熊本地震の記録

国道57号線「復旧ルート」二重峠トンネル着工式        2017年6月17日

170617kitaA.jpg170617kita3.jpg熊本地震で寸断された国道57号線の南阿蘇村北側をう回する「復旧ルート」のうち、二重峠トンネル工事で本格的な掘削工事が始まるのにあわせ、阿蘇市側で着工式が行われました。

熊本と大分を結ぶ幹線道路、国道57号線は南阿蘇村で起きた大規模な土砂崩れで通行できない状況が続いています。復旧ルートは南阿蘇村の北側を迂回して、大津町引水と阿蘇市赤水をつなぐ全長約13キロです。

2016年9月に新たな国道ルートとして国が決定しました。大津町東部と阿蘇市西部を結ぶ最短のルートとなり、そのうち二重峠トンネル区間は約3.7キロとなる予定です。

着工式には国や県、地元の関係者など約150人が出席しました。国土交通省によると、復旧ルートの完成には数年かかるということです。

知事が長陽大橋復旧工事を視察 今夏開通に向け着々   2017年6月14日

長陽大橋ルート.jpg本格的な雨のシーズンを前に、蒲島知事と地元の町村長が、熊本地震で崩落した阿蘇大橋と、代替道路となる長陽大橋ルートの工事状況を視察しました。

170614ちょうようA.jpg阿蘇大橋の崩落現場は、国道57号やJR豊肥線が通る斜面の下に、まだ大量の土砂がたまっているため、調査が始まっていない状況です。新しい阿蘇大橋が完成するまでの間、代替道路として期待されている長陽大橋ルートは工事が順調に進んでおり、2017年夏までに開通する予定ということです。

170615asosisatu.jpg現場を視察した蒲島知事は「阿蘇へのアクセスは熊本の経済にとっても、阿蘇の人たちにとっても重要な工事なので、長陽大橋ルートの完成見込みを早く出してもらったことで、それに沿って(地元が復興を)計画できると思う」と述べました。また、南阿蘇村の吉良清一村長は「夏に開通ということでほっと一安心。ことしの梅雨は降らないことを祈っている」と話しました。

南阿蘇村で九電鉄塔建設工事大詰め        2017年6月12日

熊本地震による大規模な地滑りや地割れで送電設備が大きな被害を受けた南阿蘇村河陽で、九州電力が新たに15本の鉄塔を建設しました。2017年6月に進められた高所での電線工事の様子を取材・撮影しました。

新鉄塔は2017年6月23日ごろから、南阿蘇村などの約3万2000世帯に電力を供給する予定です。

京大火山研究センター 阿蘇市の廃校校舎に仮研究棟     2017年6月12日

kyotokazan.jpg170613kyoutoA.jpgのサムネイル画像南阿蘇村で阿蘇の活動を研究している京都大学火山研究センターは、1928年(昭和3年)に業務を始め、国の有形文化財に登録されていました。熊本地震で敷地に亀裂が入ったほか、大型の地震計が壊れたり、壁が倒れたりしたほか、周辺の地滑りで研究に使うケーブルが切断するなど、大きな被害が出ました。1階の図書館は足元の地面が隆起して、まったく使えなくなっています。ただ、建物の基盤部分に大きな損傷は見られなかったことから、京大では南阿蘇村にある現在の場所にセンターを復旧させる予定です。

170612kyoudaiB.jpg京大は熊本地震後は大津町と阿蘇市の仮事務所で観測業務などを行っていましたが、2017年6月12日に2つの仮事務所を集約し、阿蘇市一の宮の廃校になった旧坂梨小学校に仮研究棟をオープンさせました。仮研究棟は鉄筋コンクリート2階建てで、地震計のデータや映像を確認する研究室などが整備されています。

京都大学火山研究センターの大倉敬宏教授は「仮とはいえ、ここは我々の研究、教育施設の最前線に変わりない。非常によい環境を与えていただいた」と話しています。

人件費上昇で契約不調が急増 国や県が対策       2017年6月2日

170602koujijouhourennrakukaigi.jpg人手や資材の不足で熊本地震の復旧工事の契約が不調に終わるケースが増えていることから、行政と業界の関係者が2017年6月2日、国や県、市町村、建設業界の関係者ら約200人が出席した会議が開かれました。

人手や資材の不足は今後も続くとみられることから、会議では、工事に優先順位をつけて発注すること、費用の見積もりで県外から人手や資材を確保する経費を上乗せする際の手続きを簡素化すること、などを申し合わせました。

国土交通省によると、2016年度には県内で1万995件の公共工事の発注がありましたが、1割以上の1132件で契約が成立しませんでした。契約不調の件数は熊本地震前の2015年度の10倍、復旧のための工事が増えた2013年の九州北部豪雨の2倍近くに達しています。

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国土交通省は2017年2月1日契約分から、熊本地震からの復旧・復興を進めるため、公共工事の予定価格を決める根拠となる算定基準を変更しました。具体的には、公共工事の費用を見積もる際の土木作業員の1日あたりの標準作業量をこれまでより2割減らします。また、足場や通行規制のバリケード、作業員の詰め所などの資材や重機、ダンプカーの確保がしにくくなっていることから、工事完了後は撤去される仮設機器のレンタル費用や、工事現場の維持管理費を1割引き上げます。国交省が基準を変えるのは東日本大震災以来です。

170602kouji1.jpg標準作業量を2割減らすのは、復旧・復興工事に携わる作業員の作業効率が、資材や機器の不足によって下がっているからです。

例えば、地震でがけが崩れて落ちてきた100トンの土砂を取り除くとします。ひとりの作業員が1日で1トンを取り除けるとすると、10人が10日で取り除くことができます。ところが、ダンプカーが確保できないと、10人で1日かけて10トンの土砂をかき出しても、その土砂を別の場所に運ぶダンプカーがないと、土砂は現場近くの道路わきに積み上げられたままになります。

取り除いた土砂を積み上げておく場所がなくなれば、作業は止まってしまいます。ダンプカーが来ないために作業が3日遅れれば、3日分の作業員の人件費が増えます。こうしたケースがいま、頻発しているのです。

170602kouji2.jpg国や地方自治体が予定価格を決める算定基準であらかじめこの分の人件費を加味できなければ、予定価格が低すぎて、業者は札を入れようとしません。国交省の担当者は「業者も熊本の復旧・復興に協力するとして、利幅が薄くても引き受けてくれています。しかし、さすがに赤字になることが分かっている工事には札を入れてくれません」と話します。

あらかじめ算定基準で作業員の効率を引き下げれば、予定価格を上げて契約不調件数を減らることにつながります。事業者が作業員にサービス残業を強いるといった事態も防げるかもしれません。

一方で、業者が公共工事を多く引き受けるようになれば、工場や店舗の再建といった民間の工事の引き受け手が減ることも考えられます。民間の工事で作業員に払う日当も高くなり、予算不足で工事を延期したり再建を断念したりするケースが出てくるおそれもあります。

(文章と写真は関係はありません)

湧水復活に感謝 池の大掃除 水前寺成趣園          2017年5月28日

170528suizenji.jpg熊本地震の直後一時池の水が枯れ、その後水位が戻った熊本市の水前寺成趣園で、池の大掃除がありました。

湧水の復活とこれまでの多くの復旧支援に感謝しようと、園を無料開園して行われました。地元の住民やボランティアなど約100人が参加し、熊本地震の犠牲者に黙とうをしたあと、スコップなどを手に池に入りました。池の底にたまった砂利を取り除く大人にまじって、池の石をきれいに磨く子どもの姿も見られました。

熊本城おもてなし武将隊のメンバーも参加し、「これからの子どもたちをはじめ、若い皆々にもこの水前寺成趣園の美しさを伝えていきたいと思っておりもうす」と話していました。この日は午後9時まで園内がライトアップされ、夕方からコンサートも開かれました。

西原村で地震後初の防災訓練 仮設住民も参加      2017年5月28日 

170528bousainishihara.jpg西原村で熊本地震後初めて防災訓練が行われ、仮設団地の住民も参加しました。防災訓練は西原村の2500世帯6900人に参加を呼びかけ、午前8時30分、布田川断層が震源のマグニチュード7.0の地震が発生したという想定で実施されました。

役場近くの小森仮設団地でも、防災無線のスピーカーから地震の発生を知らせる情報が流れると、住民たちは駐車場に急いで避難し、全員の避難を確認した後、火事の消火訓練も行われました。

西原村ではこれまで2年に1回防災訓練を行っていて、昨年の熊本地震ではその成果が見られた場面もあったということです。

復興阻む人手不足 要員確保に四苦八苦    2017年5月25日       

一連の地震による被害額は熊本県の試算で3兆7850億円。すべてを元に戻すだけで2020年の東京五輪が開催できるだけの予算が投入される計算となります。県内は今後数年は建設業を中心に復興需要が続くとみられますが、大きな課題として浮上しているのが復旧・復興要員の確保です。継続的に建設業に従事する労働力が確保できなければ、息の長い復興への取り組みは実を結ばないからです。

170526ONNADOKEN.jpgこのために必要なのが、若者の建設業への就労人口を増やすこと、さらには女性や高齢者など、これまで建設業に携わってこなかった人たちの労働力を活かすことです。

県建設産業団体連合会は2017年5月25日、女性従業員を対象にした工事現場の見学会を開き、県内の建設会社などで働く女性20人余が熊本市西区のトンネル工事現場を見学しました。2012年の国の調査によると、県内で建設業に携わる従業員5万3000人余のうち女性は約18%にとどまっています。業界側にも、女性が働きやすい環境の整備といった課題があります。

若い建設産業の担い手確保に向けて「建設産業イメージアップ戦略」を進めています。建設産業の力、県民の安全・安心を支える仕事の魅力を広く知ってもらおうと、2016年10月27日にはPR動画を制作しました。

地震発生直後は全国から復旧応援に多くの人が集まりましたが、インフラがほぼ復旧すると応援要員は次第に減っていきますが、復興はこれからが本番で、県内では復興に向けた建設土木工事が増加しています。しかし、高校で土木を学ぶ生徒の3分の2は土木や建設業界に進まないといいます。

161021DOBOKUa.jpg被災地を見て就職先として考えてほしいと、熊本県建設業協会は2016年10月25日、熊本市内の高校で土木を学ぶ高校生を対象に現場見学会を開きました。熊本農業高校、開新高校、熊本工業高校の農業土木科や土木科の生徒たちが、熊本地震で大きな被害を受けた現場に足を踏み入れました。

南阿蘇村の大規模な土砂崩落現場を訪れた生徒たちは、県の担当者から被災の現状を聞きながら、被害の様子を確かめていました。多くの生徒は被災現場に初めて来たということで、変わり果てた風景に息をのんでいました。土砂崩れで道路が寸断され、いまだに復旧作業が始まっていない現場も見学したほか、楼門が倒壊するなど大きな被害が出た阿蘇神社も見学しました。

見終わってから「道路整備などの仕事がしたいと思った」「早く土木を勉強して将来役に立てるようにしたい」と話す生徒もいました。自分の目や耳で被災現場を体感し、自分たちが学ぶ土木の重要性を感じた高校生たち。この日学んだことはレポートにして、今後の勉強に生かしていくということです。

著しい被害のおそれ 土砂災害「レッドゾーン」拡大      2017年5月24日

県が「土砂災害警戒区域」を再調査した結果を公開しました。熊本地震とその後の大雨で、阿蘇地域で山の崩落があったことを受けたもので、再調査の結果、警戒区域の中で、特に住宅や住民に著しい被害が及ぶおそれがある「土砂災害特別警戒区域(レッドゾーン)」が拡大し、新たに185戸がレッドゾーンに入っています。

県内全域の土砂災害危険度がわかる「土砂災害情報マップ」は yubiyubi.png こちら から

県は、昨年の地震や昨年6月の豪雨による被害が深刻だった阿蘇市、南阿蘇村、大津町にある「土砂災害警戒区域(イエローゾーン)」131区域をすべて再調査しました。その結果、半数以上の74区域でイエローゾーン内のレッドゾーンが拡大しました。

170519TENKEN.jpgレッドゾーン内は地震による地盤の緩みがあったり、山から遠くても土砂が流れ込んだりするおそれがあるということです。県内では阿蘇地方を中心に60か所で土砂災害を防ぐ工事の必要があり、およそ200億円の費用が必要と見込まれています。県は梅雨入りを前に、土のうを積むなどの応急措置を進めていますが、いまだに崩落した岩が多く残るなどしており、大雨警報が出た場合などは明るいうちに避難する「予防的避難」が必要です。

2017年5月19日に阿蘇市の土砂災害警戒区域を調査(写真上)した熊本大学の北園芳人名誉教授(地盤工学)は「雨の時に(山上の)土砂が崩落して、不安定な崖の土砂やがれきをを巻き込むとより大きな崩壊になってしまう。それが一番心配だ。平成24年の九州北部豪雨より少ない雨で同じような土砂災害が起きやすくなっている」と指摘しています。

県内全域の土砂災害危険度がわかる「土砂災害情報マップ」は yubiyubi.png こちら から

九州地方知事会、市長会が大災害時に広域応援  2017年5月11日、23日

鹿児島県で2017年5月23日に開かれた九州地方知事会議で、熊本地震での広域応援について検証した最終的な報告がまとめられました。震度6強以上の地震が起きた場合、被災県からの要請を待たずに各県から情報連絡員を派遣すること、スムーズな物資の輸送体制を確保するため、民間事業者を活用することなどが盛り込まれました。熊本に寄り添った支援を継続するとともに、南海トラフ地震などへの備えを進めていくことも確認しました。九州地方知事会の広瀬勝貞会長(大分県知事)は「海からあげる臨海型の物資集積拠点、内陸型の物資集積拠点を頭に入れてやる必要がある」と話しました。

熊本地震では九州各県か ら初動対応を支援する職員がすばやく派遣されましたが、支援物資の仕分けなどの作業に不慣れで混乱が生じたことも報告されており、民間事業者の活用はこうした課題への対策です 。九州地方知事会は2017年5月、九州市長会と広域支援に関する覚書を交わしました。知事会は被災した市町村ごとに支援を担当する県を割り当てており、覚書では「担当する市町村に応援の職員を派遣して欲しい」と県から要請があった際には、九州の各市が対応することが盛り込まれています。

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170512KYUUSYUUSICYOUKAI-thumb-330xauto-18697.jpg九州・沖縄118市でつくる九州市長会が2017年5月11日に玉名市で開かれ、熊本地震の教訓を生かした災害時相互支援プランをとりまとめました。

防災部会で検討を重ねてきたもので、震度6弱以上の地震発生時は24時間以内に被災した県に情報連絡員を派遣し状況を把握すること、要請を待たず救援物資を送る「プッシュ型支援」を実施することなどが盛り込まれています。避難所への輸送や仕分け、災害時の支援、受援のノウハウを知る人材の育成も進めます。市長会では知事会も連携し、防災体制の強化を急ぐことを申し合わせました。

温泉楽しんで医療支えて... 「復興支援ナース」募集開始      2017年5月15日

170515na-suA.jpg県と県看護協会は、阿蘇地域に短期間住み、観光も楽しみながら短期勤務する看護職員「くまもと復興応援ナース」を全国から募集する新たな制度を始めました。

県庁で蒲島知事と県看護協会の嶋田晶子会長が職員確保のために連携していくことを定めた覚書を結びました。病院が託児所を併設した寮や通勤などの使う車などを用意し、無料で使えるようにするほか、地元市町村が温泉めぐりやスイーツめぐりができる入浴券や食事券、観光施設の入場券などの特典を用意します。

募集するのは阿蘇地方の病院に1か月~1年勤務できる看護師や准看護師、保健師、助産師で、阿蘇温泉病院(阿蘇市)、阿蘇立野病院(南阿蘇村)、小国公立病院(小国町)など、阿蘇郡市の6病院で20人以上の確保を目指しています。

阿蘇地方では熊本地震後、熊本市内などからの通勤に使う国道57号やJR豊肥線が寸断されたことで看護職員の離職が相次ぎ、6病院で計62人が離職。夜勤職員らが不足しがちの状態が続いています。

県ナースセンターの専用ページは yubiyubi.png こちら

頑張れ南阿蘇!東海大農学部の学生が2800の灯り 2017年5月13、14日

170513akari.jpg東海大農学部の学生たちが、熊本地震から1年1か月にあわせ、南阿蘇村では復興を願って灯りをともしました。企画したのは東海大学阿蘇キャンパスで学んでいた農学部の学生たちです。

午後6時半過ぎに全国からのメッセージが書かれた約2800基の三角灯ろうに灯がともされ、阿蘇の山々を背景にあかりが広がり、復興を願う言葉が浮かび上がりました。熊本地震で東海大学阿蘇キャンパスでは3人の学生が犠牲となっています。農学部の学生たちは今は熊本市内のキャンパスで学んでおり「このあかりに地震の被害を忘れてはいけないという思いをこめた」と話しています。

空き家が突然倒壊 なお熊本市内の800棟が倒れるおそれ   2017年5月11日

170511akiya1.jpg熊本市中央区本山1丁目で、空き家が当然倒壊して市道をふさぎました。この家屋は「全壊」の判定を受け、候補解体の順番待ち中でした。けが人はいませんでした。

これを受けて熊本市が倒壊などのおそれがある800棟を調べたところ、このうち50棟の空き家が、倒壊した場合に周辺に二次災害を及ぼすおそれがあることが分かりました。SIRO_R.jpgのサムネイル画像のサムネイル画像

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170511akiya2.jpg翌日に記者会見した熊本市の大西一史市長は「解体は所有者の皆さんの協力がないと早く進まない。しっかり全体の状況を把握しながら、二次災害を起こさないように万全の体制をとっていきたい」と話しました。熊本市は危険性が高い家屋について再確認したうえで、優先して解体する方針です。

県内には熊本市以外にも、地震の前から長い間空家になっていたりして、所有者と連絡が取れない空き家があり、倒壊の恐れが高いと判断されれば、自治体が法律に基づいて優先して撤去することになっています。

益城町役場 仮庁舎で業務開始        2017年5月8日

170508益城仮庁舎.jpg熊本地震で役場庁舎が被災した益城町の役場仮庁舎が完成し、業務を始めました。

仮庁舎は現庁舎の北に約1キロ離れた木山仮設団地の南側に完成しました。2階建て延べ約3000平方メートルで、本館と別館があります。本館には1階には税務課や福祉課、本館2階には総務課などのほか、県道熊本高森線の4車線化や災害公営住宅の整備を担う復興整備課があります。別館には危機管理課と議会事務局が入り、別館2階の大会議室が町議会の本会議場となります。

町は熊本地震以降、現庁舎の一部や公民館、仮設のプレハブで業務を続けていました。宅地被害の相談などにあたる復旧事業課は仮設庁舎には入らず、当分の間、現庁舎北側のプレハブ庁舎で業務を続けるということです。

新庁舎の建て替え場所について、町は活断層を避けたうえで①現庁舎周辺②町道グランメッセ木山線沿いの木山地区③同線沿いの惣領地区――の3案から、コストが安い現庁舎周辺案を選択。有識者や地元経済団体の代表らで作る新庁舎建設検討委員会が2017年1月30日、現庁舎周辺案を賛成多数で承認し、町は2021年度の使用開始を目指し、建設を進めることにしています。

御船町の道路ふさぐ巨岩 ヤフオクで売却し撤去          2017年5月1日

161221KYOGAN.jpg熊本地震で山から落ち、作業道をふさいでいた周囲12mの巨大な 石灰岩が、ヤフーオークションにかけられて撤去にこぎつけました。

この巨岩は御船町水越にあり、高さ約3.5メートル、周囲約12メートル、重さは推定約100トンもあります。熊本地震で山jから転げ落ち、山中の畑に続く作業道をふさぐ形で止まっています。道は地元が管理しているため県や町に撤去を頼めず、多額の費用が出せずにそのままになっていました。

地方創生を支援する「ふるさと発復興会議」の助言もあって、岩をインターネットオークションで売却し、買い手に除去してもらうアイデアが浮上。地元住民でつくる「水越地域活性化協議会」が12月13日、ヤフーオークションに出品しました。巨岩の出品が話題になれば、買い手がつかなくても撤去の相談相手が見つかるのではないか、という思いもあったようです。締め切りの2016年12月20日までに10件の入札があり、県内の男性が2400円で落札しました。「小さく割って販売したらいい」「記念碑にしてはどうか」などのアドバイスもあったそうです。

170501爆破A.jpg落札者は自費で現場で岩を砕いて撤去することとし、2017年5月1日、ダイナマイトで岩を爆破して除去しました。落札者の方は破片を建立中の観音堂の結界石として使うそうです。ちなみに国内ではダイナマイトの生産は終わっており、ダイナマイトによって爆破された岩は少なくなるそうです。

170502mihuneisi.jpg落札者が持ち帰った以外の破片は「風神(かざがみ)石」と名付けられ、爆破翌日の5月2日から再びヤフーオークションで販売され、最高で7万1000円もの値が付きました。水越地区では熊本地震の後、2016年6月20日の豪雨被害で作業道が流され、岩がなくなってからも畑を使用できない状態が続いています。売上金は全額、地区の復興資金にあてられる予定です。

ちなみに「風神石」の名前は、地区に伝わる民話に由来しているそうです。

「むかし、鍾乳洞の奥に顔のみにくい女性の風神が住んでいた。近くに住む美男子の作神に思いを寄せ、ある時胸のうちを打ち明けたが、作神は受け入れなかった。風神は報復のため、作神が苦心して実らせた農作物を洞窟から大風を起こして吹き散らしてしまった。驚いた村人は洞窟に風神を祭り慰めると風はしずまった。その後、一人の女性がお参りすると、また大風が吹き出したので、それ以来、女性禁制になったという。風神は洞窟のある山の上に祀られ、祭りは二百十日と二十日に行われ、いまでも男だけがお参りをしている(御船町風土記)」

益城町のボランティアセンター閉鎖 感謝と涙の別れ      2017年4月22日   

熊本地震で大きな被害を受けた益城町で、全国からボランティアが集まる支援の拠点となってきたボランティアセンターが「1年と1日」で閉鎖されました。

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益城町のボランティアセンターは熊本地震の本震から5日後の2016年4月21日に開設され、1年間で全国から益城町の人口より多いのべ3万6000人余が集まって、住宅の片付けやがれきの撤去など5151件の活動を行いました。最近は住宅の解体などが進み、住民からのボランティア派遣の要請が減ったことから、センターを閉鎖することにしました。今後は町の社会福祉協議会でボランティアを受け付けます。

センターの最終日となった4月22日も受付には県内外から100人以上のボランティアが集まり、片付けなどに汗を流した後、ボランティアセンターの職員らとあいさつを交わし、記念撮影をするなどして別れを惜しんでいました。これで熊本地震後に開設された県内のボランティアセンターで残っているのは、大津町のセンターのみとなりました。

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立入禁止エリアの動物たちはいま...動植物園で見学会       2017年4月22日

170422tatiiriA.jpg熊本地震で被災した熊本市動植物園で、立入禁止となっているエリアの見学会が始まりました。

この見学会は動植物園の復旧のために寄付をした「復興応援サポーター」を対象に、園内の現状を見てもらおうと企画され、通路を確保して訪れた人が動物たちを見ることができるようにしています。立入禁止となっているエリアには、カバやホッキョクグマなど人気の動物がいて、参加者は「子どもたちが早くたくさんの動物を見られるようになってほしい」と話していました。

動植物園は一部の施設で開園しましたが、園内の復旧工事が終わり、完全再開するのは2018年春となる見込みです。

明治と平成の熊本地震で崩落?「奇跡の夫婦岩」       2017年4月16日

170416meitoiwa.jpg熊本地震で熊本市西区上松尾町の農道に落ちてきた巨石に、地域の住民らが案内板や説明板を設置し、以前からあった巨石とともに「奇跡の夫婦岩」として祀りました。

巨石は旧松尾東小近くのミカン畑を通る農道の両脇にあり、幅6メートル、高さ2.5メートルの大きい方の岩(写真右)は熊本地震で山から転がり落ちてきたとみられます。近くにはもうひとつ、明治の熊本地震で落ちてきたとされる一回り小さい岩(写真左)がありました。上松尾2町内の住民の間から2つの巨石を「夫婦岩」として地域のシンボルにしようという話が持ち上がり、熊本地震から1年の節目に、巨岩の下部を固定して看板が取り付けられました。

看板には「時空(とき)を超えて再会 明治中期に起きた地震で、山頂の観音様付近より転がり落ちた左側の岩石を、平成28年4月16日に発生した熊本地震で目を覚まし、後を追い求めるようにミカン畑をはさみ、この場所に鎮座した右側の岩石。地元住民はこれを"奇跡の夫婦岩"と名付けここに祀ることとする」と書かれています。2つの巨石に至る農道入口には「奇跡の夫婦岩」への道を示す案内板も設けられています。

南阿蘇村追悼式 ふるさと再興に誓い            2017年4月16日

170416masoA.jpg関連死も含めて27人が犠牲となった南阿蘇村では、河陽の長陽体育館で村主催の追悼式が開かれ、計315人が参列しました。正午の防災サイレンを合図に参列者全員が黙とう。吉良清一村長は「犠牲者や被災者の思いを心に刻み、ふるさとを再興する」と誓いました。

地震で息子夫婦を亡くした鳥居政次さん(73、写真右下中央)は式典の後、「寂しい。悔しい。あらゆる葛藤が(あった)。ひとりになるのはものすごい寂しいことなんよ」と、絞り出すように語りました。

地震から1年 益城町追悼式「前に歩くことが供養」       2017年4月15日

170415mashikinA.jpg2度の震度7に襲われ、震災関連死も含めて37人(直接死20人、関連死17人)が犠牲になった益城町の追悼式は、町文化会館で犠牲者の遺族93人を含む約400人が参列して行われました。

西村博則町長は「町民一人一人の生活再建を第一に、全力で復興に取り組んでいく。震災前より住みやすく、災害に強い町をつくることを固く誓う」と述べ、全員で犠牲者を悼み献花しました。16日の本震で長女を亡くした河添登志子さんが遺族代表として「悲しみはいえないが、私たちが前へ歩き生き抜くことが、地震で命を落とした娘や犠牲者への供養だと思う」と犠牲者を追悼しました。

西原村追悼式「悩み苦しみ人生に向き合う」   2017年4月15日

170415nishiharaA.jpg関連死も含め、8人が犠牲となった西原村では村構造改善センターで追悼式が開かれました。遺族ら約300人が参列し、日置和彦村長が「犠牲者の無念の思いを生涯忘れず、復旧復興に一層努力することを誓います」と式辞を述べました。

遺族を代表して、父親を亡くした内村勝紀さん(写真中央)が「遺族をはじめ村民は、不自由な生活に耐えながら頑張っています。前を向いて村の復興と発展を祈りたい。生きているからこそ迷い、悩み、苦しみながら、それでも命が続いていることを実感し、人生に向き合っていくことこそ、私は復興と考えている」と追悼の言葉を述べました。

式の後、参列者は全員で復興への思いが詰まった風船を飛ばしました。

地震から1年 県の犠牲者追悼式 安倍首相が追悼の辞     2017年4月14日

170414kentuitouA.jpg熊本地震の前震から1年となる4月14日、県庁では犠牲者追悼式が開かれ、安倍首相も参列しました。首相は「被災者の方々お一人おひとりのお気持ちに寄り沿い、一日も早い生活の再建と、生業(なりわい)の再生、被災地の復興を実現するため、引き続き、政府一丸となって全力で取り組んでまいります」と追悼の言葉を述べました。

遺族を代表して、避難中に母親が亡くなり、関連死と認定された熊本市の冨永眞由美さんが「悲しみを乗り越え、この辛さを心の糧として立ち上がる人が増えて、熊本が笑顔と活気にあふれるふるさとに再建されていくことを願います」と話しました。

式典では午前10時に犠牲者に対する黙とうが捧げられました。同時刻には熊本市内でもサイレンが鳴らされ、あちこちで黙とうを捧げる人の姿が見られました。

170414mokutouC.jpg追悼式での安倍首相、蒲島知事、遺族代表の式辞、挨拶全文は以下の通りです。

【安倍首相 追悼の辞】

170414sikiabe.jpg「熊本地震犠牲者追悼式」が執り行われるにあたり、政府を代表して謹んで追悼の言葉を申し上げます。

震度7の地震が連続して発生し、ここ熊本県を中心に甚大な被害をもたらした熊本地震の発生から1年の歳月が経ちました。

この地震により亡くなられた方々の無念さと、最愛の方を失われた御遺族の皆様の深い悲しみに思いを致しますと、誠に痛恨の極みであり、哀惜の念に堪えません。ここに改めて、衷心より哀悼の意を捧げます。また、被災された全ての方々に心からお見舞いを申し上げます。

発災後、被災地を訪問した際、凄まじい地震の爪跡を目の当たりにし、被害の甚大さに言葉を失いました。避難所生活を送られている被災者の方々の大変な御苦労に接し、必ずや、全ての被災者の方々が震災前の笑顔を取り戻し、安心して暮らせる街をつくりあげる、そうした復興を成し遂げることを決意いたしました。これまでに、地元の方々の大変な御努力、関係機関の御尽力、そして全国の方々からの温かい御支援によ り、復旧・復興は一歩一歩、前に進んでまいりました。しかし、未だに4万7000人を超える方々が仮設住宅などで不自由な暮らしを余儀なくされています。地域産業の再生や、道路などのインフラの復旧、そして熊本のシンポルである熊本城の復旧など、取り組むべき課題は数多く残っています。

復旧・復興をできるだけ早く成し遂げることこそが、犠牲となられた方々の御霊に報いる道です。被災者の方々お一人おひとりのお気持ちに寄り添い、1日も早い生活の再建と、生業(なりわい)の再生、被災地の復興を実現するため、引き続き、政府ー丸となって全力で取り組んでまいります。また、熊本地震から得られた多くの貴重な教訓を踏まえて災害対策の一層の充実を図り、災害に強い、強靭な国づくりを進めていくことを、ここに固くお誓いいたします。

御霊の永遠に安らかならんことを改めてお祈り申し上げるとともに、御遺族の皆様の御平安を心から祈念し、私の追悼の言葉といたします。

内閣総理大臣 安倍晋三

【蒲島県知事 式辞】

170414tiji.jpg熊本地震犠牲者の追悼式に当たり、犠牲となられた方々の御霊に対して、熊本県民を代表し、謹んで哀悼の意を表します。

平成28年4月14日と16日の、2度にわたる震度7の激震は、私たちのふるさと、熊本の姿を一変させました。倒壊した建物、崩れ落ちた阿蘇大橋、傷ついた熊本城など、次々と映し出される光景に、私たちは言葉を失いました。

強い余震が続く中、自衛隊や消防、警察による懸命の救助活動が続けられ、1700名を超える命が救われました。しかし、私たちの願いもむなしく、犠牲となられた方々は、災害関連死を含め、225名に及びます。お一人お一人に愛する家族があり、夢があり、幸せな暮らしがありました。どんなに月日が流れても、最愛の家族を突然失われたご遺族の深い悲しみは、癒えることはありません。改めて、心からお悔やみを申し上げます。

先日、益城町の仮設住宅で、被災された方の孤独死が発生いたしました。本当に残念でなりません。今後は被災された方々が孤立しないよう、行政、自治会、民生委員、ボランティアなど地域全体で対応していきたいと思います。

「熊本県には決して大きな地震は来ない」そんな過信が、私の中にあったのではないか。地震の起こったあの日から今に至るまで、自らに問いかけない日はありません。県民の生命、財産を守る知事として、亡くなられた方々の遺志を受け継ぎ、遺されたご家族をこれからも守り続けていくため、災害に対する万全の備えを築いて参ります。

このたびの地震においては、発生直後から、国や全国の自治体、関係者の皆様による力強い御支援をいただきました。御支援いただいた皆様に、この場をお借りして、厚く御礼を申し上げます。

今、熊本は、全国から寄せられた支援の輪に支えられ、復興に向けて、着実に歩みを進めています。

私は、訪れた仮設住宅で、被災された方々がお互いに励ましあい、一歩一歩、生活再建を進めておられる姿に、胸を打たれました。また、代々引き継いできた田畑が被災し、それでもなお、自然と向き合い、黙々と耕し続ける農家の皆様の姿に、復興する熊本の姿を重ねました。復旧・復興の先頭に立ち、県民の皆様を励ますつもりでいた私自身が、被災された方々から励まされ、勇気をいただいています。

今回の地震では、県民の約1割、18万人を超える方々が避難先で肩を寄せ合い、過ごされました。そのような中、子ども達が周りの人々を思い、行動する姿が、私の心に残っています。トイレを使われた高齢者の手を洗ってあげるため、水が入ったヤカンを持って待っている子ども達、食事の配膳や物奇の仕分けを率先して行う子ども達、多くの避難所で大人に負けない子ども達の活躍がありました。「みんなのために、自分に出来ることは何か」、子ども達は自らに問いかけ、行動したのです。

未来を担う、この子ども達のためにも、安心して暮らすことができ、夢と誇りにあふれる熊本を必ずや創り上げて参ります。そして、創造的復興を成し遂げた「ふるさと熊本」を、次の世代に引き継いでいくことを、あらためてお誓い申し上げます。

最後に、皆様の御支援に対する感謝を深く胸に刻み、犠牲となられた方々のご冥福と、一日も早い熊本の復興を願い、追悼の言葉といたします。

熊本県知事 蒲島郁夫

【遺族代表の言葉】

170414izoku.jpgのサムネイル画像芽吹きとともに巡りくる春、一年で一番美しく穏やかな季節です。しかし、今日ここに集う私たちは、これからずっとこの季節を心の痛みと共に生きる事になりました。今日4月14日、そしてあさって4月16日が訪れるたびに、あの日の惨状が目に浮かび、何よりも愛する家族を失ったあの時を思い出し、深い悲しみの記憶にさいなまれずにはいられません。地震から1年の節目となる今日、このように追悼の場を整えていただきましたことに心から感謝申し上げ、遺族を代表いたしましてご挨拶を申し述べさせていただきます。

私は1年前、突然の大地震に、着の身着のまま愛犬を連れ、家族3人近くの駐車場に車で避難しました。先に来ていた顔見知りの方に「お婆ちゃんは大丈夫?」、「困ったら言うてよ」と、口々に温かい声をかけてもらいました。心優しい隣人に囲まれた暮らしに感謝したことを思い出します。しかし、16日の2度目の揺れで同じ場所に避難して夜を過ごすうちに、元々寝たきりで弱っていた母の呼吸は浅くなり、夜明けを待って病院へ駆けつけた時には、もう医学の力で母を蘇らせることはできませんでした。火葬場も被災しており、すぐには使えず、1週間の間、母と我が家で心行くまで一緒に過ごせたことは、せめてもの救いでした。

私は母を見送り、次第に日々の暮らしが戻って参りますと、悲しみの中ではありますが、少しずつ地震が起きて得たものにも気づき始めました。商品が散乱した店をいち早く片付け、店に来る人に必要な品物を配っていらした方。家の前に「うちは水が出ますのでトイレは自由にお使いください」と立札を立てられた方。「お隣が高齢の方だから水汲みに行ったら、必ず分けてあげるの」とおっしゃる方。皆大変な中で気遺いや手助けを始められ、それを続けていらっしゃる姿が目に止まるようになってきました。

普段はあまり顔も見たことのないご近所の、そんな心温まる言葉やさりげない援助を知るうちに、感謝の気持ちが芽生え、交流が始まるなど、いくつもの変化が少しずつ私の中に生まれました。悲しく辛い地震でしたが、まわりの人の優しさは、私の生活に希望の花を咲かせてくれました。

私は、「花は咲く」という歌が大好きです。大きな災害を体験してあの歌の「花は、花は、花は咲く」というフレーズが胸に迫り、地震の後も変わりなく庭に咲く花を見ると、いのちの営みの退しさと尊さに、生きる力が湧いてきます。私の母は本当に無口で、人生の生き方や教訓めいたことを聞かされた記憶はありません。でも愚痴ひとつこぽさず、黙々と家事をこなす小さな背中が、当たり前の日常のありがたさを、教えてくれていたような気がします。庭の花はまるで母のようで、毎日、私を温かく励ましてくれます。

これ迄も、またこれからも、遺族として悲しみが癒えることはありません。それでも多くの人に支えられてここまで来ました。本日の追悼式をきっかけに、私たち遺族が少しでも前を向いて、元気に歩きだすことは、亡くなった方々の望みではないでしょうか。私自身も顔を上げて生きていきたいという思いで、本日、この場に立たせていただきました。悲しみを乗り越え、この辛さを心の糧として立ち上がる人が増えて、熊本が笑顔と活気に溢れるふるさとに再建されていくことを願い、私の挨拶といたします。

遺族代表 冨永眞由美

地震から1年 会社再建にかける益城町の男性       2017年4月14日放送

被災家屋の解体・撤去がなかなか進まなかった益城町の風景もようやく変わり始めました。被災した建設会社代表の男性も、社屋を再建しようとしましたが、そこに県道4車線化の話が持ち上がり、計画はいったん白紙に。しかし、男性は前を向いて進み続けようとしています。

サントリー九州熊本工場 工場完全復旧までの1年   

サントリー被災画像.jpg熊本地震で被災した嘉島町のサントリー九州熊本工場は、4月の熊本地震で工場の天井や配水管などに大きな被害を受け、主力のビールの製造ができなくなっていました。

161108仕込み再開式.jpg工場では2016年11月8日から「ザ・プレミアム・モルツ」の仕込みを再開。嘉島町の荒木泰臣町長(写真右)らが出席して、ビールの仕込み窯にホップを投入する仕込み再開式を行いました。

ただ、この時点では工場の復旧はまだ2割程度にとどまっていました。

12月13日には約8か月ぶりに飲食店に出す業務用のビールから商品の出荷を再開し、佐賀県鳥栖市にある配送センターに向けて15リットルのビール樽2000樽を載せたトラックが出発しました。

ぷれもる-1.jpg2017年1月31日には、主力商品「ザ・プレミアム・モルツ」の缶ビール出荷を再開しました。主に家庭向けとなる「缶入り」の出荷は9か月半ぶりとなります。

「ザ・プレミアム・モルツ」は現在、京都工場でも生産していますが、サントリーは再び熊本工場を生産拠点とする考えです。「金麦」「ザ・モルツ」とノンアルコールの「オールフリー」についても順次生産を再開します。

「伊右衛門」「阿蘇の天然水」など清涼飲料の生産についても生産設備の工事を進めており、缶入り、ペットボトル入りの順で5月までに再開する予定です。4月には工場見学の受け入れも再開したいとしています。予定通りなら、熊本地震からほぼ1年で完全復旧ということになります。


PUREMORU-4.jpgサントリーは4月上旬からは熊本工場で約10万缶限定で「火の国ビール」(写真左)を製造し、イベント会場などで無料配布しました。また、4月25日には数量限定「ザ・プレミアム・モルツ」「金麦」「オールフリー」をそれぞれ数量限定で発売しました。いずれも缶のラベルの裏側に、工場再開への支援のお礼や復興を支援するメッセージを記しています。

「ザ・プレミアム・モルツ」は売り上げ1缶につき10円、「金麦」と「オールフリー」は1缶につき5円が、熊本城の復旧・復興資金として寄付されます。

西原村の保育園 母を亡くした園長先生の1年    2017年4月12日放送

熊本地震で母を亡くした西原村の保育園の園長が、園児の笑顔に支えられて悲しみを乗り越え、卒園式を最後に39年勤めた園を退職しました。

震災の記憶 残し伝えるために 御船町で「復興祭」        2017年4月9日

170409mihuneA.jpg熊本地震の記録を広く伝え、教訓を後世に残すため、御船町の恐竜博物館で「復興祭」が開かれました。

御船町の地震の被害を振り返る映像や写真の展示コーナーが設けられたほか、防災セミナー、オリジナルグッズの販売などが行われました。くまもと復旧・復興有識者会議の座長を務める五百旗頭(いおきべ)真さん(熊本県立大学理事長)が講演し、地域のリーダー育成に向けた取り組みのあり方などを話しました。

復興祭は、熊本地震で被災し、グループ補助金により復旧・復興を目指している町内 59 事業所などでつくる「オール御船恐竜の郷復興プロジェクト」が中心となって企画しました。プロジェクトでは、町民から地震被害に関する写真、映像、文章などの提供を募り、被災の記憶を後世に伝えることで、町の「創造的復興」につなげていきたいとしています。

再開に向けて苦闘する西原村の酪農家         2017年4月6日

熊本地震で牛舎を失い、40頭の牛を手放して何とか生活してきた酪農家の男性が、仮牛舎と残された10頭の牛たちと酪農再開に向けて苦闘しています。心の支えは地震直後に生まれた牛。「あの揺れの中で無事に生まれて、神様が恵んでくれたのではないかと思う。後継牛の一員として活躍してくれれば」と話しています。

食で熊本の観光復興を 県が「グルメ旅行」プロジェクト     2017年3月30日

170329gurumeA.jpgのサムネイル画像県は魅力あふれる熊本の食材や地酒などを活用した「くまもと グルメツーリズムプロジェクト」を始めると発表しました。くまモンの生みの親で放送作家の小山薫堂さん(写真左下)らと企画したもので、東京、京都、神戸の有名シェフの協力も得て、食をテーマに熊本の観光復興を目指します。

大型連休が始まる4月下旬から、くまモンを車体にあしらったグルメタクシー(限定1台)を運行します。グルメタクシーは完全予約制で、「馬肉料理食べつくし」「究極の卵かけご飯」などのコースを回ります。

熊本市の城彩苑で開かれたプロジェクトの発表会では、グルメタクシーもお披露目されました。天井にくまモンがつき、「空車」の代わりに「空腹」の表示が出るなど、遊びごころがある車両となっています。

このほか、江戸時代から細川家に伝わる料理指南書「料理方秘」などをもとに復活させた肥後藩の「本丸御前」(写真右下)や八代市の食材を使った花見弁当「白鷺御前」をグルメフェアや催事で販売します。

くまもとグルメプロジェクトの公式サイトは yubiyubi.png こちら

福島、熊本の復興祈り水前寺成趣園に八重桜を植樹       2017年3月25日

170325harukaA.jpg東日本大震災からの復興のシンボルとなっている新種の八重桜「はるか」が、熊本市の水前寺成趣園に植樹されました。

水前寺成趣園の桜の広場に関係者およそ50人が集まり、「はるか」を福島県から全国に届けている「fukushimaさくらプロジェクト」から成趣園内にある出水神社に苗木3本が贈呈されました。春の水前寺まつりが開かれたのにあわせ、小野泰輔副知事や熊本市の大西一史市長らが、東北と熊本の復興を祈念して苗木を植樹しました。

「はるか」は、森林総合研究所が開発し、福島県に贈られた新種の桜です。淡いピンクの花弁が重なる艶やかな八重桜で、成木でも7メートルくらいにしかならず 、さまざまな場所に植樹できます。福島と東北を応援するシンボルとして、「はるかかなたの未来にまで広がって欲しい」という想いを込めて、大河ドラマ「八重の桜」主演の綾瀬はるかさんが命名しました。福島では復興への決意を新たにするため、「プロジェクションマッピング はるか」というイベントが毎年春に行われています。

西原村の大学生ボランティア 被災者の「日常」に寄り添う     2017年3月24日

大学を休学して故郷の西原村に戻り、ボランティアとして村民に寄り添い続ける大学生、寺本わかばさん。彼女が大切に思うのは小さな「日常」を大切にすることです。

161225sobaA.jpg寺本さんは2016年12月26日、西原村の全世帯が被災した地区で、住民たちの交流の場を作ろうと、そば打ちの交流会を開きました。

交流会が開かれたのは、西原村鳥子葛目地区にある葛目公民館です。この地区では10世帯のうち4世帯が全壊、残り6世帯も大規模半壊または半壊の被害を受けました。熊本地震以降は地区外の仮設住宅などで生活している人もいて、地域の人が集まる機会が減っています。

このため、地域の人が減った地区で交流の機会を作ろうと寺本さんが交流会を企画。この日は仮設住宅に住む人も参加して、職人から教わりながらそば打ちに挑戦しました。出来上がったそばはその場でゆでられ、集まった人で食べました。

参加した人たちは「久しぶりに(皆さんの)顔を見て、元気そうで何よりです」「住み慣れた土地で見慣れた人たちと会って交流するのはいいことですねえ」と楽しそうでした。企画した寺本さんは「(地震で)人が少なくなって寂しいという声を聞いていたので、みんなで何かしたいと思った」と話し、今後もほかの地区や仮設団地を巡回し、交流会を開くつもりです。

進まぬ墓地の再建 復旧阻む複数の事情とは      2017年3月21日

熊本地震では熊本市営墓地だけで1万基の墓石が倒壊し、地震から1年近くを経ても一向に復旧が進んでいません。家族の生活再建を優先する、という以外にも、復旧を阻むさまざまな事情がありました。

復興願い「初市」 苦難乗り越え開催            2017年3月4、5日

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熊本地震からの復興を願った「復興初市」が、益城町で開かれま した。

初市は約200 年の歴史がある益城町の伝統行事で、食べ物や特産品の即売所など約60の出店が並び、例年多くの人で賑わっていました。熊本地震で例年の会場である木山横町通り一帯が大きな被害を受けたため、一時は開催が危ぶまれましたが、 会場を町体育館に移し、復興への願いを込めて名称も「益城復興初市」に変更して開催されました。町商工会の青木博幸青年部長は「本当に開催できえるのか、という感じだったが、なんとか町民の方、地域の方に元気を取り戻してもらいたいという願いを込めた」と話します。

170304復興市3.jpg会場の中でひときわ長い列ができていたのは、もちを延ばしてあんをまぶした初市の名物料理「市だご」(写真左)でした。「場所が移ったことで市だごを作る場所がなくなりましたが、主催者が「名物は欠かせない」と、調理場の入るプレハブ小屋を建てて、販売にこぎつけました。

飛ぶように売れる市だごを売っていた女性は「無事に皆さんに届ける ことができ ました。ちょっと、うるうる来ましたね」と、感激の面持ちでした。

ことしは町外からも出店や多くの人たちが初市に参加。町外から訪れた人は 「地震の癒しになると思って。みなさん喜んでいる顔見て私も幸せです」「頑張っていただきたい。早くみんなが良くなるように」 と、町の復興を応援していました。

益城町に3本の活断層 国土地理院など調査で確認 2017年2月26日

170226dansou.jpg益城町の断層を調べている国土交通省が、町民らに対し断層や地盤についての中間報告会を開き、町役場から秋津川の間に、新たに3本の活断層が確認されたことが明らかになりました。

熊本地震で2度の震度7を観測した益城町では、国土地理院や九州大学などが2016年8月から断層の調査を行っています。報告した国土地理院・地理地殻活動研究センターの宇根寛センター長によると、益城町の市街地には阿蘇の火砕流堆積物とみられる非常に軟弱な地盤があり、揺れが増幅される傾向にあります。今回確認された3本の活断層は、熊本地震でも動かなかったとされる布田川断層の宇土区間が今後動くと、連動して動く可能性があるということです。

布田川断層の宇土区間については存在を疑問視する声もあり、九州大学が調査をしています。

熊本地震で出現した益城町下陳周辺の断層(2016年4月16日、出典:国土地理院)

東海大阿蘇キャンパス 存続するも本格再建は断念  2017年1月24日

東海大学は、熊本地震で被災した南阿蘇村の阿蘇キャンパスについて、2018年度から実習などで利用を再開すると発表しました。一方で講義棟の直下など敷地内に多数の断層があることから本格的な再建は困難と判断し、講義は今後は熊本市の熊本キャンパスで行います。

東海大の山田清志学長が熊本キャンパスで記者会見して発表しました。阿蘇キャンパスの存続運動を続けてきた南阿蘇村では、実習が続くことに安堵する声と、本格再建が困難とされたことに落胆する声が聞かれました。

益城町で地震で延期されていた町の文化祭    2017年1月14日

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熊本地震の前震から9か月目となる14日、益城町で地震の影響で延期となっていた町の文化祭が開かれました。益城町文化祭はこれまで毎年10月に開かれていましたが、2016年は町の多くの人たちが被災したため、開催が延期されていました。

舞台では詩吟や能楽などの伝統芸能に取り組む21団体約180人が、日ごろのf練習の成果を披露した。小学生たちが「益城がんばるもん!」と声を合わせる和太鼓演奏も披露されました。例年、ステージ部門と同時に行われていた展示部門は、地震の影響で準備が遅れたこともあり、3月に改めて行われます。

「熊本モデル」復興住宅2棟 益城の仮設団地で一般公開     2017年1月14日    

熊本地震で被災した世帯の再建モデル住宅となる「くまもと復興住宅」のモデルハウスの第2号棟が益城町のテクノ仮設団地に完成し、一般公開されました。県建築士会を中心とした「建築士会・復興の家グループ」が建設しました。モデル住宅は、毎週水曜日をのぞく午前10時から午後6時まで公開されます。

くまもと復興住宅は、県内の建築団体などでつくる県地域型復興住宅推進協議会が①熊本の地域産材を活用し②地震に強く③良質でコスト低減に配慮している――の3点を認定した木造住宅です。価格を抑える一方で建築基準法で定められた基準の1.5倍、震度7に耐え得る強度を持つよう設計されています。1号棟は県内64の工務店でつくる「熊本工務店ネットワーク」が2016年10月19日に上棟式を行い、内装などの仕上げを終えて12月2日から一般公開しました。

テクノ仮設団地の展示場では、五木村の材料を使った五木源(ごきげん)住宅に関わる設計者、施工者らの「五木源住宅復興支援チーム」が、葉枯らし乾燥材をふんだんに使った第3号を建設中です。

【復興住宅第1号棟(基本価格1000万円=税別)】

161202moderuA.jpg木造平屋、床面積約80平方メートルの2LDKで、6畳の和室、寝室のほかウオークイン・クローゼットを設けています。県産のスギやヒノキ、和室の畳表も県産のイグサを用いています。

【復興住宅第2号棟(基本価格960万円=税別)】

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63.76平方メートル、2LDKの木造平屋建てで、県産のスギやヒノキを使い、田園風景になじむ外観やふた間続きの和室、広い土間など、和風のつくりが特徴です。畳表は県畳工業組合から提供を受けました。

【復興住宅第3号棟(1000万円)】

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県立図書館が一般書籍の貸し出しを再開         2017年1月6日

170106tosyoA.jpg熊本地震の影響で一部利用ができなくなっていた熊本県立図書館が、約70万冊の一般書籍の貸し出しを再開しました。

県立図書館は熊本地震で照明器具が落下したり、およそ100万冊にわたって書籍が散乱したりする被害を受けました(写真上)。復旧工事を進めた結果、70万冊の一般書籍の整理がつき、貸し出しができるようになりました。

ただ、館内はなお工事中のため、当面は利用者は書架で本を探すことはできません(写真下)。仮閲覧室で専用のパソコンを使って読みたい書籍を検索し、希望の書籍を職員に伝えると、職が代わりに本を探し出す仕組みにします。県立図書館では「しばらくは仮閲覧室を使うため非常にスペースが狭く、ご迷惑をおかけすることも多いかと思いますが、多くの人に利用してほしい」と話しています。県立図書館は今年4月の全面再開を目指しています。

赤ちゃん守る最後の砦 市民病院のNICUとGCUが再開        2016年12月26日

161219sinseiji.jpg熊本市民病院は、熊本地震以降受け入れを中止していた新生児集中治療室(NICU)9床と新生児治療回復室(GCU)5床を26日に再開しました。

市民病院は1998年(平成10年)に県内で初めてNICUを設置。地震前は県内48床中18床が同病院にあり、超早産児や心臓に疾患のある赤ちゃんなど年間約300人を受け入れてきました。周産期医療の中核を担い、赤ちゃんの命を守る最後の砦だったわけです。特に超早産児、1000グラム未満で生まれてくる赤ちゃんの6~7割は市民病院が診ていたそうです。

しかし、熊本地震の影響でNICUとGCUが入っていた病棟が被災して使えなくなったため、地震の時に受け入れていた38人の赤ちゃんは県内外のほかの病院に緊急搬送され、機能を止めていました。使用可能な別棟の事務スペースの一部を改装し、ベッドや機器類を移して再開にこぎつけました。12月17日に再開されるNICUを視察した熊本市の大西一史市長は「実際に機能が失われて、改めて熊本市民病院が周産期医療を担ってきた役割が非常に大きかったということが分かった」と話しました。

県内のNICUは熊本市民病院の被災を受けて、福田病院と熊本大病院が3床ずつ増床しており、今回の再開で県全体で45床にまで回復します。

俵山ルート開通 南阿蘇への主要交通ルート確保       2016年12月24日 

tawarayamaA.jpg西原村と南阿蘇村を結ぶ県道熊本高森線の俵山トンネルは、熊本地震で一部が崩落するなど大きな被害を受けました。俵山バイパスにかかる6つの橋が損傷し、トンネル以外の県道も通行不能になってしまいました。

161224tawarayama.jpg国が熊本県に代わって復旧工事を進め、トンネル内の天井や地盤のコンクリートなど損傷が大きかった部分9か所を修復。トンネル外の県道についても、村道などをう回路として活用する形で、新たに「俵山ルート」として整備し、2016年12月24日に通行可能になりました。このルートができるまでは、熊本市と南阿蘇村を結ぶルートは標高が高く蛇行した道を走る「グリーンロード」を通るか、国道57号線の阿蘇市へのう回路である「ミルクロード」経由で大回りするしかありませんでした。

グリーンロード.jpgグリーンロード(写真左、2016年12月撮影)は冬の時期は積雪や路面凍結が頻発するため通行止めになるおそれが高く、冬の阿蘇谷が孤立してしまう懸念が指摘されていました。

俵山ルートが年内に確保されたことで「厳冬期を前に、阿蘇地域の円滑な物流が確保され、観光の復興にも寄与する」(石井国土交通相)と見られます。

OOKIRIHATA1.JPGしかし、俵山トンネル以外のルートはまだ村道などを活用した暫定的なルートに過ぎず、急カーブや急なアップダウンが連続しています。完全復旧にはバイパスにかかる6つの橋を修復する必要がありますが、西原村の大切畑大橋では約1メートルの横ずれが確認されるなど、なお完全復旧には時間がかかるとみられています。

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益城町の障害者自立支援施設再建へ 九州ラーメン党が奔走  2016年12月12日

161212ramen1.jpg熊本地震で全壊した障害者自立支援施設で、作業所の再建工事が始まりました。

自立支援の作業所は、益城町木山でNPO法人「そよ風福祉作業所」が運営してきました。このNPO法人は、ラーメンを通じて被災地の支援を行っている「九州ラーメン党」が立ち上げ、障害者を雇用して弁当や惣菜の製造販売をすることで障害者の働き口を確保し、自立を支援してきました。

しかし、4月の熊本地震で作業所は全壊してしまいました。九州ラーメン党は再建に奔走し、これまで支援活動を行ってきた東日本大震災の被災地などから逆に支援の手が差しのべられ、作業所の再建にこぎつけることができました。

濱田龍郎代表は「熊本城もそうだが、益城町も復興のシンボルとして全国にアピールするような福祉村を作っていきたい」と話しています。作業所は12月末には完成する予定で、2017年4月には、同じ敷地に九州ラーメン党の店舗や民間ボランティアの拠点も設けられる予定です。

みんなの善意と力を合わせれば...御船町で農業用水の復旧作業 2016年12月3日 

161203nougyouboraA.jpg熊本地震とその後の大雨で使用不能になった 農業用水路を復旧するボランティア活動が御船町で行われました。

農家の支援活動などをしている「ふるさと発復興会議」が主催したもので、約50人のボランティアが参加しました。御船町と住民との座談会の中で、「農業用水路が石などが詰まって使えなくなっている」との意見がでたことから復旧作業を行うことになり、参加したボランティアは水がない用水路に入ってスコップなどで次々に石をかき出していました。

ふるさと発復興会議の河井昌猛議長は「できることから順番に片付けていき、少しでも農家の人にやる気を出してもらって、『どうにか解決できる』という思いをもって前向きになってもらえたら」と話しました。今後、御船町以外でも支援活動を行っていくということです。

水前寺競技場 地震から7か月半を経て一部再開      2016年12月3日

161203suizenjiA.jpg熊本地震で壁が崩れたり、観客席にひびが入ったりするなどの被害を受け閉鎖していた熊本市の水前寺競技場で、ようやくトラック部分の利用が再開されました。再開初日は朝から再開を待ちわびた高校の部活動の生徒たちが競技場を訪れ、練習に汗を流していました。生徒の一人は「今まで学校の駐車場で練習していたので(スパイクを履けなかった)。スパイクを履いてスタートの練習をしたい」と意気込んでいました。

利用できるようになったのはトラック部分のみで、芝のフィールド部分は張り替え工事のため来年8月頃まで使用できません。観客席にはまだブルーシートがかぶせられています。利用時間は午前8時半から日没までで、料金は1回100円、高校生以下は50円です。

地震で牧場が使えない大学と開園できない動物園が連携      2016年12月3日

161203toukaidousyokuA.jpgのサムネイル画像

熊本地震の影響で南阿蘇村の牧場が使用できない東海大学農学部の学生が、やはり地震の影響で休園中の熊本市動植物園で実習を行いました。実習先を探していた大学側の要請を受け、動植物園が動物ゾーンの一部を提供して実現しました。

実習を行ったのは応用動物学科の2年生90人です。学生たちは聴診器を使ってヒツジとヤギの体調を確認するなどしていました。学生の一人は「熊本地震以来初めて羊と触れ合うことができました。相変わらずかわいいです」と笑顔を見せていました。

動植物園の松本充史さんは「学生たちは動物のことを学びたくて大学に入ったと思うので、実習の体験を通じていろいろなことが学べるいい機会になってもらえれば」と話していました。動植物園での実習は今後も続けられます。

新しい天草1号橋「がんばろう熊本」がっちり握手      2016年11月28日

161128amakusaA .jpg2018上天草市と宇城市を結ぶ新しい天草1号橋(新天門橋)のアーチ部分がつながりました。結合部分には「がんばろう熊本」の大きな横断幕がつけられ、熊本地震からの復興に向けた思いをアピールしています。

新天門橋は熊本天草幹線道路の大矢野バイパスの一部となる予定で、現在の天草1号橋(天門橋)の北側に建設されています。新しい天門橋の長さは463mで、県が約80億円をかけて建設中です。当初は2017年3月下旬に完成する予定でしたが、熊本地震の影響などで工事が遅れ、2018年3月の完成、4月からの供用開始を目指しています。

台湾からのモニターツアーをくまモンがおもてなし       2016年11月28日

taiwan.jpg人吉市を訪れた台湾からのモニターツアー客の歓迎セレモニーに台湾でも大人気のくまモンが登場し、観光客をもてなしました。

モニターツアーは、一般に認知度が低い観光地や地域の特産品を紹介して参加者の感想を聞き、今後の観光客の誘致につなげる「お試し」ツアーで、一般的にあまり知られていない観光地や、地域のこだわりの食事をたっぷり味わってもらうのが特徴です。

今回のツアーは九州フィナンシャルグループ(FG)が熊本県や鹿児島県と協力し、台湾の富裕層向けに企画しました。松岡隼人人吉市長のあいさつの後、くまモンが登場すると大きな拍手が起き、あちこちで記念撮影の輪ができました。

人吉市など県南部は熊本地震の被害はほとんどなかったにもかかわらず、地震後は外国人観光客を中心に客足の落ち込みが目立っています。九州FGは外国人観光客を呼び込むことで、南九州エリアの経済活性化につなげていきたいと話しています。

益城町で仮設入居者と児童が交流会 1日限定スタバも     2016年11月27日

161127sutabamasiki.jpg熊本地震を受けて学校敷地内に建設された益城町の飯野小仮設団地の入居者と、飯野小学校の児童の交流会が飯野小で開かれました。団地住民と子どもたちが一緒に楽しめるようにと、三菱地所レジデンスや日本ペイントホールディングスなど複数の企業が協力して実現したものです。

飯野小の体育館ではコーヒーチェーン大手の「スターバックス」が1日限定のカフェが開き(写真左)、入居者など参加者がオリジナルのコーヒーを味わっていました。一方、仮設団地の「みんなの家」では、子どもたちが代わる代わるローラーやはけを使ってペンキで部屋の内壁に、校区のシンボルの飯田山や学校の校舎などを描いていました。

参加した入居者は「仮設に入って5か月になる。こういうイベントがあるといい」と話していました。交流イベントは来年以降も行われる予定です。

熊本市内のシネコン ようやく営業再開       2016年11月23日

1123sinekonA.jpg熊本地震の影響で休館中だったシネプレックス熊本(熊本市中央区大江)が、劇場名を「ユナイテッド・シネマ熊本」に変更し、約7か月ぶりに営業を再開し、早朝から行列ができるなど多くの人が訪れました。

シネプレックス熊本は熊本地震で建物の一部が壊れ、4月15日から休業していました。当初の12月の営業再開予定を前倒しし、11月23日から5スクリーン、26日からは9スクリーンで営業を再開。12月16日には座席の動きや風、水などの特殊効果で臨場感を高めた県内初の4DXシアターを導入して全館での営業となります。県内のシネコン営業再開は3件目ですが、熊本市内では初めてとなります。

12月15日までは震災復興特別チャリティー上映会として休館中に上映できなかった「名探偵コナン 純黒の悪夢(ナイトメア)」など9作品を一律500円で上映します。収益の一部は被災者支援のため県に寄付されるということです。

願いを込めて児童がサクラを植樹 託麻東小         2016年11月22日

161122sakura.jpg熊本市東区の託麻東小学校で、全校児童950人全員が参加して、復興への思いを込めて校庭にサクラを植えました。

「熊本城が元に戻りますように」「大きくなりますように」「熊本が元に戻りますように」...

子どもたちは小さなスコップで順番にサクラの若木10本に土をかけながら、木に願いを込めました。サクラの木は来年春には花が咲くということです。

学校では、子どもたちが大人になる十数年後にサクラの花を見に来たときに、地震で気づいた感謝や絆、希望の大切さを思い出してほしいと考えたということです。

子どもたちが歌う地震まで「気づかなかったたいせつなこと」  2016年11月22日

161112issinutaA.jpg熊本地震で一時1600人が避難していた熊本市中央区の一新小学校で開かれた音楽会で、4年生が熊本地震を通じて得た自らの思いを歌詞にしたオリジナル曲を披露しました。

♪ いくつ朝が来れば 地震はおさまるの

♪ 夜になると思い出して 不安になってしまうの

タイトルは「気づかなかったたいせつなもの」。歌詞に込められているのは子どもたち一人ひとりの思いです。

「水とか食べ物の列に並んで給水車が来るのを待つのが大変でした」「地震なんて来なければよかった」「今の生活ができることがしあわせなことだったんだと思いました」

経験したことがない地震への恐怖。当たり前だと思っていた日常の大切さ。そして支援してくれた人たちへの感謝の気持ちでした。 

♪ 当たり前に過ごせる毎日が 幸せだったことに気づいたよ 

♪ 支えてくれたたくさんの人たちに 伝えたい ありがとうと

♪ このうたに願いを込めて

子どもたちの思いが詰まった歌が体育館に響きました。

益城町の「あの味」が地震乗り越え玉名市で再起    2016年11月21日

161124chikinA.jpgコッコローチキンは、国産の若鶏の中にニンニクや香辛料などを詰め込み、秘伝のタレで焼き上げた鶏の丸焼きです。益城町では松下瑞樹さん、亜希子さん夫妻が、亜希子さんの父の代から34年間店を営んできました。

しかし、4月の熊本地震の2度にわたる激しい揺れは、松下さんの自宅と店舗を直撃しました。自宅は地盤が沈下して床が傾き、玄関の階段も沈み込みました。プレハブで建てられた店舗(写真右上)は、店ごと1メートルも前に飛び出しました。ライフラインも寸断され、店の再開は難しい状況になってしまいました。家族の生活も車中泊からテント生活、さらには体育館の避難所へと転々。松下さんは益城町を離れる苦渋の決断をしました。

地震から7か月がたち、コッコローチキンは瑞樹さんの故郷、玉名市に店を移して、ようやく再開しました(写真右下)。店の顔である看板(写真左)は、益城町の店舗のものを取り外して取り付けました。

営業再開初日。新天地だけに不安もありましたが、「あの味」を待ちわびたお客さんからの予約が相次ぎ、60羽分用意した丸焼きは1時間もせずに完売。亜希子さんは「『場所が変わってもいいからお店を開いて』と多くの人が励ましてくれました。(再開を)待ってくれていたおお客さんもいて、本当にありがたいです」と感謝していました。

松下さん夫妻は「先のことはどうなるかわからないけれど、益城のお客さんにも販売できるよう、どうにかしていきたい」(亜希子さん)と、益城とのつながりを忘れずにいるつもりです。

コッコローチキンのホームページ は yubiyubi.pngこちら

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