熊本地震の記録

軒先避難 老夫婦はなぜ避難所を出たのか         2016年7月27日放送

160727nokisaki_R.jpg熊本地震から100日あまり経過しても、なお被災地では「軒先避難」を続ける人がいます。

益城町総合体育館では、今もおよそ600人を超える人が避難生活を送っています。米村敏男さん、盛子さん夫婦もこの避難所で寝泊まりをしていますが、毎朝午前8時に避難所から出ていきます。向かったのは避難所近くの自宅の駐車場。自分のビニールハウスを回るためで、日中は2人でブルーシートをかぶせただけの屋根の下で軒先避難を続けています。

「体育館(避難所)におってもなんか憂鬱だけん、ここさんでてくっと(ここに来る)です。今からお茶沸かして、朝の食事をして...」と敏男さん。狭い生活スペースは自宅から運んできた日用品であふれています。この場所では火が使えるため、お湯を沸かして温かい朝食をとることができます。不便な生活の中でつらさを忘れられる瞬間です。

盛子さんは「なんかここにくると落ち着くのよね。こんな家でもなんか。向こうの家(倒壊した自宅)を眺めながらなんとなく昔のことを思いながらここでご飯食べて...」といいます。

2人はおよそ60年にわたって、夫婦二人三脚で、野菜や肉などを販売する「米村食料品店」を切り盛りしてきました。しかし、地震で自宅を兼ねていた店舗は全壊。店舗は傾き、コンクリートの床には大きな亀裂が入りました。盛子さんは、その床でよく漬物をつけていたと言います。

「私、漬物が大好きで、益城町の漬物コンクールで金銀銅賞を取ったのよ。いつもここで漬けて。ここ見るともう涙が出るの。何ももうできんからね」

80歳を超え、居場所だけでなく、生きがいも失ったのです。さらに地震直後の慣れない避難所生活は、体に大きな負担となっていました。年齢の問題もあり、米村さんは店をたたむ苦渋の決断をしました。

「もともと病気したことがなく、何十年も頭が痛いということを知らなかった。体育館に来てから声が出なくなった。ストレスと疲れから出たと病院の先生は言った。ご飯も全然食べなかったから...」

そんな2人を元気づけたのは近所の人との会話や、なじみのお客さんからの差し入れでした。

「ここにいると知った人たちと通りがかりに話したりすると、それだけでも気が楽になる」(敏男さん)「甘酒とかニガウリの佃煮とかもらって、もう本当にうれしかった」(盛子さん)

米村さん夫婦は8月から仮設住宅への入居が決まり、周囲の人の支えもあって、前向きに頑張ろうとしています。しかし、6月の時点で益城町には、なお1000人以上が軒先避難をしているといいます。

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