熊本地震の記録

温泉楽しんで医療支えて... 「復興支援ナース」募集開始      2017年5月15日

170515na-suA.jpg県と県看護協会は、阿蘇地域に短期間住み、観光も楽しみながら短期勤務する看護職員「くまもと復興応援ナース」を全国から募集する新たな制度を始めました。

県庁で蒲島知事と県看護協会の嶋田晶子会長が職員確保のために連携していくことを定めた覚書を結びました。病院が託児所を併設した寮や通勤などの使う車などを用意し、無料で使えるようにするほか、地元市町村が温泉めぐりやスイーツめぐりができる入浴券や食事券、観光施設の入場券などの特典を用意します。

募集するのは阿蘇地方の病院に1か月~1年勤務できる看護師や准看護師、保健師、助産師で、阿蘇温泉病院(阿蘇市)、阿蘇立野病院(南阿蘇村)、小国公立病院(小国町)など、阿蘇郡市の6病院で20人以上の確保を目指しています。

阿蘇地方では熊本地震後、熊本市内などからの通勤に使う国道57号やJR豊肥線が寸断されたことで看護職員の離職が相次ぎ、6病院で計62人が離職。夜勤職員らが不足しがちの状態が続いています。

県ナースセンターの専用ページは yubiyubi.png こちら

頑張れ南阿蘇!東海大農学部の学生が2800の灯り        2017年5月13、14日

170513akari.jpg東海大農学部の学生たちが、熊本地震から1年1か月にあわせ、南阿蘇村では復興を願って灯りをともしました。

企画したのは東海大学阿蘇キャンパスで学んでいた農学部の学生たちです。13、14日、午後6時半過ぎに全国からのメッセージが書かれた約2800基の三角灯ろうに灯がともされ、阿蘇の山々を背景にあかりが広がり、復興を願う言葉が浮かび上がりました。

熊本地震で東海大学阿蘇キャンパスでは3人の学生が犠牲となっています。農学部の学生たちは今は熊本市内のキャンパスで学んでいて、「このあかりに地震の被害を忘れてはいけないという思いをこめた」と話しています。

九州市長会が大災害時の相互支援プラン             2017年5月11日

170512KYUUSYUUSICYOUKAI.jpg九州・沖縄118市でつくる九州市長会が玉名市で開かれ、熊本地震の教訓を生かした災害時相互支援プランをとりまとめました。

防災部会で検討を重ねてきたもので、震度6弱以上の地震発生時は24時間以内に被災した県に情報連絡員を派遣し状況を把握すること、要請を待たず救援物資を送る「プッシュ型支援」を実施することなどが盛り込まれています。避難所への輸送や仕分け、災害時の支援、受援のノウハウを知る人材の育成も進めます。

市長会では知事会と市長会との連携についても協議し、防災体制の強化を急ぐことを申し合わせました。

益城町役場 仮庁舎で業務開始                2017年5月8日

170508益城仮庁舎.jpg熊本地震で役場庁舎が被災した益城町の役場仮庁舎が完成し、業務を始めました。

仮庁舎は現庁舎の北に約1キロ離れた木山仮設団地の南側に完成しました。2階建て延べ約3000平方メートルで、本館と別館があります。本館には1階には税務課や福祉課、本館2階には総務課などのほか、県道熊本高森線の4車線化や災害公営住宅の整備を担う復興整備課があります。別館には危機管理課と議会事務局が入り、別館2階の大会議室が町議会の本会議場となります。

町は熊本地震以降、現庁舎の一部や公民館、仮設のプレハブで業務を続けていました。宅地被害の相談などにあたる復旧事業課は仮設庁舎には入らず、当分の間、現庁舎北側のプレハブ庁舎で業務を続けるということです。

新庁舎の建て替え場所について、町は活断層を避けたうえで①現庁舎周辺②町道グランメッセ木山線沿いの木山地区③同線沿いの惣領地区――の3案から、コストが安い現庁舎周辺案を選択。有識者や地元経済団体の代表らで作る新庁舎建設検討委員会が2017年1月30日、現庁舎周辺案を賛成多数で承認し、町は2021年度の使用開始を目指し、建設を進めることにしています。

御船町の道路ふさぐ巨岩 ヤフオクで売却し撤去          2017年5月1日

161221KYOGAN.jpg熊本地震で山から落ち、作業道をふさいでいた周囲12mの巨大な 石灰岩が、ヤフーオークションにかけられて撤去にこぎつけました。

この巨岩は御船町水越にあり、高さ約3.5メートル、周囲約12メートル、重さは推定約100トンもあります。熊本地震で山jから転げ落ち、山中の畑に続く作業道をふさぐ形で止まっています。道は地元が管理しているため県や町に撤去を頼めず、多額の費用が出せずにそのままになっていました。

地方創生を支援する「ふるさと発復興会議」の助言もあって、岩をインターネットオークションで売却し、買い手に除去してもらうアイデアが浮上。地元住民でつくる「水越地域活性化協議会」が12月13日、ヤフーオークションに出品しました。巨岩の出品が話題になれば、買い手がつかなくても撤去の相談相手が見つかるのではないか、という思いもあったようです。締め切りの2016年12月20日までに10件の入札があり、県内の男性が2400円で落札しました。「小さく割って販売したらいい」「記念碑にしてはどうか」などのアドバイスもあったそうです。

170501爆破A.jpg落札者は自費で現場で岩を砕いて撤去することとし、2017年5月1日、ダイナマイトで岩を爆破して除去しました。落札者の方は破片を建立中の観音堂の結界石として使うそうです。ちなみに国内ではダイナマイトの生産は終わっており、ダイナマイトによって爆破された岩は少なくなるそうです。

170502mihuneisi.jpg落札者が持ち帰った以外の破片は「風神(かざがみ)石」と名付けられ、爆破翌日の5月2日から再びヤフーオークションで販売され、最高で7万1000円もの値が付きました。水越地区では熊本地震の後、2016年6月20日の豪雨被害で作業道が流され、岩がなくなってからも畑を使用できない状態が続いています。売上金は全額、地区の復興資金にあてられる予定です。

ちなみに「風神石」の名前は、地区に伝わる民話に由来しているそうです。

「むかし、鍾乳洞の奥に顔のみにくい女性の風神が住んでいた。近くに住む美男子の作神に思いを寄せ、ある時胸のうちを打ち明けたが、作神は受け入れなかった。風神は報復のため、作神が苦心して実らせた農作物を洞窟から大風を起こして吹き散らしてしまった。驚いた村人は洞窟に風神を祭り慰めると風はしずまった。その後、一人の女性がお参りすると、また大風が吹き出したので、それ以来、女性禁制になったという。風神は洞窟のある山の上に祀られ、祭りは二百十日と二十日に行われ、いまでも男だけがお参りをしている(御船町風土記)」

益城町のボランティアセンター閉鎖 感謝と涙の別れ          2017年4月22日   

熊本地震で大きな被害を受けた益城町で、全国からボランティアが集まる支援の拠点となってきたボランティアセンターが「1年と1日」で閉鎖されました。

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益城町のボランティアセンターは熊本地震の本震から5日後の2016年4月21日に開設され、1年間で全国から益城町の人口より多いのべ3万6000人余が集まって、住宅の片付けやがれきの撤去など5151件の活動を行いました。最近は住宅の解体などが進み、住民からのボランティア派遣の要請が減ったことから、センターを閉鎖することにしました。今後は町の社会福祉協議会でボランティアを受け付けます。

センターの最終日となった4月22日も受付には県内外から100人以上のボランティアが集まり、片付けなどに汗を流した後、ボランティアセンターの職員らとあいさつを交わし、記念撮影をするなどして別れを惜しんでいました。これで熊本地震後に開設された県内のボランティアセンターで残っているのは、大津町のセンターのみとなりました。

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立入禁止エリアの動物たちはいま...動植物園で見学会       2017年4月22日

170422tatiiriA.jpg熊本地震で被災した熊本市動植物園で、立入禁止となっているエリアの見学会が始まりました。

この見学会は動植物園の復旧のために寄付をした「復興応援サポーター」を対象に、園内の現状を見てもらおうと企画され、通路を確保して訪れた人が動物たちを見ることができるようにしています。立入禁止となっているエリアには、カバやホッキョクグマなど人気の動物がいて、参加者は「子どもたちが早くたくさんの動物を見られるようになってほしい」と話していました。

動植物園は一部の施設で開園しましたが、園内の復旧工事が終わり、完全再開するのは2018年春となる見込みです。

明治と平成の熊本地震で崩落?「奇跡の夫婦岩」       2017年4月16日

170416meitoiwa.jpg熊本地震で熊本市西区上松尾町の農道に落ちてきた巨石に、地域の住民らが案内板や説明板を設置し、以前からあった巨石とともに「奇跡の夫婦岩」として祀りました。

巨石は旧松尾東小近くのミカン畑を通る農道の両脇にあり、幅6メートル、高さ2.5メートルの大きい方の岩(写真右)は熊本地震で山から転がり落ちてきたとみられます。近くにはもうひとつ、明治の熊本地震で落ちてきたとされる一回り小さい岩(写真左)がありました。上松尾2町内の住民の間から2つの巨石を「夫婦岩」として地域のシンボルにしようという話が持ち上がり、熊本地震から1年の節目に、巨岩の下部を固定して看板が取り付けられました。

看板には「時空(とき)を超えて再会 明治中期に起きた地震で、山頂の観音様付近より転がり落ちた左側の岩石を、平成28年4月16日に発生した熊本地震で目を覚まし、後を追い求めるようにミカン畑をはさみ、この場所に鎮座した右側の岩石。地元住民はこれを"奇跡の夫婦岩"と名付けここに祀ることとする」と書かれています。2つの巨石に至る農道入口には「奇跡の夫婦岩」への道を示す案内板も設けられています。

南阿蘇村追悼式 ふるさと再興に誓い            2017年4月16日

170416masoA.jpg関連死も含めて27人が犠牲となった南阿蘇村では、河陽の長陽体育館で村主催の追悼式が開かれ、計315人が参列しました。正午の防災サイレンを合図に参列者全員が黙とう。吉良清一村長は「犠牲者や被災者の思いを心に刻み、ふるさとを再興する」と誓いました。

地震で息子夫婦を亡くした鳥居政次さん(73、写真右下中央)は式典の後、「寂しい。悔しい。あらゆる葛藤が(あった)。ひとりになるのはものすごい寂しいことなんよ」と、絞り出すように語りました。

地震から1年 益城町追悼式「前に歩くことが供養」       2017年4月15日

170415mashikinA.jpg2度の震度7に襲われ、震災関連死も含めて37人(直接死20人、関連死17人)が犠牲になった益城町の追悼式は、町文化会館で犠牲者の遺族93人を含む約400人が参列して行われました。

西村博則町長は「町民一人一人の生活再建を第一に、全力で復興に取り組んでいく。震災前より住みやすく、災害に強い町をつくることを固く誓う」と述べ、全員で犠牲者を悼み献花しました。16日の本震で長女を亡くした河添登志子さんが遺族代表として「悲しみはいえないが、私たちが前へ歩き生き抜くことが、地震で命を落とした娘や犠牲者への供養だと思う」と犠牲者を追悼しました。

地震から1年 西原村追悼式「悩み苦しみ人生に向き合うことが復興」   2017年4月15日

170415nishiharaA.jpg関連死も含め、8人が犠牲となった西原村では村構造改善センターで追悼式が開かれました。遺族ら約300人が参列し、日置和彦村長が「犠牲者の無念の思いを生涯忘れず、復旧復興に一層努力することを誓います」と式辞を述べました。

遺族を代表して、父親を亡くした内村勝紀さん(写真中央)が「遺族をはじめ村民は、不自由な生活に耐えながら頑張っています。前を向いて村の復興と発展を祈りたい。生きているからこそ迷い、悩み、苦しみながら、それでも命が続いていることを実感し、人生に向き合っていくことこそ、私は復興と考えている」と追悼の言葉を述べました。

式の後、参列者は全員で復興への思いが詰まった風船を飛ばしました。

地震から1年 県の犠牲者追悼式 安倍首相が追悼の辞     2017年4月14日

170414kentuitouA.jpg熊本地震の前震から1年となる4月14日、県庁では犠牲者追悼式が開かれ、安倍首相も参列しました。首相は「被災者の方々お一人おひとりのお気持ちに寄り沿い、一日も早い生活の再建と、生業(なりわい)の再生、被災地の復興を実現するため、引き続き、政府一丸となって全力で取り組んでまいります」と追悼の言葉を述べました。

遺族を代表して、避難中に母親が亡くなり、関連死と認定された熊本市の冨永眞由美さんが「悲しみを乗り越え、この辛さを心の糧として立ち上がる人が増えて、熊本が笑顔と活気にあふれるふるさとに再建されていくことを願います」と話しました。

式典では午前10時に犠牲者に対する黙とうが捧げられました。同時刻には熊本市内でもサイレンが鳴らされ、あちこちで黙とうを捧げる人の姿が見られました。

170414mokutouC.jpg追悼式での安倍首相、蒲島知事、遺族代表の式辞、挨拶全文は以下の通りです。

【安倍首相 追悼の辞】

170414sikiabe.jpg「熊本地震犠牲者追悼式」が執り行われるにあたり、政府を代表して謹んで追悼の言葉を申し上げます。

震度7の地震が連続して発生し、ここ熊本県を中心に甚大な被害をもたらした熊本地震の発生から1年の歳月が経ちました。

この地震により亡くなられた方々の無念さと、最愛の方を失われた御遺族の皆様の深い悲しみに思いを致しますと、誠に痛恨の極みであり、哀惜の念に堪えません。ここに改めて、衷心より哀悼の意を捧げます。また、被災された全ての方々に心からお見舞いを申し上げます。

発災後、被災地を訪問した際、凄まじい地震の爪跡を目の当たりにし、被害の甚大さに言葉を失いました。避難所生活を送られている被災者の方々の大変な御苦労に接し、必ずや、全ての被災者の方々が震災前の笑顔を取り戻し、安心して暮らせる街をつくりあげる、そうした復興を成し遂げることを決意いたしました。これまでに、地元の方々の大変な御努力、関係機関の御尽力、そして全国の方々からの温かい御支援によ り、復旧・復興は一歩一歩、前に進んでまいりました。しかし、未だに4万7000人を超える方々が仮設住宅などで不自由な暮らしを余儀なくされています。地域産業の再生や、道路などのインフラの復旧、そして熊本のシンポルである熊本城の復旧など、取り組むべき課題は数多く残っています。

復旧・復興をできるだけ早く成し遂げることこそが、犠牲となられた方々の御霊に報いる道です。被災者の方々お一人おひとりのお気持ちに寄り添い、1日も早い生活の再建と、生業(なりわい)の再生、被災地の復興を実現するため、引き続き、政府ー丸となって全力で取り組んでまいります。また、熊本地震から得られた多くの貴重な教訓を踏まえて災害対策の一層の充実を図り、災害に強い、強靭な国づくりを進めていくことを、ここに固くお誓いいたします。

御霊の永遠に安らかならんことを改めてお祈り申し上げるとともに、御遺族の皆様の御平安を心から祈念し、私の追悼の言葉といたします。

内閣総理大臣 安倍晋三

【蒲島県知事 式辞】

170414tiji.jpg熊本地震犠牲者の追悼式に当たり、犠牲となられた方々の御霊に対して、熊本県民を代表し、謹んで哀悼の意を表します。

平成28年4月14日と16日の、2度にわたる震度7の激震は、私たちのふるさと、熊本の姿を一変させました。倒壊した建物、崩れ落ちた阿蘇大橋、傷ついた熊本城など、次々と映し出される光景に、私たちは言葉を失いました。

強い余震が続く中、自衛隊や消防、警察による懸命の救助活動が続けられ、1700名を超える命が救われました。しかし、私たちの願いもむなしく、犠牲となられた方々は、災害関連死を含め、225名に及びます。お一人お一人に愛する家族があり、夢があり、幸せな暮らしがありました。どんなに月日が流れても、最愛の家族を突然失われたご遺族の深い悲しみは、癒えることはありません。改めて、心からお悔やみを申し上げます。

先日、益城町の仮設住宅で、被災された方の孤独死が発生いたしました。本当に残念でなりません。今後は被災された方々が孤立しないよう、行政、自治会、民生委員、ボランティアなど地域全体で対応していきたいと思います。

「熊本県には決して大きな地震は来ない」そんな過信が、私の中にあったのではないか。地震の起こったあの日から今に至るまで、自らに問いかけない日はありません。県民の生命、財産を守る知事として、亡くなられた方々の遺志を受け継ぎ、遺されたご家族をこれからも守り続けていくため、災害に対する万全の備えを築いて参ります。

このたびの地震においては、発生直後から、国や全国の自治体、関係者の皆様による力強い御支援をいただきました。御支援いただいた皆様に、この場をお借りして、厚く御礼を申し上げます。

今、熊本は、全国から寄せられた支援の輪に支えられ、復興に向けて、着実に歩みを進めています。

私は、訪れた仮設住宅で、被災された方々がお互いに励ましあい、一歩一歩、生活再建を進めておられる姿に、胸を打たれました。また、代々引き継いできた田畑が被災し、それでもなお、自然と向き合い、黙々と耕し続ける農家の皆様の姿に、復興する熊本の姿を重ねました。復旧・復興の先頭に立ち、県民の皆様を励ますつもりでいた私自身が、被災された方々から励まされ、勇気をいただいています。

今回の地震では、県民の約1割、18万人を超える方々が避難先で肩を寄せ合い、過ごされました。そのような中、子ども達が周りの人々を思い、行動する姿が、私の心に残っています。トイレを使われた高齢者の手を洗ってあげるため、水が入ったヤカンを持って待っている子ども達、食事の配膳や物奇の仕分けを率先して行う子ども達、多くの避難所で大人に負けない子ども達の活躍がありました。「みんなのために、自分に出来ることは何か」、子ども達は自らに問いかけ、行動したのです。

未来を担う、この子ども達のためにも、安心して暮らすことができ、夢と誇りにあふれる熊本を必ずや創り上げて参ります。そして、創造的復興を成し遂げた「ふるさと熊本」を、次の世代に引き継いでいくことを、あらためてお誓い申し上げます。

最後に、皆様の御支援に対する感謝を深く胸に刻み、犠牲となられた方々のご冥福と、一日も早い熊本の復興を願い、追悼の言葉といたします。

熊本県知事 蒲島郁夫

【遺族代表の言葉】

170414izoku.jpgのサムネイル画像芽吹きとともに巡りくる春、一年で一番美しく穏やかな季節です。しかし、今日ここに集う私たちは、これからずっとこの季節を心の痛みと共に生きる事になりました。今日4月14日、そしてあさって4月16日が訪れるたびに、あの日の惨状が目に浮かび、何よりも愛する家族を失ったあの時を思い出し、深い悲しみの記憶にさいなまれずにはいられません。地震から1年の節目となる今日、このように追悼の場を整えていただきましたことに心から感謝申し上げ、遺族を代表いたしましてご挨拶を申し述べさせていただきます。

私は1年前、突然の大地震に、着の身着のまま愛犬を連れ、家族3人近くの駐車場に車で避難しました。先に来ていた顔見知りの方に「お婆ちゃんは大丈夫?」、「困ったら言うてよ」と、口々に温かい声をかけてもらいました。心優しい隣人に囲まれた暮らしに感謝したことを思い出します。しかし、16日の2度目の揺れで同じ場所に避難して夜を過ごすうちに、元々寝たきりで弱っていた母の呼吸は浅くなり、夜明けを待って病院へ駆けつけた時には、もう医学の力で母を蘇らせることはできませんでした。火葬場も被災しており、すぐには使えず、1週間の間、母と我が家で心行くまで一緒に過ごせたことは、せめてもの救いでした。

私は母を見送り、次第に日々の暮らしが戻って参りますと、悲しみの中ではありますが、少しずつ地震が起きて得たものにも気づき始めました。商品が散乱した店をいち早く片付け、店に来る人に必要な品物を配っていらした方。家の前に「うちは水が出ますのでトイレは自由にお使いください」と立札を立てられた方。「お隣が高齢の方だから水汲みに行ったら、必ず分けてあげるの」とおっしゃる方。皆大変な中で気遺いや手助けを始められ、それを続けていらっしゃる姿が目に止まるようになってきました。

普段はあまり顔も見たことのないご近所の、そんな心温まる言葉やさりげない援助を知るうちに、感謝の気持ちが芽生え、交流が始まるなど、いくつもの変化が少しずつ私の中に生まれました。悲しく辛い地震でしたが、まわりの人の優しさは、私の生活に希望の花を咲かせてくれました。

私は、「花は咲く」という歌が大好きです。大きな災害を体験してあの歌の「花は、花は、花は咲く」というフレーズが胸に迫り、地震の後も変わりなく庭に咲く花を見ると、いのちの営みの退しさと尊さに、生きる力が湧いてきます。私の母は本当に無口で、人生の生き方や教訓めいたことを聞かされた記憶はありません。でも愚痴ひとつこぽさず、黙々と家事をこなす小さな背中が、当たり前の日常のありがたさを、教えてくれていたような気がします。庭の花はまるで母のようで、毎日、私を温かく励ましてくれます。

これ迄も、またこれからも、遺族として悲しみが癒えることはありません。それでも多くの人に支えられてここまで来ました。本日の追悼式をきっかけに、私たち遺族が少しでも前を向いて、元気に歩きだすことは、亡くなった方々の望みではないでしょうか。私自身も顔を上げて生きていきたいという思いで、本日、この場に立たせていただきました。悲しみを乗り越え、この辛さを心の糧として立ち上がる人が増えて、熊本が笑顔と活気に溢れるふるさとに再建されていくことを願い、私の挨拶といたします。

遺族代表 冨永眞由美

サントリー九州熊本工場 工場完全復旧までの1年   

サントリー被災画像.jpg熊本地震で被災した嘉島町のサントリー九州熊本工場は、4月の熊本地震で工場の天井や配水管などに大きな被害を受け、主力のビールの製造ができなくなっていました。

工場では2016年11月8日から「ザ・プレミアム・モルツ」の仕込みを再開。12月13日には約8か月ぶりに飲食店に出す業務用のビールから商品の出荷を再開し、佐賀県鳥栖市にある配送センターに向けて15リットルのビール樽2000樽を載せたトラックが出発しました。

ぷれもる-1.jpg2017年1月31日には、主力商品「ザ・プレミアム・モルツ」の缶ビール出荷を再開しました。主に家庭向けとなる「缶入り」の出荷は9か月半ぶりとなります。

「ザ・プレミアム・モルツ」は現在、京都工場でも生産していますが、サントリーは再び熊本工場を生産拠点とする考えです。「金麦」「ザ・モルツ」とノンアルコールの「オールフリー」についても順次生産を再開します。

「伊右衛門」「阿蘇の天然水」など清涼飲料の生産についても生産設備の工事を進めており、缶入り、ペットボトル入りの順で5月までに再開する予定です。4月には工場見学の受け入れも再開したいとしています。予定通りなら、熊本地震からほぼ1年で完全復旧ということになります。


PUREMORU-4.jpgサントリーは4月上旬からは熊本工場で約10万缶限定で「火の国ビール」(写真左)を製造し、イベント会場などで無料配布しました。また、4月25日には数量限定「ザ・プレミアム・モルツ」「金麦」「オールフリー」をそれぞれ数量限定で発売しました。いずれも缶のラベルの裏側に、工場再開への支援のお礼や復興を支援するメッセージを記しています。

「ザ・プレミアム・モルツ」は売り上げ1缶につき10円、「金麦」と「オールフリー」は1缶につき5円が、熊本城の復旧・復興資金として寄付されます。

食で熊本の観光復興を 県が「グルメ旅行」プロジェクト     2017年3月30日

170329gurumeA.jpgのサムネイル画像県は魅力あふれる熊本の食材や地酒などを活用した「くまもと グルメツーリズムプロジェクト」を始めると発表しました。くまモンの生みの親で放送作家の小山薫堂さん(写真左下)らと企画したもので、東京、京都、神戸の有名シェフの協力も得て、食をテーマに熊本の観光復興を目指します。

大型連休が始まる4月下旬から、くまモンを車体にあしらったグルメタクシー(限定1台)を運行します。グルメタクシーは完全予約制で、「馬肉料理食べつくし」「究極の卵かけご飯」などのコースを回ります。

熊本市の城彩苑で開かれたプロジェクトの発表会では、グルメタクシーもお披露目されました。天井にくまモンがつき、「空車」の代わりに「空腹」の表示が出るなど、遊びごころがある車両となっています。

このほか、江戸時代から細川家に伝わる料理指南書「料理方秘」などをもとに復活させた肥後藩の「本丸御前」(写真右下)や八代市の食材を使った花見弁当「白鷺御前」をグルメフェアや催事で販売します。

くまもとグルメプロジェクトの公式サイトは yubiyubi.png こちら

福島、熊本の復興祈り水前寺成趣園に八重桜を植樹       2017年3月25日

170325harukaA.jpg東日本大震災からの復興のシンボルとなっている新種の八重桜「はるか」が、熊本市の水前寺成趣園に植樹されました。

水前寺成趣園の桜の広場に関係者およそ50人が集まり、「はるか」を福島県から全国に届けている「fukushimaさくらプロジェクト」から成趣園内にある出水神社に苗木3本が贈呈されました。春の水前寺まつりが開かれたのにあわせ、小野泰輔副知事や熊本市の大西一史市長らが、東北と熊本の復興を祈念して苗木を植樹しました。

「はるか」は、森林総合研究所が開発し、福島県に贈られた新種の桜です。淡いピンクの花弁が重なる艶やかな八重桜で、成木でも7メートルくらいにしかならず 、さまざまな場所に植樹できます。福島と東北を応援するシンボルとして、「はるかかなたの未来にまで広がって欲しい」という想いを込めて、大河ドラマ「八重の桜」主演の綾瀬はるかさんが命名しました。福島では復興への決意を新たにするため、「プロジェクションマッピング はるか」というイベントが毎年春に行われています。

公共工事の価格算定基準を変更 復興を急ぐのに作業量を減らすワケ  2017年2月1日

阿蘇大橋付近国道57号.jpgのサムネイル画像国土交通省は2月1日契約分から、熊本地震からの復旧・復興を進めるため、公共工事の予定価格を決める根拠となる算定基準を変更しました。公共事業の費用を見積もる際の土木作業員の1日あたりの標準作業量をこれまでより2割減らし、共通仮設費と現場管理費を1割引き上げて計算するようにします。国交省が基準を変えるのは東日本大震災以来です。

熊本では復旧・復興工事が本格化するにつれ、足場や通行規制のバリケード、作業員の詰め所といった工事に必要な資材や機器が不足してきているほか、重機やダンプカーの確保がしにくくなっているといいます。工事完了後は撤去される仮設機器のレンタル費用や、工事現場の維持管理費を実態にあわせて1割引き上げる、というのはわかるのですが、復旧・復興を進めるためなら土木作業員の作業量は増やすべきなのに、逆に2割も減らすのはなぜでしょう。

阿蘇の地割れ.jpgそれは、復旧・復興工事に携わる作業員の作業効率が、資材や機器の不足によって下がっているからです。例えば、地震でがけが崩れて落ちてきた100立方メートルの土砂を取り除くとします。通常、ひとりの作業員が1日で1トンを取り除けるとすると、10人が10日で取り除くことができます。ところが、ダンプカーが確保できないとこうはいきません。10人で1日かけて10トンの土砂を取り除いても、その土砂を別の場所に運ぶダンプカーが来ないと、土砂は現場近くの道路わきに積み上げられたままになってしまいます。取り除いた土砂を積み上げておく場所がなくなれば、土砂を除去する作業は止まってしまいます。

ダンプカーが来ないために作業が3日遅れたとします。ダンプカーが来て土砂を運び去ってくれればすぐに作業を再開できるよう、この3日間も作業員は現場に待機していますから、日当は当然支払われます。作業員の日当が1万円とすると、当初の予定では100万円(10人×10日×1万円)と見積もっていた作業員の人件費が、130万円(10人×13日×1万円)かかってしまいます。

公共工事は国や地方自治体が予定価格を決めて入札を行い、予定価格に一番近い価格を示した業者が請け負います。役所は算定基準に従って予定価格を決めます。これまでの算定基準だと、役所は例にあげた土砂の除去作業の人件費を100万円と見積もりますが、実際には130万円かかるとなると、業者は札を入れようとしません。つまり、これまでの算定基準ではいくら工事を発注しても引き受け手が現れず、なかなか工事に着手できずに復旧・復興が遅れてしまうわけです。2016年12月の熊本県発注の公共工事では、引き受け手が現れずに入札の2割が不調に終わっています。10月にはこの割合は1割以下でしたから、引き受け手が出ないケースが急増していることになります。

県軍商店街.jpgのサムネイル画像国交省の担当者は「業者も熊本の復旧・復興に協力したいと思っていて、利幅が薄くても引き受けてくれています。しかし、さすがに赤字になることが分かっている工事には札を入れてくれません。作業員の効率を引き下げれば予定価格は上がり、結果的に復旧・復興工事が円滑に進むようになるはずです」と話しています。今回の基準の改定は国が行う公共工事の基準ですが、県や市町村の算定基準は国の基準にあわせるのが普通なので、すべての公共工事に同じ基準が適用されるようになるとみられます。

これで遅れが出ていた道路や橋、トンネルなどの復旧工事が進むことになればいいことです。事業者が赤字になるのを防ぐため作業員に残業を強いるといったことも耳にしますが、労働環境も改善につながるかもしれません。一方で、業者が公共工事を多く引き受けるようになれば、工場や店舗の再建といった民間の工事の引き受け手が減ることも考えられます。民間の工事で作業員に払う日当も高くなり、工事費が見積もりをオーバーしたり、予算不足で工事を延期したり再建を断念したりする、といったケースが出てくるおそれがあります。

(文章と写真は関係はありません)

益城町で地震で延期されていた町の文化祭           2017年1月14日

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熊本地震の前震から9か月目となる14日、益城町で地震の影響で延期となっていた町の文化祭が開かれました。益城町文化祭はこれまで毎年10月に開かれていましたが、2016年は町の多くの人たちが被災したため、開催が延期されていました。

舞台では詩吟や能楽などの伝統芸能に取り組む21団体約180人が、日ごろのf練習の成果を披露した。小学生たちが「益城がんばるもん!」と声を合わせる和太鼓演奏も披露されました。例年、ステージ部門と同時に行われていた展示部門は、地震の影響で準備が遅れたこともあり、3月に改めて行われます。

「熊本モデル」復興住宅2棟 益城の仮設団地で一般公開     2017年1月14日    

熊本地震で被災した世帯の再建モデル住宅となる「くまもと復興住宅」のモデルハウスの第2号棟が益城町のテクノ仮設団地に完成し、一般公開されました。県建築士会を中心とした「建築士会・復興の家グループ」が建設しました。モデル住宅は、毎週水曜日をのぞく午前10時から午後6時まで公開されます。

くまもと復興住宅は、県内の建築団体などでつくる県地域型復興住宅推進協議会が①熊本の地域産材を活用し②地震に強く③良質でコスト低減に配慮している――の3点を認定した木造住宅です。価格を抑える一方で建築基準法で定められた基準の1.5倍、震度7に耐え得る強度を持つよう設計されています。1号棟は県内64の工務店でつくる「熊本工務店ネットワーク」が2016年10月19日に上棟式を行い、内装などの仕上げを終えて12月2日から一般公開しました。

テクノ仮設団地の展示場では、五木村の材料を使った五木源(ごきげん)住宅に関わる設計者、施工者らの「五木源住宅復興支援チーム」が、葉枯らし乾燥材をふんだんに使った第3号を建設中です。

【復興住宅第1号棟(基本価格1000万円=税別)】

161202moderuA.jpg木造平屋、床面積約80平方メートルの2LDKで、6畳の和室、寝室のほかウオークイン・クローゼットを設けています。県産のスギやヒノキ、和室の畳表も県産のイグサを用いています。

【復興住宅第2号棟(基本価格960万円=税別)】

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63.76平方メートル、2LDKの木造平屋建てで、県産のスギやヒノキを使い、田園風景になじむ外観やふた間続きの和室、広い土間など、和風のつくりが特徴です。畳表は県畳工業組合から提供を受けました。

【復興住宅第3号棟(1000万円)】

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県立図書館が一般書籍の貸し出しを再開         2017年1月6日

170106tosyoA.jpg熊本地震の影響で一部利用ができなくなっていた熊本県立図書館が、約70万冊の一般書籍の貸し出しを再開しました。

県立図書館は熊本地震で照明器具が落下したり、およそ100万冊にわたって書籍が散乱したりする被害を受けました(写真上)。復旧工事を進めた結果、70万冊の一般書籍の整理がつき、貸し出しができるようになりました。

ただ、館内はなお工事中のため、当面は利用者は書架で本を探すことはできません(写真下)。仮閲覧室で専用のパソコンを使って読みたい書籍を検索し、希望の書籍を職員に伝えると、職が代わりに本を探し出す仕組みにします。県立図書館では「しばらくは仮閲覧室を使うため非常にスペースが狭く、ご迷惑をおかけすることも多いかと思いますが、多くの人に利用してほしい」と話しています。県立図書館は今年4月の全面再開を目指しています。

西原村の全世帯被災地区でそば打ち交流会          2016年12月26日

161225sobaA.jpg西原村で被災した住民たちの交流の場を作ろうと、そば打ちの交流会が開かれました。

交流会が開かれたのは、西原村鳥子葛目地区にある葛目公民館です。この地区では10世帯のうち4世帯が全壊、残り6世帯も大規模半壊または半壊の被害を受けました。熊本地震以降は地区外の仮設住宅などで生活している人もいて、地域の人が集まる機会が減っています。

このため、地域の人が減った地区で交流の機会を作ろうと、西原村在住の大学生、寺本わかばさんが交流会を企画。この日は仮設住宅に住む人も参加して、職人から教わりながらそば打ちに挑戦しました。出来上がったそばはその場でゆでられ、集まった人で食べました。

参加した人たちは「久しぶりに(皆さんの)顔を見て、元気そうで何よりです」「住み慣れた土地で見慣れた人たちと会って交流するのはいいことですねえ」と楽しそうでした。企画した寺本さんは「(地震で)人が少なくなって寂しいという声を聞いていたので、みんなで何かしたいと思った」と話し、今後もほかの地区や仮設団地を巡回し、交流会を開くつもりです。

赤ちゃん守る最後の砦 市民病院のNICUとGCUが再開        2016年12月26日

161219sinseiji.jpg熊本市民病院は、熊本地震以降受け入れを中止していた新生児集中治療室(NICU)9床と新生児治療回復室(GCU)5床を26日に再開しました。

市民病院は1998年(平成10年)に県内で初めてNICUを設置。地震前は県内48床中18床が同病院にあり、超早産児や心臓に疾患のある赤ちゃんなど年間約300人を受け入れてきました。周産期医療の中核を担い、赤ちゃんの命を守る最後の砦だったわけです。特に超早産児、1000グラム未満で生まれてくる赤ちゃんの6~7割は市民病院が診ていたそうです。

しかし、熊本地震の影響でNICUとGCUが入っていた病棟が被災して使えなくなったため、地震の時に受け入れていた38人の赤ちゃんは県内外のほかの病院に緊急搬送され、機能を止めていました。使用可能な別棟の事務スペースの一部を改装し、ベッドや機器類を移して再開にこぎつけました。12月17日に再開されるNICUを視察した熊本市の大西一史市長は「実際に機能が失われて、改めて熊本市民病院が周産期医療を担ってきた役割が非常に大きかったということが分かった」と話しました。

県内のNICUは熊本市民病院の被災を受けて、福田病院と熊本大病院が3床ずつ増床しており、今回の再開で県全体で45床にまで回復します。

益城町の障害者自立支援施設再建へ 九州ラーメン党が奔走  2016年12月12日

161212ramen1.jpg熊本地震で全壊した障害者自立支援施設で、作業所の再建工事が始まりました。

自立支援の作業所は、益城町木山でNPO法人「そよ風福祉作業所」が運営してきました。このNPO法人は、ラーメンを通じて被災地の支援を行っている「九州ラーメン党」が立ち上げ、障害者を雇用して弁当や惣菜の製造販売をすることで障害者の働き口を確保し、自立を支援してきました。

しかし、4月の熊本地震で作業所は全壊してしまいました。九州ラーメン党は再建に奔走し、これまで支援活動を行ってきた東日本大震災の被災地などから逆に支援の手が差しのべられ、作業所の再建にこぎつけることができました。

濱田龍郎代表は「熊本城もそうだが、益城町も復興のシンボルとして全国にアピールするような福祉村を作っていきたい」と話しています。作業所は12月末には完成する予定で、2017年4月には、同じ敷地に九州ラーメン党の店舗や民間ボランティアの拠点も設けられる予定です。

みんなの善意と力を合わせれば...御船町で農業用水の復旧作業 2016年12月3日 

161203nougyouboraA.jpg熊本地震とその後の大雨で使用不能になった 農業用水路を復旧するボランティア活動が御船町で行われました。

農家の支援活動などをしている「ふるさと発復興会議」が主催したもので、約50人のボランティアが参加しました。御船町と住民との座談会の中で、「農業用水路が石などが詰まって使えなくなっている」との意見がでたことから復旧作業を行うことになり、参加したボランティアは水がない用水路に入ってスコップなどで次々に石をかき出していました。

ふるさと発復興会議の河井昌猛議長は「できることから順番に片付けていき、少しでも農家の人にやる気を出してもらって、『どうにか解決できる』という思いをもって前向きになってもらえたら」と話しました。今後、御船町以外でも支援活動を行っていくということです。

水前寺競技場 地震から7か月半を経て一部再開      2016年12月3日

161203suizenjiA.jpg熊本地震で壁が崩れたり、観客席にひびが入ったりするなどの被害を受け閉鎖していた熊本市の水前寺競技場で、ようやくトラック部分の利用が再開されました。再開初日は朝から再開を待ちわびた高校の部活動の生徒たちが競技場を訪れ、練習に汗を流していました。生徒の一人は「今まで学校の駐車場で練習していたので(スパイクを履けなかった)。スパイクを履いてスタートの練習をしたい」と意気込んでいました。

利用できるようになったのはトラック部分のみで、芝のフィールド部分は張り替え工事のため来年8月頃まで使用できません。観客席にはまだブルーシートがかぶせられています。利用時間は午前8時半から日没までで、料金は1回100円、高校生以下は50円です。

地震で牧場が使えない大学と開園できない動物園が連携      2016年12月3日

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熊本地震の影響で南阿蘇村の牧場が使用できない東海大学農学部の学生が、やはり地震の影響で休園中の熊本市動植物園で実習を行いました。実習先を探していた大学側の要請を受け、動植物園が動物ゾーンの一部を提供して実現しました。

実習を行ったのは応用動物学科の2年生90人です。学生たちは聴診器を使ってヒツジとヤギの体調を確認するなどしていました。学生の一人は「熊本地震以来初めて羊と触れ合うことができました。相変わらずかわいいです」と笑顔を見せていました。

動植物園の松本充史さんは「学生たちは動物のことを学びたくて大学に入ったと思うので、実習の体験を通じていろいろなことが学べるいい機会になってもらえれば」と話していました。動植物園での実習は今後も続けられます。

新しい天草1号橋「がんばろう熊本」がっちり握手      2016年11月28日

161128amakusaA .jpg2018上天草市と宇城市を結ぶ新しい天草1号橋(新天門橋)のアーチ部分がつながりました。結合部分には「がんばろう熊本」の大きな横断幕がつけられ、熊本地震からの復興に向けた思いをアピールしています。

新天門橋は熊本天草幹線道路の大矢野バイパスの一部となる予定で、現在の天草1号橋(天門橋)の北側に建設されています。新しい天門橋の長さは463mで、県が約80億円をかけて建設中です。当初は2017年3月下旬に完成する予定でしたが、熊本地震の影響などで工事が遅れ、2018年3月の完成、4月からの供用開始を目指しています。

台湾からのモニターツアーをくまモンがおもてなし       2016年11月28日

taiwan.jpg人吉市を訪れた台湾からのモニターツアー客の歓迎セレモニーに台湾でも大人気のくまモンが登場し、観光客をもてなしました。

モニターツアーは、一般に認知度が低い観光地や地域の特産品を紹介して参加者の感想を聞き、今後の観光客の誘致につなげる「お試し」ツアーで、一般的にあまり知られていない観光地や、地域のこだわりの食事をたっぷり味わってもらうのが特徴です。

今回のツアーは九州フィナンシャルグループ(FG)が熊本県や鹿児島県と協力し、台湾の富裕層向けに企画しました。松岡隼人人吉市長のあいさつの後、くまモンが登場すると大きな拍手が起き、あちこちで記念撮影の輪ができました。

人吉市など県南部は熊本地震の被害はほとんどなかったにもかかわらず、地震後は外国人観光客を中心に客足の落ち込みが目立っています。九州FGは外国人観光客を呼び込むことで、南九州エリアの経済活性化につなげていきたいと話しています。

益城町で仮設入居者と児童が交流会 1日限定スタバも     2016年11月27日

161127sutabamasiki.jpg熊本地震を受けて学校敷地内に建設された益城町の飯野小仮設団地の入居者と、飯野小学校の児童の交流会が飯野小で開かれました。団地住民と子どもたちが一緒に楽しめるようにと、三菱地所レジデンスや日本ペイントホールディングスなど複数の企業が協力して実現したものです。

飯野小の体育館ではコーヒーチェーン大手の「スターバックス」が1日限定のカフェが開き(写真左)、入居者など参加者がオリジナルのコーヒーを味わっていました。一方、仮設団地の「みんなの家」では、子どもたちが代わる代わるローラーやはけを使ってペンキで部屋の内壁に、校区のシンボルの飯田山や学校の校舎などを描いていました。

参加した入居者は「仮設に入って5か月になる。こういうイベントがあるといい」と話していました。交流イベントは来年以降も行われる予定です。

熊本市内のシネコン ようやく営業再開       2016年11月23日

1123sinekonA.jpg熊本地震の影響で休館中だったシネプレックス熊本(熊本市中央区大江)が、劇場名を「ユナイテッド・シネマ熊本」に変更し、約7か月ぶりに営業を再開し、早朝から行列ができるなど多くの人が訪れました。

シネプレックス熊本は熊本地震で建物の一部が壊れ、4月15日から休業していました。当初の12月の営業再開予定を前倒しし、11月23日から5スクリーン、26日からは9スクリーンで営業を再開。12月16日には座席の動きや風、水などの特殊効果で臨場感を高めた県内初の4DXシアターを導入して全館での営業となります。県内のシネコン営業再開は3件目ですが、熊本市内では初めてとなります。

12月15日までは震災復興特別チャリティー上映会として休館中に上映できなかった「名探偵コナン 純黒の悪夢(ナイトメア)」など9作品を一律500円で上映します。収益の一部は被災者支援のため県に寄付されるということです。

願いを込めて児童がサクラを植樹 託麻東小         2016年11月22日

161122sakura.jpg熊本市東区の託麻東小学校で、全校児童950人全員が参加して、復興への思いを込めて校庭にサクラを植えました。

「熊本城が元に戻りますように」「大きくなりますように」「熊本が元に戻りますように」...

子どもたちは小さなスコップで順番にサクラの若木10本に土をかけながら、木に願いを込めました。サクラの木は来年春には花が咲くということです。

学校では、子どもたちが大人になる十数年後にサクラの花を見に来たときに、地震で気づいた感謝や絆、希望の大切さを思い出してほしいと考えたということです。

子どもたちが歌う地震まで「気づかなかったたいせつなこと」  2016年11月22日

161112issinutaA.jpg熊本地震で一時1600人が避難していた熊本市中央区の一新小学校で開かれた音楽会で、4年生が熊本地震を通じて得た自らの思いを歌詞にしたオリジナル曲を披露しました。

♪ いくつ朝が来れば 地震はおさまるの

♪ 夜になると思い出して 不安になってしまうの

タイトルは「気づかなかったたいせつなもの」。歌詞に込められているのは子どもたち一人ひとりの思いです。

「水とか食べ物の列に並んで給水車が来るのを待つのが大変でした」「地震なんて来なければよかった」「今の生活ができることがしあわせなことだったんだと思いました」

経験したことがない地震への恐怖。当たり前だと思っていた日常の大切さ。そして支援してくれた人たちへの感謝の気持ちでした。 

♪ 当たり前に過ごせる毎日が 幸せだったことに気づいたよ 

♪ 支えてくれたたくさんの人たちに 伝えたい ありがとうと

♪ このうたに願いを込めて

子どもたちの思いが詰まった歌が体育館に響きました。

益城町の「あの味」が地震乗り越え玉名市で再起    2016年11月21日

161124chikinA.jpgコッコローチキンは、国産の若鶏の中にニンニクや香辛料などを詰め込み、秘伝のタレで焼き上げた鶏の丸焼きです。益城町では松下瑞樹さん、亜希子さん夫妻が、亜希子さんの父の代から34年間店を営んできました。

しかし、4月の熊本地震の2度にわたる激しい揺れは、松下さんの自宅と店舗を直撃しました。自宅は地盤が沈下して床が傾き、玄関の階段も沈み込みました。プレハブで建てられた店舗(写真右上)は、店ごと1メートルも前に飛び出しました。ライフラインも寸断され、店の再開は難しい状況になってしまいました。家族の生活も車中泊からテント生活、さらには体育館の避難所へと転々。松下さんは益城町を離れる苦渋の決断をしました。

地震から7か月がたち、コッコローチキンは瑞樹さんの故郷、玉名市に店を移して、ようやく再開しました(写真右下)。店の顔である看板(写真左)は、益城町の店舗のものを取り外して取り付けました。

営業再開初日。新天地だけに不安もありましたが、「あの味」を待ちわびたお客さんからの予約が相次ぎ、60羽分用意した丸焼きは1時間もせずに完売。亜希子さんは「『場所が変わってもいいからお店を開いて』と多くの人が励ましてくれました。(再開を)待ってくれていたおお客さんもいて、本当にありがたいです」と感謝していました。

松下さん夫妻は「先のことはどうなるかわからないけれど、益城のお客さんにも販売できるよう、どうにかしていきたい」(亜希子さん)と、益城とのつながりを忘れずにいるつもりです。

コッコローチキンのホームページ は yubiyubi.pngこちら

「カッパの本屋」7か月ぶりに営業を再開      2016年11月18日

161118MARUBUNa.jpg熊本地震で被災し休業していた「カッパの本屋」として知られる熊本市の「金龍堂まるぶん店」がおよそ7か月ぶりに営業を再開しました。

熊本市中央区の上通アーケードにある金龍堂まるぶん店は、熊本地震で建物にはひびが入ったほか、雨漏りで商品の書籍約300冊の処分を余儀なくされ、修復や品ぞろえのため地震からずっと休業していました。営業が再開された18日朝には再開を待ち望んでいた客が列を作り、開店と同時にお目当ての本を買い求めていました。

店のシンボルとなっている3体のカッパ像も久しぶりに登場し、カッパを撮影する客の姿も見られました。店を訪れた人は「いつもは全然気に留めることなく(カッパ像を)見ていたんですが、見えなくなるとこんなにさびしいんだってすごく思いました。(また姿が見られて)うれしいですね」と話していました。

荒川俊介店長は「7か月ぶりに、やっとこの日が来て非常に感慨深い。カッパも今までと変わらず店の前でみなさんをお待ちしています」と再開の喜びを語っていました。

益城町の県道3.5キロを4車線に拡幅へ           2016年11月17日

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熊本市と益城町を東西に結ぶ県道熊本高森線の益城町広崎~寺迫間3.5キロが、現在の片側1車線(上下計2車線)から2車線(同4車線)に拡幅されることになりました。益城町などの要望に対し、蒲島知事(写真右中央)が「益城町の復興は県全体の復興であり、県が先行して整備することを約束する」と述べました。県は4車線化に向けた調査などを予算化する方針です。

県道熊本高森線は熊本市中心部では4車線化され、市電も通る「電車通り」となっていますが、現在は益城町に入ると車線が狭くなっています。拡幅されるのは熊本市東区と益城町の境界から、国道443号の交差点までです。

県と益城町が合同で12月9日から開いた住民への説明会(写真右)では、道幅を現在の2車線10メートルから、歩道も含めて27メートルに広げる計画などが示されました。沿道には約300戸の住宅や店舗などがあり、県は益城町と協力しながら用地買収を進めていく方針です。説明会では店舗兼住宅が対象となった住民から「移転しかない」「4車線化は当然と賛成しているが、自分たちが住む家まで引っかかるとは思っていなかった」などの声もあがっていました。

完成までには10年ほどの期間を要し、100億円以上の事業費が見込まれています。国の補助金を活用するため、県は新たにこの区間を「益城中央線」として、2016年度内に国の認可を得たい考えです。道路インフラの整備は熊本地震の被害が大きかった益城町の復興に向けた起爆剤としての役割が期待されています。

地震からの復興テーマに「高校生フェス」             2016年11月13日

161113koukoufesu.jpg県内の私立高校で学ぶ高校生が企画・運営する「第5回くまもと高校生フェスティバル」が熊本市中央区の花畑広場で開かれました。今年は「熊本地震からの復興」をテーマに、城北高校と九州学院高校の生徒がボランティア活動の成果などを報告しました。

パネルディスカッションでは佐賀県から参加した生徒が「熊本県外では熊本地震に関する情報が少なくなっている」と問題提起しました。参加者は「高校生の自分からも発信することが大事」などと、活発に意見を交わしていました。

阿蘇に地震後初の修学旅行生 沖縄の中学校から     2016年11月9日

161110asoryokou.jpg熊本地震後、阿蘇地域に初めての修学旅行生が訪れました。沖縄県南風原町立南風原中学校の3年生245人で、阿蘇市に入り、大観峰などを訪れました。地震後初めてということで、くまモンも「ようこそ阿蘇へ」と出迎えました.。

熊本県によると、一連の地震や阿蘇噴火の影響で修学旅行のキャンセルは県内でのべ1万8000人にのぼっているということです。

当店自慢の一品いかが 復興に向け大阿蘇ジャンボリー     2016年11月6日

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熊本地震で被災した阿蘇の旅館や飲食店など約120の団体が集まって自慢の商品を販売する「大阿蘇ジャンボリー」が開かれ、多くの人でにぎわいました。

地震以降休業が続く南阿蘇村の地獄温泉からは老舗の温泉旅館「清風荘」が出店し、特製の味噌に野菜をふんだんに使った豚汁を販売しました。このほか、大きな被害を受けた阿蘇神社の復興に売上の一部を寄付する「蛍丸サイダー」なども販売され、復興を後押ししようと多くの人が買い求めていました。

蛍丸サイダーの記事は yubiyubi.png こちら

阿蘇神社 楼門の復旧工事始まる            2016年11月1日

161031asojinjaA.jpg熊本地震で14棟が大きな被害を受けた阿蘇神社で、国指定重要文化財の楼門など6棟の復旧工事が2016年11月1日から始まりました。10月31日には工事の安全を祈る神事が行われました。

阿蘇神社.jpg楼門は部材を極力再利用するため、12月1日からは解体後の部材を雨風から守るため屋根付きの仮囲い(縦横25メートル、高さ9メートル)で覆う作業が始まりました。楼門は1年かけて手作業で解体されます。

2022年度中に復旧を終える予定で、阿蘇神社が完全に熊本地震前の姿に戻るのは、順調に進んでも5年以上かかることになります。

拝殿など文化財指定を受けていない6棟については、2020年度までに復旧する計画です。6棟のうち全半壊するなどした拝殿や回廊など5棟は解体した上で18年度末にも再建にとりかかり、20年度中の再建完了をめざします。会議や研修で使う斎館(一部損壊)は補修を施す予定です。

拝殿の再建に6億3600万円、修復工事6200万円、鳥居などの復旧工事に1億円を見込んでいます。国の重要文化財に指定されている6棟などを含めた復旧費の総額は17億円を超えると試算しています。

拝殿など国の重要文化財指定のない建物の修復・再建費用は寄付などを募って賄う計画です。県は被災した宗教法人に寄付すると税の優遇措置が受けられる「指定寄付金制度」の第1号に阿蘇神社を指定しており、これを活用して費用の半額程度を賄いたい意向です。

どうさばく3兆7850億円の復興需要 要員確保が課題に       2016年10月27日         

熊本県は将来の建設産業の担い手確保に向けて「建設産業イメージアップ戦略」を進めています。建設産業の力、県民の安全・安心を支える仕事の魅力を広く知ってもらおうと、10月27日にはPR動画を制作しました。

地震発生直後は全国から復旧応援に多くの人が集まりました。インフラがほぼ復旧すると、こうした応援要員は次第に減っていきますが、復興の取り組みはむしろ、これからが本番です。一連の地震による被害額は熊本県の試算で3兆7850億円。元に戻すだけで、コストダウンせずに2020年の東京五輪が開催できるだけの予算が投入される計算です。復興は息の長い取り組みとなります。大きな課題として浮上しているのが復旧・復興要員の確保です。

161021DOBOKUa.jpg10月25日には熊本市内の高校で土木を学ぶ高校生たちが、熊本地震で大きな被害を受けた現場を見学しました。被害の現場を訪れたのは、熊本農業高校、開新高校、熊本工業高校の農業土木科や土木科の生徒たちです。

熊本地震からの復旧・復興に向けて、県内では建設土木工事が増加しています。しかし、高校で土木を学ぶ生徒の3分の2は土木や建設業界に進まないといいます。9月の熊本県の有効求人倍率は復興需要に押し上げられて過去最高の1.38倍に上昇し、統計を取り始めた1963年(昭和38年)以来、初めて全国平均に並びました。この見学会は被災地を見て就職先として考えてほしいと、熊本県建設業協会が企画しました。

南阿蘇村の大規模な土砂崩落現場を訪れた生徒たちは、県の担当者から被災の現状を聞きながら、被害の様子を確かめていました。多くの生徒は被災現場に初めて来たということで、変わり果てた風景に息をのんでいました。土砂崩れで道路が寸断され、いまだに復旧作業が始まっていない現場も見学したほか、楼門が倒壊するなど大きな被害が出た阿蘇神社も見学しました。

見終わってから「道路整備などの仕事がしたいと思った」「早く土木を勉強して将来役に立てるようにしたい」と話す生徒もいました。自分の目や耳で被災現場を体感し、自分たちが学ぶ土木の重要性を感じた高校生たち。この日学んだことはレポートにして、今後の勉強に生かしていくということです。

「少しでも恩返し」鳥取地震被災地にブルーシート7000枚  2016年10月23日

161024buru-si-to.jpg21日に発生した鳥取県中部地震を受けて、熊本県はブルーシート7000枚を鳥取県倉吉市へ届けました。

鳥取県では地震によって383棟の家屋で瓦が落ちるなどの被害があり、震度6弱を観測した倉吉市役所では、地震直後からブルーシートを求める人の長い行列ができました。熊本県は、地震が発生した21日夜、熊本地震で全国から寄せられ備蓄していたブルーシートを現地に送り出すとともに、2人の職員を被災地に派遣しました。

ブルーシートは23日に到着し、熊本県公務員課の佐藤豊主幹は「(熊本地震で)いただいた支援に少しでも恩返しできるようにという思いもあって、取り急ぎ持参した」と話しました。

また、熊本県教育委員会も子どもたちの心のケアや学校での避難所運営を支援するため、職員2人を2回派遣し、第1陣は24日から現地で活動を始めました。

熊本大学が益城町に「ましきラボ」 復興支援拠点に      2016年10月19日

001.jpg熊本大学が益城町の復興に寄り添う拠点として建設していた「ましきラボ」が秋津川河川公園内に完成し、開所式が行われました。式典にはラボを設立した熊本大の原田信志学長や、益城町の西村博則町長が出席。原田学長は「この場所が、被災地に寄り添うための拠点となることを目指す」と話しました。

「ましきラボ」は広さ15平方メートルのコンテナが2棟とウッドデッキのオープンスペースが設けられています。役場だけでは拾いきれない住民の要望や意見を熊本大などの専門家が聞いたり、学生ボランティアが支援拠点として使ったりする役割を担います。当面は毎週土曜日午後、学生や教員が交代でラボに待機する予定です。

熊本市で熊本地震の慰霊祭しめやかに         2016年10月15日

熊本地震から半年がたつ中、熊本市で慰霊祭が行われ、遺族や市民などが黙とうをささげました。

母親を亡くした遺族代表の冨永眞由美さんは「お別れの言葉」のなかで「私たちが亡くなった家族の意思をしっかりと受け継ぎ、これまで以上に元気を出して生きることが心の傷跡を癒し、地震の傷跡を修復し、さらには熊本を発展させることにもなると思います」と述べました。大西一史市長は「一日も早く震災前の安心な暮らしを取り戻せるよう全力を注ぐ」とあいさつしました。

熊本地震ではこれまでに関連死を含め110人が亡くなっており、そのうち熊本市では47人が亡くなっています。

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被災した神社に活気を 熊本市で高校生が土俵づくり     2016年10月13日放送

161013dohyouA.jpg熊本市にある小さな神社で、子どもすもう大会の土俵が新しくなりました。作り直したのは、建築を学ぶ球磨工業高校の生徒たち。熊本地震で被災したこの地域に元気を届けたいと汗をかきました。

熊本市東区画図(かず)町にある下無田(しもむた)神社は、地域の氏神として親しまれてきましたが、熊本地震で鳥居や狛犬が倒壊するなどの被害を受けました。この神社では毎年10月に子どもすもう大会が開かれていますが、20年以上前に地元の消防団員が造った土俵にも苔が生えてしまっていました。このままでは地域の活気が失われてしまう――。復興の足がかりになればと、球磨工業高校建築工学科の生徒が改修を引き受けました。建築工学科教諭のの髙松孝規さんは「地域の方と一緒に作業をすることで、自分たちが勉強していることが役に立つという実感が得られると思う」と話します。

改修は、土間を作るのに使われた「三和土(たたき)」と呼ばれる工法で行われました。丁寧に掘り起こした土を伝統的な道具でたたき、固めていきます。近くに住む子どもたちもお手伝い。土俵を囲む俵には校区の綱引き大会で使っていた大綱が使われ、見事な土俵が蘇りました。

仮設住宅の運営で福島から益城にアドバイス         2016年10月13日

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東日本大震災や福島第一原発事故の影響で、いまだに避難生活を送っている福島県の仮設住宅の自治会長が13日、益城町の広崎仮設団地を訪問しました。

益城町を訪れたのは、福島県の富岡町緑ヶ丘応急仮設住宅自治会長の北崎一六さん(写真右から3人目)です。北崎会長は震災直後から約5年半にわたり、仮設住宅団地の自治会長を務めていて、その経験を益城町の仮設団地の自治会長に伝えるため訪れました。

北崎会長は東日本大震災の発生から半年後に自らが直面した課題について、「仮設住宅の中に派閥ができると、住民同士のコミュニケーションが減り、孤独死につながる。自治会が派閥をうまく取り込む必要がある」と伝えました。これに対して広崎仮設団地の田原八十八自治会長は「自分は毎日、各世帯を回って安否を確認している」「今、仮設住宅に住んでいる53世帯が友人になって(まとめて)復興住宅に入るというのが最終的な目標です」と語りました。

店と自宅を失った女性理容師 仮設団地で「交流の店」再開   2016年10月13日放送

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経営していた理容室と自宅を熊本地震で同時に失った1人の女性が、仮設団地に店を再開させました。

理容師の吉本洋子さん(63)は、仮設住宅で建設業を営む夫と2人で暮らしています。地震の前には益城町に理髪店を持ち、客のほとんどは顔なじみの近所の人たち。吉本さんとの会話を楽しみに訪れる人も多くいました。

161013tokoyaB.jpgのサムネイル画像のサムネイル画像しかし、地震で理容室の建物は傾き、中に入ることはできなくなってしまいました。さらに地震から2か月がたった7月、傾いた店は無残にも崩れ落ちてしまいました(写真左上が地震直後、下が7月の店)。「お店はもうあきらめるしかなかった。夢にも思わないことでした」という吉本さん。家も大規模半壊とされ、自宅と理容室を同時に失ったときは「気持ちが空洞になる感じもあった」といいます。

吉本さんは「地震ですべてを失ったからこそ、同じように傷ついたお客さんの気持ちを和らげることもできる」と考えました。

思い出が詰まった理容室の建物にはハサミや鏡などの商売道具が残ったままでしたが、吉本さんは理容師の組合から必要な道具を借りて、仮設住宅の中で店を再開させることにしました。

昔からの常連客は「いきつけでないと。やっぱり奥さんがよかですよ」と、仮設の店を訪れてくれます。吉本さんは、聞かれればつらい体験もいとわず話します。常連だった人が訪れてくれる一方で、仮設団地に顔なじみの人はほとんどいませんが、それはほかの入居者も同じ。吉本さんは「(かつて)近所の人が(団地に)いても会うまでわからず、お互いにここだったのって(驚く)ことも。お店を髪を切るだけでなく、仮設団地で暮らす客同士が交流できる場にしたいと考えています」と話します。

仮設住宅には、18年間腕を振るった理容店の看板(写真下)が大切に保管されています。

「宝物ですよ。これがあったから今までも張り合いがあったし、今からも張り合いを持ってやっていきたいと思います」

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熊本大学生が仮設住宅の住民動向調査         2016年10月11日放送

161011KUMADAICYOUSAa.jpg益城町の仮設住宅を熊本大学の学生が訪問し、住民のニーズを聞き取る調査が続けられています。

益城町の仮設住宅に住む人への聞き取り調査は、益城町から委託を受けた熊本大学の円山研究室の学生たちが6月末から始めました。仮設住宅を退去後に必要となる災害公営住宅の戸数や、入居を希望する地域を事前につかむことなどが目的です。

これまでの大学の調査で、仮設住宅に住む世帯のうち7割を超える世帯が、退去後も益城町での生活を希望していることがわかっています。益城町は、今年12月に策定する復興計画に、今回の調査結果を反映させる方針です。

大津町役場の中に南阿蘇村の駐在所          2016年10月11日

161011oozucyuuzaiA.jpg南阿蘇村は、村の外に避難している住民の相談などに応じるため、11日から避難している人が多く住む大津町役場の仮設庁舎の中に駐在所を開設しました。

南阿蘇村の立野地域は土砂崩れのおそれがあるため避難勧告が続いていて、344世帯のほとんどが地域の外の仮設住宅などで生活しています。このうち100世帯あまりが大津町で避難生活を送っているため、南阿蘇村は大津町役場の仮設庁舎の中に、村の職員が働く駐在所を開設しました。駐在所では、南阿蘇村の職員が村の外に避難している住民に、り災証明書などの説明や、最新の復旧・復興状況などの情報を提供します。

訪れた南阿蘇村からの避難住民は「り災証明の支援金の件で相談に来ました。近場で相談できるので本当に助かる」と話していました。駐在所が開設されるのは平日の月曜日と木曜日で、いずれも朝9時から夕方4時まで。駐在所の主な業務は行政手続きの相談や説明で、住民票などの発行はできません。各種の証明書は大津郵便局で受け取ることができるということです。

益城町図書館再開 被災地ならではの新たな展示も     2016年10月1日

熊本地震で大きな被害を受けた益城町図書館が1日、5か月半ぶりに再開されました。

益城町交流情報センター「ミナテラス」内にある益城町図書館は、4月の地震で本棚が倒れ、照明が落ちるなどの被害を受けました。14万冊あった本は散乱し、中には濡れてカビが生えたり、折れ曲がったりする本もあり、読めるかどうかの点検も大変でした。

161001mashikiD.jpg再開に当たって、図書館は避難所に貼ってあったものや支援物資、地震後に撮影された住宅の写真などの資料の展示を始めます。町民に地震の身近な資料の寄贈を呼びかけ、集めたもので、展示されたのはそのごく一部。残りンお資料も分類・整理した後、順次公開していく予定です。司書の西村まみさんは「被害が甚大だった益城町の図書館だからこそ、その記録を後世に残さなければいけない」と話します。

余震に備えて、図書館には来館者に貸し出すヘルメットが常備され、「揺れを感じたら棚から離れてください」という注意書きが貼り出されています。

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長かった5か月半...南阿蘇村でようやく水道 なお断水地区も      2016年10月1日

161001asomizuA.jpg160928asomizu1.jpg熊本地震の影響で、断水が続いている南阿蘇村の上水道が1日、5か月半ぶりに長野地区と袴野地区の150世帯余りで復旧しました。住民はおよそ5か月半ぶりに台所の蛇口から出る水に喜びの声をあげていました。

南阿蘇村では9月に入っても、なお8地区の690世帯、1680人に水が届かない状態が続いていました。村では水道施設の新たな水源を確保するため、地下水のボーリングを行って9月7日からくみ上げ作業を始め、水道に使用できるかどうかの水質検査などを進めていました。

その結果、被害が大きい6つの地域のうち、まず長野地区と袴野地区(地図参照)で上水道が再開できる見通しが立ち、9月29日の住民説明会で長野敏也村長が「数日中にも送水を始めたい」との考えを明らかにしていました。しかし、配水管に土砂がたまるなどしているため、この両地区でもまだ水が出ていない世帯があるということで、村では土砂を取り除くなどして、水が出る範囲を1日も早く広げていく方針です。

161001asomizuC.jpg自宅が断水しているため避難所や仮設住宅で暮らしている人もいますが、水が出ない自宅で暮らしている人も少なくありません。長野地区では長野岩戸神楽(ながのいわとかぐら)で知られる長野阿蘇神社の横に、給水所が設けられています。長野地区では地震の後、いったん水道が復旧したのですが、6月の豪雨で施設が破損してしまいました。160907asomizu4_R.jpg家屋に大きな被害がなかった住民は、水が出ない自宅で暮らしています。

81歳の女性も毎日この給水所で生活用水を確保しています。「やっぱり水が一番ですね。電気より水が一番。私のところには牛がいるので、なるべく牛に残してこの水をやると、喜んで飲むんです。何もいらん、水さえあれば、飲まれるけど」。1日1回、シニアカーに積めるだけ水を積みますが、それでも足りないそうです。

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16頭の牛を飼育している山口達志さん[60)も、水が出ない自宅で暮らしています。毎日、別の地区の湧水池まで水を汲みに行き、牛に水を飲ませています。「やっぱり牛が私たちの一番の命だから、何とか毎日水を確保して。もう大変です」。牛舎には水を自動的に流す装置をつけているところが多いのですが、水道が復旧しないために使えず、水やりは重労働です。

牛を飼育する農家には、毎日大量の水を汲みにいくのも大きな負担です。地震や大雨の被害を受け、あちこちで路肩が崩れた道路を通って、別の地区まで行き、水を確保しなければならないのです。30頭の親牛を飼育する松岡英行さん(60)は多い日は、こうした道を1日2往復します。3往復することもあるそうです。「牛も人間と同じで朝昼晩ご飯を食べて水も飲まんと、飲ませないとかわいそうなので」。松岡さんも1日も早い膵臓の復旧を切望しています。

asomizu3_R.jpg長野地区には水が出ないまま営業を続けている美容室もあります。この店の後藤良子さんは「水が命の美容室なんでどうしても必要じゃないですか。夢見ますよ。水が出る夢を」家族が毎日組んできた水を庭のタンク(写真左)に入れ、配管を通して店に流し、営業を続けています。水を汲んできてでも店を続ける理由について、後藤さんは「女の人は髪型が違うと困るので、ここと決めたらほか(の美容室)には行かれない」と話します。

公費解体に遅れ 廃棄物仮置き場が益城町に        2016年9月30日

1609302JI9.jpg地震で被災した家屋の解体が遅れています。被災した家屋の解体は公費で行われるのですが、解体で出る災害廃棄物を受け入れる場所が足りないことが一因と言われています。

県内の公費解体は約3万棟にのぼるとみられていますが、9月9日の時点で解体が完了したのは563棟にすぎません。被害が大きかった益城町では約2300棟の公費解体の申請がありましたが、29日までに完了したのは88件にとどまっています。

町が申請の受け付けを始めた6月に解体を申し込んだ家も、まだ手付かずの状態です。被災者にとって家の解体は生活再建に向けた大きな一歩になるだけに、解体工事の加速を求める声が強まっています。

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遅れの理由はさまざまですが、ある解体業者は災害廃棄物の受け入れ体制の遅れを指摘します。益城町は益城中央小学校跡地を災害廃棄物を保管する「1次仮置き場」(写真右)としていますが、運び込まれる廃棄物の量が多く、週に2日は受け入れをしていません。この業者は「受け入れ休止日に運び込まれた廃棄物を撤去してくれればいいのに、それができていないない」と指摘します。

災害廃棄物の処理は各市町村が行うのが原則ですが、熊本県は被害が大きかった益城町、南阿蘇村、宇土市など7つの市町村から委託を受け、災害廃棄物の処理を行ってきました。市町村が設置する1次仮置き場の収容能力不足を補うため、これら7市町村の災害廃棄物をさらに一時的に受け入れる「2次仮置き場」を設けることになり、益城町のテクノ仮設団地に隣接する東京ドーム2個分、9.8ヘクタールの県有地(写真下)を使って、30日から木くずの受け入れを始めました。近くコンクリートや瓦などの受け入れも始めます。

県災害廃棄物処理支援室の馬場一也室長は「1次仮置き場の負担軽減や、本格化する公費解体のスピードアップにつなげたい」と話しています。

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