熊本地震の記録

阿蘇科学博物館1年半ぶりに全面再開          2017年10月1日

kahakuA.jpg阿蘇山上にある 阿蘇火山博物館が、約1年半ぶりに全面再開しました。博物館は熊本地震で壁が崩れ、床に亀裂が入ったほか、映像施設も壊れたため、被災した部分を約2億2000万円をかけて修復しました。

火口カメラの復旧は、2018年夏ごろになる予定で、館内の1階には、環境省のビジターセンターを新設するということです。

阿蘇の柱状節理 国が復興工事で大規模に破壊       2017年9月20日放送

seturi1_R.jpg熊本地震で崩落した阿蘇大橋の架け替え工事で、立野峡谷の独特の景観を形作る「柱状節理」の一部が削り取られ、さらに別の場所の柱状節理も削り取られる予定であることが分かりました。

柱状節理は、マグマが冷え固まる際に入る柱状の亀裂で、阿蘇を代表する景観の一つとなっています。立野峡谷は国連教育科学文化機関(ユネスコ)が認定した阿蘇ジオパークの構成資産のひとつで、4年ごとの再認定審査が2018年に予定されており、柱状節理の破壊が審査に影響する可能性もあります。

seturiA.jpg削り取られていたのは、新たな阿蘇大橋の架け替え予定地にあたる黒川の右岸(写真上)です。現場では、国土交通省熊本復興事務所が阿蘇大橋に代わる新しい橋の建設を進めており、長さ250メートルの工事用道路を川岸の崖上から下に向かって新設するために、柱状節理を含む高さ70メートル、幅110メートルの川岸を削ったということです。川岸はほとんど民有地でしたが国が買収し、昨年11月に着工しました。

阿蘇ジオパーク推進協議会の構成員である県阿蘇地域振興局によると、国交省からは橋を架ける場所の説明は受けたものの、柱状節理を壊すことなどは聞いていなかったということです。

seturi4_R.jpgこの工事現場からおよそ1キロ下流の白川右岸にある柱状節理(写真左)も、国交省が計画している立野ダムの建設予定地になっており、今後、幅200メートルほどにわたって削り取られる予定です。

削った後はコンクリートで固める計画だということです。国交省立野ダム工事事務所は「立野ダム建設は法令を遵守し、自然環境の保全に十分配慮して事業を進める」と話しています。

蒲島県知事は「柱状節理の取り扱いについては、必要最小限の掘削が生じること、それ以外のか所では柱状節理の露頭を掘削しないことを改めて国に確認した」とするコメントを出しました。

立野峡谷の保全活動などに取り組む市民団体の中島康代表はKKTの取材に対し、「市民への説明もなく、ジオパークの美しい景観を壊してまでダムを作る必要があるのか」と話しています。

阿蘇神社の「表札」崩れた屋根の下から"救出"        2017年9月13日

170913asoA.jpg熊本地震で倒壊した阿蘇神社の楼門の「扁額」が倒壊した楼門から運び出され、公開されました。

扁額は国重要文化財の楼門の正面に付けられていた額で、幅1.5メートル、高さは3.2メートル、重さは200キロあります。熊本地震で倒壊した楼門の屋根の下敷きになっていましたが、一部が欠けた状態で運び出されました。運び出された扁額を見た阿蘇神社氏子会の小代勝久会長は「下のほうの一部が欠けただけですみ、まずはほっとした」と話していました。

170913asoB.jpg170913aso4_R.jpg扁額は修復した後、元の場所に飾られる予定です(左は熊本地震前の楼門)。阿蘇神社では楼門などの復旧を2022年度までに終えるよう工事を進めています。

益城は元気です! 「はぴまる」1年7か月ぶり再開       2017年9月10日

hapimaruA.jpg熊本地震で休止していた「益城ふるさと市場 ハッピーマルシェ」(通称はぴまる)が益城町木山の町役場仮設庁舎駐車場で開かれました。

「はぴまる」は町の特産品をPRしようと2014年6月にスタート。2016年4月17日にも開催予定でしたが、熊本地震で中止となり、地震を経て約1年7か月ぶりの再開となりました。「益城の元気な姿を見てもらいたい」と準備を進め、この日は約30の出店が並び、地元の野菜や雑貨などを販売しました。

人気女性YouTuberが見た益城町のいま          2017年9月7日放送

東京在住のカナダ人YouTuber(ユーチューバー)のSharlaさん。日本の魅力を海外に紹介する動画で人気の女性です。
そんなSharlaさんが2017年8月、九州で初めての撮影場所として益城町を訪れました。彼女が見た今の熊本の魅力とは?熊本での触れ合いの軌跡も紹介します。

Sharlaさんが2017年9月7日にアップした動画はこちらです。

被災者の医療費免除延長を 益城町民らが県に要望       2017年9月7日

関連死亡志望ika無題_R.jpg熊本地震の被災者への医療費の免除措置が2017年9月末で終了することから、益城町の住民や医療機関で働く人などでつくるグループが、県に延長を求める要請書を提出しました。

熊本地震の被災者のうち、後期高齢者医療被保険者などの住民に対しては、窓口負担など一部負担金の免除や国民健康保険料の減免措置がとられていますが、特例措置に対する国の財政支援は9月末で終了し、窓口負担の免除は同時に終わることになっています。

市民グループは「医療費の負担が増えると受診が減り、持病の悪化などが懸念される」として、住民が安心して医療を受け、健康に過ごせるように、県が市町村に財政支援を行う形で免除措置を継続するよう求めています。

「サンリブしみず」1年5か月ぶりに営業再開          2017年9月7日

SUNLIVEa.jpg熊本地震で被災し休業していた熊本市北区の「サンリブしみず」(旧サンリブ清水)が約1年5か月ぶりに営業を再開し、午前8時のオープンを前に営業再開を待った人が列をつくりました。

被災した建物を解体し新しく建て直した新店舗は鉄骨平屋建てで、売り場面積は3032平方メートル。2階に売り場があった地震前の店舗に比べ、4割程度に縮小しましたが、直営の生鮮食品のほかに衣料品売り場や薬局など13の専門店が入り、総菜売り場の近くにはイートインスペースも設置されています。

買い物客は「便利です。本当長い間なかったから大変だった」と話していました。これにより、サンリブ(北九州市)が運営する<スーパーのサンリブ、マルショクの県内20店舗は全て通常営業に戻りました。

南阿蘇村住民らが集落を再建した旧山古志村を視察     2017年8月30日     

0830shisatuA.jpg南阿蘇村の住民代表や村職員など30人が新潟県長岡市の旧山古志村を訪れ、2004年に発生した中越地震の記録をまとめた施設を見学し、被害状況や復興の歩みについて説明を受けました。

一行は高台に移転した楢木集落のほか、教訓を後世に伝えようと水没した家屋を「震災遺構」として保存した木籠集落なども視察。南阿蘇村では今後、山古志などの例を参考にしながら、復興への取り組みを進めることにしています。

最大震度7を記録した中越地震で、山間部にある旧山古志村は複数の地滑りで孤立。全ての住民が集落を離れる、いわゆる「全村避難」を行いましたが、その後「帰ろう山古志へ」を合言葉に集落を再建させています。

「長陽大橋ルート」開通 復興に希望の架け橋に        2017年8月27日

長陽大橋R.jpg

熊本地震で一部が崩落するなどして1年4か月にわたって不通になっていた南阿蘇村の阿蘇長陽(ちょうよう)大橋(276メートル)と戸下(とした)大橋(380メートル)の応急復旧工事が終わり、二つの橋を含む約3キロの「長陽大橋ルート」(村道栃の木立野線)が開通しました。南阿蘇村立野の国道57号と村中心部を通る国道325号を直結するルートが復活し、熊本市と南阿蘇村中心部や、村中心部と立野地区がほぼ最短ルートでつながりました。九州道熊本インターチェンジから南阿蘇村役場へはこれまで大きく迂回しなければならず、約1時間かかっていましたが35分に、立野地区から南阿蘇村役場までの所要時間は40分から約10分にそれぞれ短縮されます。

17082700hashiA.jpg

開通に先立つ式典で吉良清一村長は「復興に向けた希望の懸け橋だ」と述べ、蒲島知事は「通勤・通学や医療面の時間短縮、物流や観光の回復に弾みとなる」と開通を祝いました。正午には一般車両の通行が始まり、住民や観光客ら多くの車が列をつくりました。

170827長陽A.jpg阿蘇長陽大橋は熊本地震で橋と陸地の接合部に約2メートルのズレが生じ(写真上左)、付近の斜面は大規模に崩れ(同中央)、戸下大橋は崩落(同右)しました。このため2016年6月から南阿蘇村に代わって国が復旧工事を続けていました(上下写真は国土交通省提供)。

170827長陽B.jpg戸下大橋は暫定的に鉄骨製の仮橋で復旧しており、国土交通省は恒久復旧に向けた工事を続けます。熊本地震で崩落した阿蘇大橋は場所を下流に移し、国道57号の北側新ルート(阿蘇市赤水─大津町引水)として2020年度中の全線開通を目指して工事が進んでいます。

2017年6月14日には、本格的な雨のシーズンを前に、蒲島知事と地元の町村長が熊本地震で崩落した阿蘇大橋と、代替道路となる長陽大橋ルートの工事状況を視察しました。

170614ちょうようA.jpg阿蘇大橋の崩落現場は、国道57号やJR豊肥線が通る斜面の下に、まだ大量の土砂がたまっているため、調査が始まっていない状況です。新しい阿蘇大橋が完成するまでの間、代替道路として期待されている長陽大橋ルートは工事が順調に進んでいました。

170615asosisatu.jpg現場を視察した蒲島知事は「阿蘇へのアクセスは熊本の経済にとっても、阿蘇の人たちにとっても重要な工事なので、長陽大橋ルートの完成見込みを早く出してもらったことで、それに沿って(地元が復興を)計画できると思う」と述べました。また、南阿蘇村の吉良清一村長は「夏に開通ということでほっと一安心。ことしの梅雨は降らないことを祈っている」と話しました。

県立総合体育館 全面復旧                 2017年7月21日

県立体育館_R.jpg熊本地震で大きな被害を受けた熊本市西区の県立総合体育館の施設復旧工事が完了し、全面オープンしました。

熊本地震で天井のボード金具が落ちたり給排水設備が壊れたりしたほか、廊下などに亀裂が入っていました。このため、県が約2億円をかけて施設の復旧工事を行ってきました。2016年9月24日にはメイン施設の大体育室の使用が再開され、バスケットボールBリーグの熊本ヴォルターズが開幕戦を行いました。中体育室、小体育室の利用もすでに再開されています。

味噌天神の大鳥居、木製になって再建       2017年6月24日

161025misoB.jpgのサムネイル画像全国唯一の味噌を祀る神社として知られる熊本市の味噌天神宮(本村神社)は、熊本地震で鳥居が崩壊し、拝殿の瓦が落ちるなど大きな被害が出ました。

倒壊した鳥居は2017年6月に再建され、除幕式が行われました(写真下)。神社から相談を受けた熊本県みそ醤油工業協同組合が、会員34社から再建のための費用およそ270万円を集めました。倒壊前の石製から自身でも倒れにくい木製(高さ3.5メートル)に変えて再建されました。

神事のあと神楽が奉納され、地域住民に県産のみそが無料で配られました。

0625misotoriiA.jpg

拝殿の瓦は2016年秋の例大祭の3日前に修復が完了し、例大祭は10月25日、無事に開催されました(写真下)。神事の後は恒例となっている県産のみその配布が行われ、熊本県みそ醤油工業組合が500人分のみそを用意しましたが、1時間ほどでなくなりました。参拝者は「毎年楽しみで、今年はどうかなと思ったけど、祭りがあって良かった」「こんなに大盤振る舞いでびっくりした」「配布されたみそでみそ汁とちゃんちゃん焼きを作る」と話していました。

161025misoA.jpg

味噌天神は約1300年前の奈良時代に建立されたものです。もともとは713年(和銅6年)に疫病の平癒を祈願するために薬の神として「御祖天神」を祭神としたのがはじまりとされていますが、741年(天平13年)に肥後国分寺ができると、その味噌蔵を守る神とされました。あるとき国分寺の僧侶が食べる味噌が大量に腐ったときに神社に祈願すると「笹の葉を味噌に刺せ」というお告げがあり、その通りにすると味噌がおいしい味に戻ったという言い伝えから「味噌天神」と呼ばれるようになったといわれています。そばに神様が着る衣装(神衣=みそ)を織る施設があったとの説もあります。

1945年(昭和20年)7月の熊本大空襲で全焼しましたが、熊本市民や全国の味噌業者などの援助で1957年(昭和32年)に社殿が再興されました。熊本地震での被災はそれ以来の大きなものでした。

「みんなの家」日常活用6割にとどまる 宮城県の団体が調査   2017年6月18日

宮城県を拠点に被災者の支援や調査を行っている小地沢(こちざわ)将之・仙台高等専門学校准教授が、熊本県内の仮設住宅に設けられた集会所「みんなの家」の利用実態を調査し、益城町のテクノ仮説団地で開かれた学習会で報告しました。普段の居場所として活用されているケースが6割にとどまっていました。

宇城市の井尻仮設団地では、団地の完成が遅く、自治会組織もないことから、「みんなの家」の開放日を増やしたいという声が生かされていません。宇城市では「入居者の孤立や引きこもり防止に努めていきたい」と、チラシを配って利用を呼びかけています。小地沢さんは「地域力を高めるために普段の居場所として活用していくべきだ」と指摘しました。

小地沢さんは東日本大震災からの復興のために地域コミュニティーの連携などを支援する「つなセン」の会員です。つなセンはこれまでもテクノ仮設団地で「復興住まいまちづくりワークショップ」を開催したり、熊本の仮設団地の自治会長らが宮城県仙台市を訪れて東日本大震災からの復興の様子を視察した際に案内役を務めるなど、熊本の継続的な支援をしてくれています。 この日開かれた「復興住まいまちづくり学習会(益城⇔仙台)」には益城町仮設住宅連合会などが出席し、復興住まい、まちづくりの方向性について意見を交換しました。

国道57号線「復旧ルート」二重峠トンネル着工式        2017年6月17日

170617kitaA.jpg170617kita3.jpg熊本地震で寸断された国道57号線の南阿蘇村北側をう回する「復旧ルート」のうち、二重峠トンネル工事で本格的な掘削工事が始まるのにあわせ、阿蘇市側で着工式が行われました。

熊本と大分を結ぶ幹線道路、国道57号線は南阿蘇村で起きた大規模な土砂崩れで通行できない状況が続いています。復旧ルートは南阿蘇村の北側を迂回して、大津町引水と阿蘇市赤水をつなぐ全長約13キロです。

2016年9月に新たな国道ルートとして国が決定しました。大津町東部と阿蘇市西部を結ぶ最短のルートとなり、そのうち二重峠トンネル区間は約3.7キロとなる予定です。

着工式には国や県、地元の関係者など約150人が出席しました。国土交通省によると、復旧ルートの完成には数年かかるということです。

南阿蘇村で九電鉄塔建設工事大詰め        2017年6月12日

熊本地震による大規模な地滑りや地割れで送電設備が大きな被害を受けた南阿蘇村河陽で、九州電力が新たに15本の鉄塔を建設しました。2017年6月に進められた高所での電線工事の様子を取材・撮影しました。

新鉄塔は2017年6月23日ごろから、南阿蘇村などの約3万2000世帯に電力を供給する予定です。

京大火山研究センター 阿蘇市の廃校校舎に仮研究棟     2017年6月12日

kyotokazan.jpg170613kyoutoA.jpgのサムネイル画像南阿蘇村で阿蘇の活動を研究している京都大学火山研究センターは、1928年(昭和3年)に業務を始め、国の有形文化財に登録されていました。熊本地震で敷地に亀裂が入ったほか、大型の地震計が壊れたり、壁が倒れたりしたほか、周辺の地滑りで研究に使うケーブルが切断するなど、大きな被害が出ました。1階の図書館は足元の地面が隆起して、まったく使えなくなっています。ただ、建物の基盤部分に大きな損傷は見られなかったことから、京大では南阿蘇村にある現在の場所にセンターを復旧させる予定です。

170612kyoudaiB.jpg京大は熊本地震後は大津町と阿蘇市の仮事務所で観測業務などを行っていましたが、2017年6月12日に2つの仮事務所を集約し、阿蘇市一の宮の廃校になった旧坂梨小学校に仮研究棟をオープンさせました。仮研究棟は鉄筋コンクリート2階建てで、地震計のデータや映像を確認する研究室などが整備されています。

京都大学火山研究センターの大倉敬宏教授は「仮とはいえ、ここは我々の研究、教育施設の最前線に変わりない。非常によい環境を与えていただいた」と話しています。

県震災ミュージアム検討会が初会合               2017年6月7日

MUJIUM.jpg熊本地震の経験や教訓を後世に伝える「震災ミュージアム」設立に向けた検討会の初会合が開かれました。

熊本地震震災ミュージアムは、地震の経験や教訓を風化させず、防災教育や地域振興に役立てようと、県が設立に向けて検討を進めています。検討会は防災の専門家や被災地の住民などを7人で構成され、非公開で行われた会議では、「語り部」などの育成も行い、記憶の遺構も残していくべきだという声が上がったということです。

IKOUa.jpg県は震災ミュージアム完成の時期は未定としています。初会合ではそれぞれの自治体が保存を検討している益城町の断層や南阿蘇村の高野台団地、崩落した阿蘇大橋などの震災遺構について意見が交わされました。検討会は今年8月までに3回の会議を開き、9月末までに蒲島知事へ報告する予定です。

2004年に中越地震が発生した新潟県には、被災した自治体それぞれ震災にあります。被災地の一つ小千谷市の「おぢや震災ミュージアムそなえ館」には、中越地震の被災状況を伝えるさまざまな展示があり、映像に合わせて座席が揺れる「4DX」と呼ばれるシステムを導入して、地震発生時の揺れなども疑似体験できます。県内の施設には、震災の遺構を保存した公園と合わせて年間約9万人が訪れています。

発生から13年が経ち、小学生以下の子どもたちは中越地震を知らないため、新潟県はこうした施設を学校での防災教育にも活用しています。しかしこうした施設整備には高額な費用がかかります。将来の活用策も見据えた検討が必要です。

熊本学園大教職員ら 被災した生徒に「無料塾」立ち上げ      2017年6月2日

muryoujuku_R.jpg熊本地震で被災した子どもたちを対象に、無料の学習塾を立ち上げて支援する取り組みが始まりました。

熊本学園大学の向井洋子講師らのグループ「くまもと復興無料塾」運営委員会は、熊本市内でセミナーを開き、沖縄県宜野湾市で無料の学習塾を開くNPO法人「エンカレッジ」の坂晴紀さんが講演しました。坂さんは「勉強だけでなく生活面のサポートも大切」と訴えました。

くまもと復興無料塾は夏期講習で本格的に活動を始めました。9つの塾が協力し、熊本市と益城町に住む住宅が半壊以上と認定された世帯の中学生が無料で塾の夏期講習に通い、グループが行う特別授業も行われました。

人件費上昇で契約不調が急増 国や県が対策       2017年6月2日

170602koujijouhourennrakukaigi.jpg人手や資材の不足で熊本地震の復旧工事の契約が不調に終わるケースが増えていることから、行政と業界の関係者が2017年6月2日、国や県、市町村、建設業界の関係者ら約200人が出席した会議が開かれました。

人手や資材の不足は今後も続くとみられることから、会議では、工事に優先順位をつけて発注すること、費用の見積もりで県外から人手や資材を確保する経費を上乗せする際の手続きを簡素化すること、などを申し合わせました。

国土交通省によると、2016年度には県内で1万995件の公共工事の発注がありましたが、1割以上の1132件で契約が成立しませんでした。契約不調の件数は熊本地震前の2015年度の10倍、復旧のための工事が増えた2013年の九州北部豪雨の2倍近くに達しています。

* * *

国土交通省は2017年2月1日契約分から、熊本地震からの復旧・復興を進めるため、公共工事の予定価格を決める根拠となる算定基準を変更しました。具体的には、公共工事の費用を見積もる際の土木作業員の1日あたりの標準作業量をこれまでより2割減らします。また、足場や通行規制のバリケード、作業員の詰め所などの資材や重機、ダンプカーの確保がしにくくなっていることから、工事完了後は撤去される仮設機器のレンタル費用や、工事現場の維持管理費を1割引き上げます。国交省が基準を変えるのは東日本大震災以来です。

170602kouji1.jpg標準作業量を2割減らすのは、復旧・復興工事に携わる作業員の作業効率が、資材や機器の不足によって下がっているからです。

例えば、地震でがけが崩れて落ちてきた100トンの土砂を取り除くとします。ひとりの作業員が1日で1トンを取り除けるとすると、10人が10日で取り除くことができます。ところが、ダンプカーが確保できないと、10人で1日かけて10トンの土砂をかき出しても、その土砂を別の場所に運ぶダンプカーがないと、土砂は現場近くの道路わきに積み上げられたままになります。

取り除いた土砂を積み上げておく場所がなくなれば、作業は止まってしまいます。ダンプカーが来ないために作業が3日遅れれば、3日分の作業員の人件費が増えます。こうしたケースがいま、頻発しているのです。

170602kouji2.jpg国や地方自治体が予定価格を決める算定基準であらかじめこの分の人件費を加味できなければ、予定価格が低すぎて、業者は札を入れようとしません。国交省の担当者は「業者も熊本の復旧・復興に協力するとして、利幅が薄くても引き受けてくれています。しかし、さすがに赤字になることが分かっている工事には札を入れてくれません」と話します。

あらかじめ算定基準で作業員の効率を引き下げれば、予定価格を上げて契約不調件数を減らることにつながります。事業者が作業員にサービス残業を強いるといった事態も防げるかもしれません。

一方で、業者が公共工事を多く引き受けるようになれば、工場や店舗の再建といった民間の工事の引き受け手が減ることも考えられます。民間の工事で作業員に払う日当も高くなり、予算不足で工事を延期したり再建を断念したりするケースが出てくるおそれもあります。

(文章と写真は関係はありません)

地震引き金にDVや児童虐待も 県庁で対策会議        2017年5月30日

DV_R.jpg配偶者などからの暴力(DV)の昨年度の県内での相談件数は減少したものの、地震によるストレスからDVに発展したケースがあったことなどが、警察や医療関係者などが出席して県庁で開かれたDV対策関係機関会議で報告されました。

それによると、昨年度県女性相談センターに寄せられたDVに関する相談件数は885件で、前年と比べて100件ほど減少しました。特に熊本地震発生直後の相談が少なかったということです。これについてDV 被害者を支援する民間のサポート団体は「地震後の生活再建に追われて相談が減少したものとみられる。むしろ地震による緊張状態が続いたストレスから暴力に発展したケースもあった」としています。県はDVの被害者を避難させても子供の問題などから加害者がいる地域に戻らざるをえない現状があるとして、2017年6月から関係機関が連携して被害者を支援するモデル事業を始めることにしています。

* * *

170530GYAKUTAI_R.jpg同じ日に県庁で開かれた要保護児童対策地域協議会では、県内の昨年度の児童虐待の件数が前の年と同じ1090件にのぼったことが報告されました。最も多かったのが激しく怒鳴るなどの「心理的虐待」で380件、ついで子どもを放置するなどの「育児放棄(ネグレクト)」が351件、こどもを叩くなどの「身体的虐待」が323件でした。心理的虐待は夫婦間のけんかや暴力を子どもが目の当たりにすることも含まれます。

会議では「東日本大震災の被災地で家庭を取り巻く環境が大きく変わったため子育てに悩む保護者が多く見られた」として、県内でも保護者への聞き取りを行うなど関係機関と連携を図りながら注視していくとしました。

県中央児童相談所の高三潴晋所長は「(熊本地震の影響で)ゆがみ・歪という形で家族の問題が露見することが十分考えられる。 いろいろな方に相談しながら子育てすることが大事」と話しています。県内の児童相談所には熊本地震後、今年3月末までにのべ191件の相談が寄せられています。具体的には「甘えや夜泣きが多くなった」「暴言や癇癪がひどくなった」「1人でいるのを怖がるようになった」など、地震や避難生活の影響による相談が多いそうです。県は「子育てに悩んだら早めに相談して欲しい」としています。相談窓口は096・381・4451です。

湧水復活に感謝 池の大掃除 水前寺成趣園          2017年5月28日

170528suizenji.jpg熊本地震の直後一時池の水が枯れ、その後水位が戻った熊本市の水前寺成趣園で、池の大掃除がありました。

湧水の復活とこれまでの多くの復旧支援に感謝しようと、園を無料開園して行われました。地元の住民やボランティアなど約100人が参加し、熊本地震の犠牲者に黙とうをしたあと、スコップなどを手に池に入りました。池の底にたまった砂利を取り除く大人にまじって、池の石をきれいに磨く子どもの姿も見られました。

熊本城おもてなし武将隊のメンバーも参加し、「これからの子どもたちをはじめ、若い皆々にもこの水前寺成趣園の美しさを伝えていきたいと思っておりもうす」と話していました。この日は午後9時まで園内がライトアップされ、夕方からコンサートも開かれました。

西原村で地震後初の防災訓練 仮設住民も参加      2017年5月28日 

170528bousainishihara.jpg西原村で熊本地震後初めて防災訓練が行われ、仮設団地の住民も参加しました。防災訓練は西原村の2500世帯6900人に参加を呼びかけ、午前8時30分、布田川断層が震源のマグニチュード7.0の地震が発生したという想定で実施されました。

役場近くの小森仮設団地でも、防災無線のスピーカーから地震の発生を知らせる情報が流れると、住民たちは駐車場に急いで避難し、全員の避難を確認した後、火事の消火訓練も行われました。

西原村ではこれまで2年に1回防災訓練を行っていて、昨年の熊本地震ではその成果が見られた場面もあったということです。

復興要員確保に四苦八苦 女子従業員や高校生の視察会も  2017年5月25日       

一連の地震による被害額は熊本県の試算で3兆7850億円。すべてを元に戻すだけで2020年の東京五輪が開催できるだけの予算が投入される計算となります。県内は今後数年は建設業を中心に復興需要が続くとみられますが、大きな課題として浮上しているのが復旧・復興要員の確保です。継続的に建設業に従事する労働力が確保できなければ、息の長い復興への取り組みは実を結ばないからです。

170526ONNADOKEN.jpgこのために必要なのが、若者の建設業への就労人口を増やすこと、さらには女性や高齢者など、これまで建設業に携わってこなかった人たちの労働力を活かすことです。

県建設産業団体連合会は2017年5月25日、女性従業員を対象にした工事現場の見学会を開き、県内の建設会社などで働く女性20人余が熊本市西区のトンネル工事現場を見学しました。2012年の国の調査によると、県内で建設業に携わる従業員5万3000人余のうち女性は約18%にとどまっています。業界側にも、女性が働きやすい環境の整備といった課題があります。

若い建設産業の担い手確保に向けて「建設産業イメージアップ戦略」を進めています。建設産業の力、県民の安全・安心を支える仕事の魅力を広く知ってもらおうと、2016年10月27日にはPR動画を制作しました。

地震発生直後は全国から復旧応援に多くの人が集まりましたが、インフラがほぼ復旧すると応援要員は次第に減っていきますが、復興はこれからが本番で、県内では復興に向けた建設土木工事が増加しています。しかし、高校で土木を学ぶ生徒の3分の2は土木や建設業界に進まないといいます。

161021DOBOKUa.jpg被災地を見て就職先として考えてほしいと、熊本県建設業協会は2016年10月25日、熊本市内の高校で土木を学ぶ高校生を対象に現場見学会を開きました。熊本農業高校、開新高校、熊本工業高校の農業土木科や土木科の生徒たちが、熊本地震で大きな被害を受けた現場に足を踏み入れました。

南阿蘇村の大規模な土砂崩落現場を訪れた生徒たちは、県の担当者から被災の現状を聞きながら、被害の様子を確かめていました。多くの生徒は被災現場に初めて来たということで、変わり果てた風景に息をのんでいました。土砂崩れで道路が寸断され、いまだに復旧作業が始まっていない現場も見学したほか、楼門が倒壊するなど大きな被害が出た阿蘇神社も見学しました。

見終わってから「道路整備などの仕事がしたいと思った」「早く土木を勉強して将来役に立てるようにしたい」と話す生徒もいました。自分の目や耳で被災現場を体感し、自分たちが学ぶ土木の重要性を感じた高校生たち。この日学んだことはレポートにして、今後の勉強に生かしていくということです。

著しい被害のおそれ 土砂災害「レッドゾーン」拡大      2017年5月24日

県が「土砂災害警戒区域」を再調査した結果を公開しました。熊本地震とその後の大雨で、阿蘇地域で山の崩落があったことを受けたもので、再調査の結果、警戒区域の中で、特に住宅や住民に著しい被害が及ぶおそれがある「土砂災害特別警戒区域(レッドゾーン)」が拡大し、新たに185戸がレッドゾーンに入っています。

県内全域の土砂災害危険度がわかる「土砂災害情報マップ」は yubiyubi.png こちら から

県は、昨年の地震や昨年6月の豪雨による被害が深刻だった阿蘇市、南阿蘇村、大津町にある「土砂災害警戒区域(イエローゾーン)」131区域をすべて再調査しました。その結果、半数以上の74区域でイエローゾーン内のレッドゾーンが拡大しました。

170519TENKEN.jpgレッドゾーン内は地震による地盤の緩みがあったり、山から遠くても土砂が流れ込んだりするおそれがあるということです。県内では阿蘇地方を中心に60か所で土砂災害を防ぐ工事の必要があり、およそ200億円の費用が必要と見込まれています。県は梅雨入りを前に、土のうを積むなどの応急措置を進めていますが、いまだに崩落した岩が多く残るなどしており、大雨警報が出た場合などは明るいうちに避難する「予防的避難」が必要です。

2017年5月19日に阿蘇市の土砂災害警戒区域を調査(写真上)した熊本大学の北園芳人名誉教授(地盤工学)は「雨の時に(山上の)土砂が崩落して、不安定な崖の土砂やがれきをを巻き込むとより大きな崩壊になってしまう。それが一番心配だ。平成24年の九州北部豪雨より少ない雨で同じような土砂災害が起きやすくなっている」と指摘しています。

県内全域の土砂災害危険度がわかる「土砂災害情報マップ」は yubiyubi.png こちら から

九州地方知事会、広域応援で一致 市長会とも連携    2017年5月23日

kyuusyutiji_R.jpg鹿児島県で開かれた九州地方知事会議で、熊本地震を踏まえた「広域応援」の対応策がまとまりました。

会議では、熊本地震での自治体間の支援について検証した報告がまとめられ、今後の対応策として、震度6強以上の地震が起きた場合、被災県からの要請を待たずに各県から情報連絡員を派遣すること、スムーズな物資の輸送体制を確保するため、民間事業者を活用することなどが盛り込まれました。

熊本地震では九州各県から自治体職員がすばやく応援に入りましたが、物資の仕分け作業などが不慣れで一部で応援物資が滞ったため、民間の力を活用することにしました。

熊本に寄り添った支援を継続するとともに、南海トラフ地震などへの備えを進めていくことも確認しました。九州地方知事会の広瀬勝貞会長(大分県知事)は「(海から陸揚げできる)臨海型の物資集積拠点、内陸型の物資集積拠点を頭に入れてやる必要がある」と話しました。

九州地方知事会は2017年5月、九州市長会と広域支援に関する覚書を交わしました。知事会は被災した市町村ごとに支援を担当する県を割り当てており、覚書では「担当する市町村に応援の職員を派遣して欲しい」と県から要請があった際には、九州の各市が対応することになっています。

* * *

170512KYUUSYUUSICYOUKAI-thumb-330xauto-18697.jpg九州・沖縄118市でつくる九州市長会が2017年5月11日に玉名市で開かれ、熊本地震の教訓を生かした災害時相互支援プランをとりまとめました。

防災部会で検討を重ねてきたもので、震度6弱以上の地震発生時は24時間以内に被災した県に情報連絡員を派遣し状況を把握すること、要請を待たず救援物資を送る「プッシュ型支援」を実施することなどが盛り込まれています。

避難所への輸送や仕分け、災害時の支援、受援のノウハウを知る人材の育成も進めます。市長会では知事会も連携し、防災体制の強化を急ぐことを申し合わせました。

温泉楽しんで医療支えて... 「復興支援ナース」募集開始      2017年5月15日

170515na-suA.jpg県と県看護協会は、阿蘇地域に短期間住み、観光も楽しみながら短期勤務する看護職員「くまもと復興応援ナース」を全国から募集する新たな制度を始めました。

県庁で蒲島知事と県看護協会の嶋田晶子会長が職員確保のために連携していくことを定めた覚書を結びました。病院が託児所を併設した寮や通勤などの使う車などを用意し、無料で使えるようにするほか、地元市町村が温泉めぐりやスイーツめぐりができる入浴券や食事券、観光施設の入場券などの特典を用意します。

募集するのは阿蘇地方の病院に1か月~1年勤務できる看護師や准看護師、保健師、助産師で、阿蘇温泉病院(阿蘇市)、阿蘇立野病院(南阿蘇村)、小国公立病院(小国町)など、阿蘇郡市の6病院で20人以上の確保を目指しています。

阿蘇地方では熊本地震後、熊本市内などからの通勤に使う国道57号やJR豊肥線が寸断されたことで看護職員の離職が相次ぎ、6病院で計62人が離職。夜勤職員らが不足しがちの状態が続いています。

県ナースセンターの専用ページは yubiyubi.png こちら

頑張れ南阿蘇!東海大農学部の学生が2800の灯り 2017年5月13、14日

170513akari.jpg東海大農学部の学生たちが、熊本地震から1年1か月にあわせ、南阿蘇村では復興を願って灯りをともしました。企画したのは東海大学阿蘇キャンパスで学んでいた農学部の学生たちです。

午後6時半過ぎに全国からのメッセージが書かれた約2800基の三角灯ろうに灯がともされ、阿蘇の山々を背景にあかりが広がり、復興を願う言葉が浮かび上がりました。熊本地震で東海大学阿蘇キャンパスでは3人の学生が犠牲となっています。農学部の学生たちは今は熊本市内のキャンパスで学んでおり「このあかりに地震の被害を忘れてはいけないという思いをこめた」と話しています。

空き家が突然倒壊 なお熊本市内の800棟が倒れるおそれ   2017年5月11日

170511akiya1.jpg熊本市中央区本山1丁目で、空き家が当然倒壊して市道をふさぎました。この家屋は「全壊」の判定を受け、候補解体の順番待ち中でした。けが人はいませんでした。

これを受けて熊本市が倒壊などのおそれがある800棟を調べたところ、このうち50棟の空き家が、倒壊した場合に周辺に二次災害を及ぼすおそれがあることが分かりました。SIRO_R.jpgのサムネイル画像のサムネイル画像

SIRO_R.jpgのサムネイル画像のサムネイル画像のサムネイル画像

170511akiya2.jpg翌日に記者会見した熊本市の大西一史市長は「解体は所有者の皆さんの協力がないと早く進まない。しっかり全体の状況を把握しながら、二次災害を起こさないように万全の体制をとっていきたい」と話しました。熊本市は危険性が高い家屋について再確認したうえで、優先して解体する方針です。

県内には熊本市以外にも、地震の前から長い間空家になっていたりして、所有者と連絡が取れない空き家があり、倒壊の恐れが高いと判断されれば、自治体が法律に基づいて優先して撤去することになっています。

益城町役場 仮庁舎で業務開始        2017年5月8日

170508益城仮庁舎.jpg熊本地震で役場庁舎が被災した益城町の役場仮庁舎が完成し、業務を始めました。

仮庁舎は現庁舎の北に約1キロ離れた木山仮設団地の南側に完成しました。2階建て延べ約3000平方メートルで、本館と別館があります。本館には1階には税務課や福祉課、本館2階には総務課などのほか、県道熊本高森線の4車線化や災害公営住宅の整備を担う復興整備課があります。別館には危機管理課と議会事務局が入り、別館2階の大会議室が町議会の本会議場となります。

町は熊本地震以降、現庁舎の一部や公民館、仮設のプレハブで業務を続けていました。宅地被害の相談などにあたる復旧事業課は仮設庁舎には入らず、当分の間、現庁舎北側のプレハブ庁舎で業務を続けるということです。

新庁舎の建て替え場所について、町は活断層を避けたうえで①現庁舎周辺②町道グランメッセ木山線沿いの木山地区③同線沿いの惣領地区――の3案から、コストが安い現庁舎周辺案を選択。有識者や地元経済団体の代表らで作る新庁舎建設検討委員会が2017年1月30日、現庁舎周辺案を賛成多数で承認し、町は2021年度の使用開始を目指し、建設を進めることにしています。

御船町の道路ふさぐ巨岩 ヤフオクで売却し撤去          2017年5月1日

161221KYOGAN.jpg熊本地震で山から落ち、作業道をふさいでいた周囲12mの巨大な 石灰岩が、ヤフーオークションにかけられて撤去にこぎつけました。

この巨岩は御船町水越にあり、高さ約3.5メートル、周囲約12メートル、重さは推定約100トンもあります。熊本地震で山jから転げ落ち、山中の畑に続く作業道をふさぐ形で止まっています。道は地元が管理しているため県や町に撤去を頼めず、多額の費用が出せずにそのままになっていました。

地方創生を支援する「ふるさと発復興会議」の助言もあって、岩をインターネットオークションで売却し、買い手に除去してもらうアイデアが浮上。地元住民でつくる「水越地域活性化協議会」が12月13日、ヤフーオークションに出品しました。巨岩の出品が話題になれば、買い手がつかなくても撤去の相談相手が見つかるのではないか、という思いもあったようです。締め切りの2016年12月20日までに10件の入札があり、県内の男性が2400円で落札しました。「小さく割って販売したらいい」「記念碑にしてはどうか」などのアドバイスもあったそうです。

170501爆破A.jpg落札者は自費で現場で岩を砕いて撤去することとし、2017年5月1日、ダイナマイトで岩を爆破して除去しました。落札者の方は破片を建立中の観音堂の結界石として使うそうです。ちなみに国内ではダイナマイトの生産は終わっており、ダイナマイトによって爆破された岩は少なくなるそうです。

170502mihuneisi.jpg落札者が持ち帰った以外の破片は「風神(かざがみ)石」と名付けられ、爆破翌日の5月2日から再びヤフーオークションで販売され、最高で7万1000円もの値が付きました。水越地区では熊本地震の後、2016年6月20日の豪雨被害で作業道が流され、岩がなくなってからも畑を使用できない状態が続いています。売上金は全額、地区の復興資金にあてられる予定です。

ちなみに「風神石」の名前は、地区に伝わる民話に由来しているそうです。

「むかし、鍾乳洞の奥に顔のみにくい女性の風神が住んでいた。近くに住む美男子の作神に思いを寄せ、ある時胸のうちを打ち明けたが、作神は受け入れなかった。風神は報復のため、作神が苦心して実らせた農作物を洞窟から大風を起こして吹き散らしてしまった。驚いた村人は洞窟に風神を祭り慰めると風はしずまった。その後、一人の女性がお参りすると、また大風が吹き出したので、それ以来、女性禁制になったという。風神は洞窟のある山の上に祀られ、祭りは二百十日と二十日に行われ、いまでも男だけがお参りをしている(御船町風土記)」

ソウル〜熊本定期便 地震から1年経て再開          2017年4月28日

20170428seoulA.jpg韓国の格安航空会社(LCC)、ティーウェイ航空は4月28日から、ソウル(仁川空港)〜熊本線の運航を開始しました。韓国便の同路線の定期便は、2016年の熊本地震発生以来約1年ぶりとなります。

ティーウェイ航空の第1便は170人あまりを乗せて熊本空港に到着。ティーウェイ航空のキャラクター「BOOTO」も参加して熊本空港で開かれた記者会見で、ジョン・ホングン社長は熊本地震の影響について「今は安全な地域として認知されており、そんなに大きい影響はないと思う」と話しました。

ティーウェイ航空は月、水、金、日曜日の週4往復、ボーイング737-800型(189席)を運航する予定で、85%以上の搭乗率を目指すということです。

ソウル-熊本線はアシアナ航空が週3往復を運航していましたが、熊本地震の本震が起きた2016年4月16日からはソウルからのチャーター便は数便飛んだものの、定期便は運休が続いていました。

益城町のボランティアセンター閉鎖 感謝と涙の別れ      2017年4月22日   

熊本地震で大きな被害を受けた益城町で、全国からボランティアが集まる支援の拠点となってきたボランティアセンターが「1年と1日」で閉鎖されました。

170422益城ボランティアセンター.jpg

益城町のボランティアセンターは熊本地震の本震から5日後の2016年4月21日に開設され、1年間で全国から益城町の人口より多いのべ3万6000人余が集まって、住宅の片付けやがれきの撤去など5151件の活動を行いました。最近は住宅の解体などが進み、住民からのボランティア派遣の要請が減ったことから、センターを閉鎖することにしました。今後は町の社会福祉協議会でボランティアを受け付けます。

センターの最終日となった4月22日も受付には県内外から100人以上のボランティアが集まり、片付けなどに汗を流した後、ボランティアセンターの職員らとあいさつを交わし、記念撮影をするなどして別れを惜しんでいました。これで熊本地震後に開設された県内のボランティアセンターで残っているのは、大津町のセンターのみとなりました。

170422MASHIKIBORA2-2.jpg

立入禁止エリアの動物たちはいま...動植物園で見学会       2017年4月22日

170422tatiiriA.jpg熊本地震で被災した熊本市動植物園で、立入禁止となっているエリアの見学会が始まりました。

この見学会は動植物園の復旧のために寄付をした「復興応援サポーター」を対象に、園内の現状を見てもらおうと企画され、通路を確保して訪れた人が動物たちを見ることができるようにしています。立入禁止となっているエリアには、カバやホッキョクグマなど人気の動物がいて、参加者は「子どもたちが早くたくさんの動物を見られるようになってほしい」と話していました。

動植物園は一部の施設で開園しましたが、園内の復旧工事が終わり、完全再開するのは2018年春となる見込みです。

ゆめタウンはません 地震から1年で全館再開          2017年4月20日

熊本地震で被災し、一部で休業が続いていた熊本市南区の大型ショッピングセンター「ゆめタウンはません」の3階と1階フードコートが営業を再開し、地震から1年で全館オープンとなりました。この日は熊本市東区のなぎさ子ども園の園児がオープニングセレモニーに参加し、歌を披露したり、開店前に列を作った買い物客を出迎えたりしました。

170420hamasenA.jpg

この日は24の専門店が営業を再開したほか、新規にABCマートなど17専門店がオープンしました。フードコートには熊本初出店として ラーメン「一風堂」やとんかつ「豚屋 とん一」などが登場しました。

ゆめタウンはませんは地震で大規模に天井や配水管が壊れ、休業が続いていました。2016年9月30日には、地震から5か月半ぶりにまず食品フロアを中心とした1階部分の営業を再開しました(写真下)。

160930無題.jpg

11月30日には2階フロアの営業を再開し、熊本初出店の「アカチャンホンポ」など5店舗が新規に出店しました(写真下)。2017年3月16日には隣接するTOHOシネマズはませんも営業を再開しました。

161130hamasenA.jpg

明治と平成の熊本地震で崩落?「奇跡の夫婦岩」       2017年4月16日

170416meitoiwa.jpg熊本地震で熊本市西区上松尾町の農道に落ちてきた巨石に、地域の住民らが案内板や説明板を設置し、以前からあった巨石とともに「奇跡の夫婦岩」として祀りました。

巨石は旧松尾東小近くのミカン畑を通る農道の両脇にあり、幅6メートル、高さ2.5メートルの大きい方の岩(写真右)は熊本地震で山から転がり落ちてきたとみられます。近くにはもうひとつ、明治の熊本地震で落ちてきたとされる一回り小さい岩(写真左)がありました。上松尾2町内の住民の間から2つの巨石を「夫婦岩」として地域のシンボルにしようという話が持ち上がり、熊本地震から1年の節目に、巨岩の下部を固定して看板が取り付けられました。

看板には「時空(とき)を超えて再会 明治中期に起きた地震で、山頂の観音様付近より転がり落ちた左側の岩石を、平成28年4月16日に発生した熊本地震で目を覚まし、後を追い求めるようにミカン畑をはさみ、この場所に鎮座した右側の岩石。地元住民はこれを"奇跡の夫婦岩"と名付けここに祀ることとする」と書かれています。2つの巨石に至る農道入口には「奇跡の夫婦岩」への道を示す案内板も設けられています。

「一五九二」の古今堂 地震から1年で再開          2017年4月16日

阿蘇中岳の標高(1592m)の名前を冠する銘菓「一五九二(ひごくに)」で知られる南阿蘇村の菓子メーカー「古今堂」。熊本地震で被災した店舗や工場を再建し、散り散りになっていた従業員が、本震からちょうど1年で再び集まりました。再開までの険しい道のりを紹介します。

南阿蘇村追悼式 ふるさと再興に誓い            2017年4月16日

170416masoA.jpg関連死も含めて27人が犠牲となった南阿蘇村では、河陽の長陽体育館で村主催の追悼式が開かれ、計315人が参列しました。正午の防災サイレンを合図に参列者全員が黙とう。吉良清一村長は「犠牲者や被災者の思いを心に刻み、ふるさとを再興する」と誓いました。

地震で息子夫婦を亡くした鳥居政次さん(73、写真右下中央)は式典の後、「寂しい。悔しい。あらゆる葛藤が(あった)。ひとりになるのはものすごい寂しいことなんよ」と、絞り出すように語りました。

地震から1年 益城町追悼式「前に歩くことが供養」       2017年4月15日

170415mashikinA.jpg2度の震度7に襲われ、震災関連死も含めて37人(直接死20人、関連死17人)が犠牲になった益城町の追悼式は、町文化会館で犠牲者の遺族93人を含む約400人が参列して行われました。

西村博則町長は「町民一人一人の生活再建を第一に、全力で復興に取り組んでいく。震災前より住みやすく、災害に強い町をつくることを固く誓う」と述べ、全員で犠牲者を悼み献花しました。16日の本震で長女を亡くした河添登志子さんが遺族代表として「悲しみはいえないが、私たちが前へ歩き生き抜くことが、地震で命を落とした娘や犠牲者への供養だと思う」と犠牲者を追悼しました。

西原村追悼式「悩み苦しみ人生に向き合う」   2017年4月15日

170415nishiharaA.jpg関連死も含め、8人が犠牲となった西原村では村構造改善センターで追悼式が開かれました。遺族ら約300人が参列し、日置和彦村長が「犠牲者の無念の思いを生涯忘れず、復旧復興に一層努力することを誓います」と式辞を述べました。

遺族を代表して、父親を亡くした内村勝紀さん(写真中央)が「遺族をはじめ村民は、不自由な生活に耐えながら頑張っています。前を向いて村の復興と発展を祈りたい。生きているからこそ迷い、悩み、苦しみながら、それでも命が続いていることを実感し、人生に向き合っていくことこそ、私は復興と考えている」と追悼の言葉を述べました。

式の後、参列者は全員で復興への思いが詰まった風船を飛ばしました。

地震から1年 県の犠牲者追悼式 安倍首相が追悼の辞     2017年4月14日

170414kentuitouA.jpg熊本地震の前震から1年となる4月14日、県庁では犠牲者追悼式が開かれ、安倍首相も参列しました。首相は「被災者の方々お一人おひとりのお気持ちに寄り沿い、一日も早い生活の再建と、生業(なりわい)の再生、被災地の復興を実現するため、引き続き、政府一丸となって全力で取り組んでまいります」と追悼の言葉を述べました。

遺族を代表して、避難中に母親が亡くなり、関連死と認定された熊本市の冨永眞由美さんが「悲しみを乗り越え、この辛さを心の糧として立ち上がる人が増えて、熊本が笑顔と活気にあふれるふるさとに再建されていくことを願います」と話しました。

式典では午前10時に犠牲者に対する黙とうが捧げられました。同時刻には熊本市内でもサイレンが鳴らされ、あちこちで黙とうを捧げる人の姿が見られました。

170414mokutouC.jpg追悼式での安倍首相、蒲島知事、遺族代表の式辞、挨拶全文は以下の通りです。

【安倍首相 追悼の辞】

170414sikiabe.jpg「熊本地震犠牲者追悼式」が執り行われるにあたり、政府を代表して謹んで追悼の言葉を申し上げます。

震度7の地震が連続して発生し、ここ熊本県を中心に甚大な被害をもたらした熊本地震の発生から1年の歳月が経ちました。

この地震により亡くなられた方々の無念さと、最愛の方を失われた御遺族の皆様の深い悲しみに思いを致しますと、誠に痛恨の極みであり、哀惜の念に堪えません。ここに改めて、衷心より哀悼の意を捧げます。また、被災された全ての方々に心からお見舞いを申し上げます。

発災後、被災地を訪問した際、凄まじい地震の爪跡を目の当たりにし、被害の甚大さに言葉を失いました。避難所生活を送られている被災者の方々の大変な御苦労に接し、必ずや、全ての被災者の方々が震災前の笑顔を取り戻し、安心して暮らせる街をつくりあげる、そうした復興を成し遂げることを決意いたしました。これまでに、地元の方々の大変な御努力、関係機関の御尽力、そして全国の方々からの温かい御支援によ り、復旧・復興は一歩一歩、前に進んでまいりました。しかし、未だに4万7000人を超える方々が仮設住宅などで不自由な暮らしを余儀なくされています。地域産業の再生や、道路などのインフラの復旧、そして熊本のシンポルである熊本城の復旧など、取り組むべき課題は数多く残っています。

復旧・復興をできるだけ早く成し遂げることこそが、犠牲となられた方々の御霊に報いる道です。被災者の方々お一人おひとりのお気持ちに寄り添い、1日も早い生活の再建と、生業(なりわい)の再生、被災地の復興を実現するため、引き続き、政府ー丸となって全力で取り組んでまいります。また、熊本地震から得られた多くの貴重な教訓を踏まえて災害対策の一層の充実を図り、災害に強い、強靭な国づくりを進めていくことを、ここに固くお誓いいたします。

御霊の永遠に安らかならんことを改めてお祈り申し上げるとともに、御遺族の皆様の御平安を心から祈念し、私の追悼の言葉といたします。

内閣総理大臣 安倍晋三

【蒲島県知事 式辞】

170414tiji.jpg熊本地震犠牲者の追悼式に当たり、犠牲となられた方々の御霊に対して、熊本県民を代表し、謹んで哀悼の意を表します。

平成28年4月14日と16日の、2度にわたる震度7の激震は、私たちのふるさと、熊本の姿を一変させました。倒壊した建物、崩れ落ちた阿蘇大橋、傷ついた熊本城など、次々と映し出される光景に、私たちは言葉を失いました。

強い余震が続く中、自衛隊や消防、警察による懸命の救助活動が続けられ、1700名を超える命が救われました。しかし、私たちの願いもむなしく、犠牲となられた方々は、災害関連死を含め、225名に及びます。お一人お一人に愛する家族があり、夢があり、幸せな暮らしがありました。どんなに月日が流れても、最愛の家族を突然失われたご遺族の深い悲しみは、癒えることはありません。改めて、心からお悔やみを申し上げます。

先日、益城町の仮設住宅で、被災された方の孤独死が発生いたしました。本当に残念でなりません。今後は被災された方々が孤立しないよう、行政、自治会、民生委員、ボランティアなど地域全体で対応していきたいと思います。

「熊本県には決して大きな地震は来ない」そんな過信が、私の中にあったのではないか。地震の起こったあの日から今に至るまで、自らに問いかけない日はありません。県民の生命、財産を守る知事として、亡くなられた方々の遺志を受け継ぎ、遺されたご家族をこれからも守り続けていくため、災害に対する万全の備えを築いて参ります。

このたびの地震においては、発生直後から、国や全国の自治体、関係者の皆様による力強い御支援をいただきました。御支援いただいた皆様に、この場をお借りして、厚く御礼を申し上げます。

今、熊本は、全国から寄せられた支援の輪に支えられ、復興に向けて、着実に歩みを進めています。

私は、訪れた仮設住宅で、被災された方々がお互いに励ましあい、一歩一歩、生活再建を進めておられる姿に、胸を打たれました。また、代々引き継いできた田畑が被災し、それでもなお、自然と向き合い、黙々と耕し続ける農家の皆様の姿に、復興する熊本の姿を重ねました。復旧・復興の先頭に立ち、県民の皆様を励ますつもりでいた私自身が、被災された方々から励まされ、勇気をいただいています。

今回の地震では、県民の約1割、18万人を超える方々が避難先で肩を寄せ合い、過ごされました。そのような中、子ども達が周りの人々を思い、行動する姿が、私の心に残っています。トイレを使われた高齢者の手を洗ってあげるため、水が入ったヤカンを持って待っている子ども達、食事の配膳や物奇の仕分けを率先して行う子ども達、多くの避難所で大人に負けない子ども達の活躍がありました。「みんなのために、自分に出来ることは何か」、子ども達は自らに問いかけ、行動したのです。

未来を担う、この子ども達のためにも、安心して暮らすことができ、夢と誇りにあふれる熊本を必ずや創り上げて参ります。そして、創造的復興を成し遂げた「ふるさと熊本」を、次の世代に引き継いでいくことを、あらためてお誓い申し上げます。

最後に、皆様の御支援に対する感謝を深く胸に刻み、犠牲となられた方々のご冥福と、一日も早い熊本の復興を願い、追悼の言葉といたします。

熊本県知事 蒲島郁夫

【遺族代表の言葉】

170414izoku.jpgのサムネイル画像芽吹きとともに巡りくる春、一年で一番美しく穏やかな季節です。しかし、今日ここに集う私たちは、これからずっとこの季節を心の痛みと共に生きる事になりました。今日4月14日、そしてあさって4月16日が訪れるたびに、あの日の惨状が目に浮かび、何よりも愛する家族を失ったあの時を思い出し、深い悲しみの記憶にさいなまれずにはいられません。地震から1年の節目となる今日、このように追悼の場を整えていただきましたことに心から感謝申し上げ、遺族を代表いたしましてご挨拶を申し述べさせていただきます。

私は1年前、突然の大地震に、着の身着のまま愛犬を連れ、家族3人近くの駐車場に車で避難しました。先に来ていた顔見知りの方に「お婆ちゃんは大丈夫?」、「困ったら言うてよ」と、口々に温かい声をかけてもらいました。心優しい隣人に囲まれた暮らしに感謝したことを思い出します。しかし、16日の2度目の揺れで同じ場所に避難して夜を過ごすうちに、元々寝たきりで弱っていた母の呼吸は浅くなり、夜明けを待って病院へ駆けつけた時には、もう医学の力で母を蘇らせることはできませんでした。火葬場も被災しており、すぐには使えず、1週間の間、母と我が家で心行くまで一緒に過ごせたことは、せめてもの救いでした。

私は母を見送り、次第に日々の暮らしが戻って参りますと、悲しみの中ではありますが、少しずつ地震が起きて得たものにも気づき始めました。商品が散乱した店をいち早く片付け、店に来る人に必要な品物を配っていらした方。家の前に「うちは水が出ますのでトイレは自由にお使いください」と立札を立てられた方。「お隣が高齢の方だから水汲みに行ったら、必ず分けてあげるの」とおっしゃる方。皆大変な中で気遺いや手助けを始められ、それを続けていらっしゃる姿が目に止まるようになってきました。

普段はあまり顔も見たことのないご近所の、そんな心温まる言葉やさりげない援助を知るうちに、感謝の気持ちが芽生え、交流が始まるなど、いくつもの変化が少しずつ私の中に生まれました。悲しく辛い地震でしたが、まわりの人の優しさは、私の生活に希望の花を咲かせてくれました。

私は、「花は咲く」という歌が大好きです。大きな災害を体験してあの歌の「花は、花は、花は咲く」というフレーズが胸に迫り、地震の後も変わりなく庭に咲く花を見ると、いのちの営みの退しさと尊さに、生きる力が湧いてきます。私の母は本当に無口で、人生の生き方や教訓めいたことを聞かされた記憶はありません。でも愚痴ひとつこぽさず、黙々と家事をこなす小さな背中が、当たり前の日常のありがたさを、教えてくれていたような気がします。庭の花はまるで母のようで、毎日、私を温かく励ましてくれます。

これ迄も、またこれからも、遺族として悲しみが癒えることはありません。それでも多くの人に支えられてここまで来ました。本日の追悼式をきっかけに、私たち遺族が少しでも前を向いて、元気に歩きだすことは、亡くなった方々の望みではないでしょうか。私自身も顔を上げて生きていきたいという思いで、本日、この場に立たせていただきました。悲しみを乗り越え、この辛さを心の糧として立ち上がる人が増えて、熊本が笑顔と活気に溢れるふるさとに再建されていくことを願い、私の挨拶といたします。

遺族代表 冨永眞由美

地震から1年 会社再建にかける益城町の男性       2017年4月14日放送

被災家屋の解体・撤去がなかなか進まなかった益城町の風景もようやく変わり始めました。被災した建設会社代表の男性も、社屋を再建しようとしましたが、そこに県道4車線化の話が持ち上がり、計画はいったん白紙に。しかし、男性は前を向いて進み続けようとしています。

益城町と熊本大学が復興に向け包括連携協定         2017年4月12日

170412mashikikumadai (1)_R.jpg益城町と熊本大学は、町の復興を進めるため、包括的連携協定を結びました。長期にわたる町の復興で、生活再建、都市計画、産業復興、防・減災、被災記録などの分野で緊密に連携する方針です。

ましきラボで行われた調印式には熊大の原田信志学長(写真左)と益城町の西村博則町長(写真右)が出席し、握手を交わしました。

熊大の教員や学生は地震の直後から災害復旧・復興支援活動や、仮設住宅住民の動向調査、被災者支援のボランティアなどに取り組んできました。

2016年10月19日には支援の拠点となるましきラボがオープンし、オープンラボ、勉強会開催など、行政と住民のつなぎ役としての活動を行ってきました。今後はこれからのまちづくりに研究者の知見や学生の柔軟な発想などを生かし、断層近くの建物の再建など、難しい課題で連携していきます。

サントリー九州熊本工場が完全復旧 工場見学を再開    2017年4月12日  

嘉島町のサントリー九州熊本工場が熊本地震以降休止していた工場見学を、ほぼ1年ぶりに再開しました。さっそく30人ほどが見学しビール試飲も楽しんでいました。工場見学再開セレモニーに出席したサントリーホールディングス(HD)の鳥井信宏副社長は「熊本工場の重要性は変わらない。これからも熊本で頑張っていきたい。熊本の復興にも協力していきたい」と話しました。

170412saikaiA.jpg熊本地震で被災した嘉島町のサントリー九州熊本工場は熊本地震で工場の天井や配水管などに大きな被害を受け、主力のビールの製造ができなくなっていました。

サントリー被災画像.jpgsuntoryC.jpg工場では2016年11月8日から「ザ・プレミアム・モルツ」の仕込みを再開。嘉島町の荒木泰臣町長(左写真右)らが出席して、ビールの仕込み窯にホップを投入する仕込み再開式を行いました。ただ、この時点では工場の復旧はまだ2割程度にとどまっていました。

12月13日には約8か月ぶりに飲食店に出す業務用のビールから商品の出荷を再開し、佐賀県鳥栖市にある配送センターに向けて15リットルのビール樽2000樽を載せたトラックが出発しました。

ぷれもる-1.jpg2017年1月31日には、主力商品「ザ・プレミアム・モルツ」の缶ビール出荷を再開しました。主に家庭向けとなる「缶入り」の出荷は9か月半ぶりとなります。

熊本工場の復旧工事中は「ザ・プレミアム・モルツ」は京都工場などで生産していましたが、サントリーは再び熊本工場を生産拠点にしました。

「金麦」「ザ・モルツ」とノンアルコールの「オールフリー」についても順次生産を再開し、 「伊右衛門」「阿蘇の天然水」など清涼飲料の生産についても缶入り、ペットボトル入りの順で再開しました。


PUREMORU-4.jpgサントリーは4月上旬からは熊本工場で約10万缶限定で「火の国ビール」(写真左)を製造し、イベント会場などで無料配布しました。また、4月25日には数量限定「ザ・プレミアム・モルツ」「金麦」「オールフリー」をそれぞれ数量限定で発売しました。いずれも缶のラベルの裏側に、工場再開への支援のお礼や復興を支援するメッセージを記しています。

「ザ・プレミアム・モルツ」は売り上げ1缶につき10円、「金麦」と「オールフリー」は1缶につき5円が、熊本城の復旧・復興資金として寄付されます。

益城町の小中学校 1年ぶり温かい給食           2017年4月12日

mashikikyuusyoku.jpg益城町の学校給食センターは町内7つの小学校の給食約3300食分を作っていましたが、地震で使用不能になり、業者の弁当に頼っていました。

ただ、弁当は冷たく、費用もかさむため、被災した保護者の給食費負担を増やさざるを得なくなります。益城町に本社がある再春館製薬所が自社の食堂を使って温かい給食を供給(yubiyubi.pngこちら)したり、給食費の負担を増やさないよう、熊本市のスーパーが2016年8月、売上金の一部を寄付する「復興サイダー」を発売(yubiyubi.pngこちら)したりするなどの支援も広がりました。

mashikikyuusyokuB.jpg町は新たなセンター整備までの2年間、5小中学校の給食の提供を熊本市に要請(上写真左)し、2017年3月29日、熊本市の大西一史市長と益城町の西村博則町長が協定に調印しました(上写真右)。調印式で熊本市の大西市長は「(子どもたちの)心のケア、心の復興につながっていくことが何よりも大事」と話しました。益城町は熊本市に年間7200万円の委託費を払って5校分3000食分を確保し、2校分は御船町の民間施設を借りて300食を供給します。

ptamashiki_R.jpg2017年3月21日には県PTA連合会に全国から寄せられた義援金のうち、1800万円が益城町教育委員会に贈られました(写真左)。義援金は熊本市と益城町の給食費の差額分に充てられ、再開後も益城町の小中学校の給食費は地震前と同じ額に据え置かれます。

こうして2017年4月12日、益城町はほぼ1年ぶりに町内7小中学校3300人分の給食を再開しました。初日のクリームシチューは完食の人気。被災した町の給食センターの再建は2018年になる予定です。

西原村の保育園 母を亡くした園長先生の1年    2017年4月12日放送

熊本地震で母を亡くした西原村の保育園の園長が、園児の笑顔に支えられて悲しみを乗り越え、卒園式を最後に39年勤めた園を退職しました。

知的障害・発達障害児の災害時対応 7項目を提言    2017年4月11日

170412SYOUGAISYA.jpg知的障害がある子どもの保護者などでつくる「熊本市手をつなぐ育成会」が4月11日、熊本地震で障害者やその家族が感じた避難所などの改善点をまとめ、大西一史熊本市長に提言しました。同会によると、障害のある子どもたちの地震の受けとめ方はさまざまでしたが、発生後10日間ほどは「パニックをおこなさかった」、「いつになく、素直に状況を受けとめ水運びなどの手伝いをしてくれた」ものの、余震が長びくにつれ、親子とも不安定な状況が見え始めたということです。

熊本市手をつなぐ育成会の西恵美副会長(写真中央)は「(障害者に対して)どんなことをしたらいいのかな、と考えてもらうということが一番大事」と話しています。7項目の提言(要約)は以下の通りです。

1、1次避難所には必ず障がい者用のスペースを設け、近隣住民にも日頃から協力をお願いするなど周知を徹底する

2、県や国立大学法人と協議の上、市内すべての特別支援学校を2次避難所に指定し、少なくとも在校生とその家族を優先的に避難できるようにする

3、平等の名のもとでの差別がないように、避難所を統括する自治会や学校長への障がい者に対する合理的配慮について啓発を行う

4、災害時要援護者支援制度が機能しなかった点も見られたため、地域と市が協力し、迅速な対応が行われるよう体制整備を行う

5、地域の避難訓練には障がいのある方にも積極的に参加するよう促し、地域で支えあう地域づくりをする

6、知的障がい、発達障がい児・者は日常が奪われることにとても不安を感じるので、学校や公営プール、運動場などの早期補修を行う。障害者福祉センターは建て直し、他の政令指定都市のように関係福祉団体の事務所も入る総合福祉センターを建設する

7、公的機関の職員などに対する防災研修会で、知的障がい、発達障がいの特性を踏まえた対応に関する項目を加える

大和晃さん 「家に連れて帰る」両親1年の軌跡       2017年4月10日放送

160814yamatokeii.jpgCgXRedWVAAEKDNR_R.jpg阿蘇市の大学生大和晃さん(写真)は、熊本地震の本震が起きた2016年4月16日に南阿蘇村の阿蘇大橋付近を車で通行中、大規模な土砂崩れに巻き込まれたとみられています。

遺体は地震から約4か月後に車の中から収容され、DNA鑑定の結果、14日に晃さんと確認されました。地震で周囲が崩落し、おびただしい土砂が流れた川の岩の間から晃さんの遺体が収容されるまでには「お盆までに息子を家に連れて帰る」との一念で晃さんを必死に探し続けた父、卓也さんと母、忍さんら家族の闘いがありました。

晃さんは4月15日夜、熊本地震の前震で被災した熊本市の友人宅に飲料水を持って行き、16日未明、乗用車で自宅に帰る途中に本震に襲われ、阿蘇大橋の崩落に巻き込まれたとみられています。阿蘇大橋周辺では地震直後から捜索が行われましたが、手がかりがつかめませんでした。大雨や余震により再び土砂崩れが起きる二次災害の恐れもあり、遠隔操作の無人重機を使った捜索が行われていたが、県からは5月1日「二次災害の危険」などを理由に地上での捜索終了を決めました。

しかし、晃さんの家族や知人らは、その後も独自に捜索活動を続けました。卓也さんは仕事を午前中で切り上げ、忍さんも休職して、連日川に沿って手がかりを探しました。下流の大津町で情報提供を呼び掛けるチラシも配りました。

160725yamato-2_R.jpg6月23日には崩落した阿蘇大橋の約5キロ下流で車の金属板を発見。晃さんが乗っていた車と同じ黄色い塗装でしたが、晃さんの痕跡はありませんでした。両親の執念が通じ、大きな手がかりがつかめたのは、晃さんが行方不明になってから100日目の7月24日。阿蘇大橋の下流400メートル付近で、大きな岩に挟まった車体の一部や車のエンブレムの一部が見つかりました。

両親は翌日、車体の一部とみられる写真を持って県庁を訪れ捜索再開を要請。県も捜索再開を決め、9日、阿蘇大橋下流の河川敷で、約2か月ぶりに地上での本格的な捜索が再開されました。晃さんとみられる遺体hikarukazoku.jpgが車の中から発見されたのはその翌日。紺色の着衣の一部や免許証なども見つかりました。遺体が収容されたのはお盆の直前。両親の執念が通じました。

晃さんの告別式は8月21日、しめやかに行われ、卓也さんは「晃は小さい頃から物静かで言い争いをすることもなく、笑顔のかわいい子どもでした。農業の手伝いもしてくれ、母親の炊事も手伝ってくれる優しい子でした」とふり絞るようにあいさつしました。

告別式からほぼ1か月がたった9月17日、卓也さんはひとりで稲を刈りました。晃さんはいつも稲刈りを手伝っていました。本震があった4月16日、晃さんが未明に車で自宅に戻ったのも、早朝からの種まきを手伝うためでした。この日刈り取った稲は地震の前の4月上旬、晃さんら家族全員で種をまいた稲でした。

大和さんの家には友人らが訪ね、手を合わせています。友人の西川真生さんは、地震の前に晃さんと映画を見に行く約束をしていました。仏前に晃さんの分のチケットを供えられました。

160917yamatoC.jpg忍さんは「お友達が来て、いろいろ私たちが知らない晃の話が聞けました。晃もそばにいていっしょに話をしていた気がします」と語り、卓也さんは「彼を見つけて葬儀も終えて、時の流れはゆっくりですけど動いてきているのかな。「ただ、確実にあの子がもういないんだ、という感覚は、自分たちにはまだないです」と話しました。

170324hikaru_R.jpg2017年3月24日には熊本学園大学の卒業式が行われ、経済学部の4年生だった晃さんに卒業証書にあたる「特別学位記」が送られました。

式には卓也さん・忍さん夫妻が晃さんの遺影と参加。幸田亮一学長は「晃さんのことを思い起こすと胸がいっぱいになります。心よりご冥福をお祈り申し上げ、志半ばにして先立たれた大和さんに特別学位記を授与したく思います」と述べました。

式の後特別学位記を受け取った忍さんは「家族と今日を迎えられたことを皆で喜び、祝ってあげたい」と話し、卓也さんは「自分たちが元の生活に戻っていくことが晃が考えていることだと思うので、少しずつ変わっていくだろうし、変わっていかないといけない」と語りました。

震災の記憶 残し伝えるために 御船町で「復興祭」        2017年4月9日

170409mihuneA.jpg熊本地震の記録を広く伝え、教訓を後世に残すため、御船町の恐竜博物館で「復興祭」が開かれました。

御船町の地震の被害を振り返る映像や写真の展示コーナーが設けられたほか、防災セミナー、オリジナルグッズの販売などが行われました。くまもと復旧・復興有識者会議の座長を務める五百旗頭(いおきべ)真さん(熊本県立大学理事長)が講演し、地域のリーダー育成に向けた取り組みのあり方などを話しました。

復興祭は、熊本地震で被災し、グループ補助金により復旧・復興を目指している町内 59 事業所などでつくる「オール御船恐竜の郷復興プロジェクト」が中心となって企画しました。プロジェクトでは、町民から地震被害に関する写真、映像、文章などの提供を募り、被災の記憶を後世に伝えることで、町の「創造的復興」につなげていきたいとしています。

再開に向けて苦闘する西原村の酪農家         2017年4月6日

熊本地震で牛舎を失い、40頭の牛を手放して何とか生活してきた酪農家の男性が、仮牛舎と残された10頭の牛たちと酪農再開に向けて苦闘しています。心の支えは地震直後に生まれた牛。「あの揺れの中で無事に生まれて、神様が恵んでくれたのではないかと思う。後継牛の一員として活躍してくれれば」と話しています。

生活関連情報 SNSの落とし穴           2017年4月4日放送

熊本地震では避難所や給水などの情報をSNSで受けた人も多くいましたが、地震発生直後は真偽不明の情報が混乱を招いた例もありました。熊本市で起きた混乱を映像で振り返り、情報発信を検証しました。

「角マック」地震1年を前に営業再開             2017年3月31日

170331角マック_R.jpg熊本地震の影響で休業が続いていた熊本市中央区の「マクドナルド熊本新市街店」が営業を再開し、多くの客でにぎわいました。

新市街店は1980年(昭和55年)に開店。新市街と下通の両アーケードが交わる角にあるため「角(かど)マック」の愛称で親しまれ、熊本市内の待ち合わせスポットとして知られています。熊本地震で壁などが損壊し、地震以降、ずっと休業が続いていましたが、4階建ての店舗を全面的に改修し、耐震補強を施して営業を再開したということです。この日は1階だけの再開となりましたが、4月には客席の営業も再開しました。

新市街店とともに休業が長引いていた嘉島町のイオンモール熊本店も3月24日に営業を再開しており、これで営業再開を予定していた35店がすべて通常営業に戻りました。

エントリー