、彼らの観光業のやり方を学ぶと同時に、バリのように美しい自然保護にも努めていきます。バリ州政府は、熊本の農業を学びたいと考えています。どうやって安全でおいしい農作物を作るかを、バリ州政府にお伝えしたいと考えています。観光と農業がまず1つ。そして、もう1点は教育です。熊本には素晴らしい大学が存在します。もちろん、バリにも素晴らしい大学がありますので、双方で知識を交換していきます。

観光客の減少についてですが、熊本地震後32万人が熊本のホテルをキャンセルしました。たいへん大きな数字でしたが、徐々に戻ってきつつあります。

記者 熊本城の再建はどれくらいかかりますか?

蒲島知事 2019年に熊本城天守閣の修復を完了します。これが第1のゴールです。まずはこれを達成しなければいけません。この年には2つの国際的なスポーツイベント、ラグビーワールドカップと女子ハンドボールワールドカップが熊本で開催されます。天守閣以外の小さな建物については、20年かけてすべて再建します。

記者 くまモンは何かスポーツをしていますか? または好きなスポーツがあれば教えてください。

蒲島知事 くまモンの好きなスポーツはくまモン体操です。いつも踊っています。ダンスも上手で、アメリカのケネディ元駐日大使と一緒にダンスするのをYouTubeで見ることができます。

司会 誰がくまモンをデザインしたのですか?

蒲島知事 とても重要な質問です。くまモンのデザインは世界最高です。まずシンプルですね。黒、赤、白。著名な小説家で脚本家の小山薫堂氏がくまモンのプロデュースを行い、小山氏の友人で有名なデザイナーの水野学氏がくまモンをデザインしました。とても重要なことは、くまモンは「おまけ」だったのです。びっくりマークが元々のデザインでした。シンプル過ぎたので、水野氏は「おまけ」としてくまモンを提案しました。それ以来、くまモンは急速な成長を遂げて億万長者になり、営業部長に就任しました。くまモンの使用権は無料です。しかし、くまモンが生み出すお金は無限なのです。

司会 熊本地震の後、多くの余震があったと聞いています。現在も続いているのでしょうか?

蒲島知事 余震はとてもひどく、4200回を超えました。ご質問は今も続いていますが、今ではごくまれです。もし運が良ければ、余震を経験するかもしれません。余震を経験したらあなたは熊本の友人だと言えるでしょう。

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