熊本地震の記録

大和晃さん 「家に連れて帰る」両親1年の軌跡       2017年4月10、17日放送

160814yamatokeii.jpgCgXRedWVAAEKDNR_R.jpg阿蘇市の大学生大和晃さん(写真)は、熊本地震の本震が起きた2016年4月16日に南阿蘇村の阿蘇大橋付近を車で通行中、大規模な土砂崩れに巻き込まれたとみられています。

遺体は地震から約4か月後に車の中から収容され、DNA鑑定の結果、14日に晃さんと確認されました。地震で周囲が崩落し、おびただしい土砂が流れた川の岩の間から晃さんの遺体が収容されるまでには「お盆までに息子を家に連れて帰る」との一念で晃さんを必死に探し続けた父、卓也さんと母、忍さんら家族の闘いがありました。

晃さんは4月15日夜、熊本地震の前震で被災した熊本市の友人宅に飲料水を持って行き、16日未明、乗用車で自宅に帰る途中に本震に襲われ、阿蘇大橋の崩落に巻き込まれたとみられています。阿蘇大橋周辺では地震直後から捜索が行われましたが、手がかりがつかめませんでした。大雨や余震により再び土砂崩れが起きる二次災害の恐れもあり、遠隔操作の無人重機を使った捜索が行われていたが、県からは5月1日「二次災害の危険」などを理由に地上での捜索終了を決めました。

しかし、晃さんの家族や知人らは、その後も独自に捜索活動を続けました。卓也さんは仕事を午前中で切り上げ、忍さんも休職して、連日川に沿って手がかりを探しました。下流の大津町で情報提供を呼び掛けるチラシも配りました。

160725yamato-2_R.jpg6月23日には崩落した阿蘇大橋の約5キロ下流で車の金属板を発見。晃さんが乗っていた車と同じ黄色い塗装でしたが、晃さんの痕跡はありませんでした。両親の執念が通じ、大きな手がかりがつかめたのは、晃さんが行方不明になってから100日目の7月24日。阿蘇大橋の下流400メートル付近で、大きな岩に挟まった車体の一部や車のエンブレムの一部が見つかりました。

両親は翌日、車体の一部とみられる写真を持って県庁を訪れ捜索再開を要請。県も捜索再開を決め、9日、阿蘇大橋下流の河川敷で、約2か月ぶりに地上での本格的な捜索が再開されました。晃さんとみられる遺体hikarukazoku.jpgが車の中から発見されたのはその翌日。紺色の着衣の一部や免許証なども見つかりました。遺体が収容されたのはお盆の直前。両親の執念が通じました。

晃さんの告別式は8月21日、しめやかに行われ、卓也さんは「晃は小さい頃から物静かで言い争いをすることもなく、笑顔のかわいい子どもでした。農業の手伝いもしてくれ、母親の炊事も手伝ってくれる優しい子でした」とふり絞るようにあいさつしました。

告別式からほぼ1か月がたった9月17日、卓也さんはひとりで稲を刈りました。晃さんはいつも稲刈りを手伝っていました。本震があった4月16日、晃さんが未明に車で自宅に戻ったのも、早朝からの種まきを手伝うためでした。この日刈り取った稲は地震の前の4月上旬、晃さんら家族全員で種をまいた稲でした。

大和さんの家には友人らが訪ね、手を合わせています。友人の西川真生さんは、地震の前に晃さんと映画を見に行く約束をしていました。仏前に晃さんの分のチケットを供えられました。

160917yamatoC.jpg忍さんは「お友達が来て、いろいろ私たちが知らない晃の話が聞けました。晃もそばにいていっしょに話をしていた気がします」と語り、卓也さんは「彼を見つけて葬儀も終えて、時の流れはゆっくりですけど動いてきているのかな。「ただ、確実にあの子がもういないんだ、という感覚は、自分たちにはまだないです」と話しました。

170324hikaru_R.jpg2017年3月24日には熊本学園大学の卒業式が行われ、経済学部の4年生だった晃さんに卒業証書にあたる「特別学位記」が送られました。

式には卓也さん・忍さん夫妻が晃さんの遺影と参加。幸田亮一学長は「晃さんのことを思い起こすと胸がいっぱいになります。心よりご冥福をお祈り申し上げ、志半ばにして先立たれた大和さんに特別学位記を授与したく思います」と述べました。

式の後特別学位記を受け取った忍さんは「家族と今日を迎えられたことを皆で喜び、祝ってあげたい」と話し、卓也さんは「自分たちが元の生活に戻っていくことが晃が考えていることだと思うので、少しずつ変わっていくだろうし、変わっていかないといけない」と語りました。

地震の本震から1年が経過した4月16日午前1時すぎ、崩落した阿蘇大橋のたもとには大和さん一家の姿がありました。家ではしめやかに一周忌が営まれました。

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