熊本城と加藤清正

明治に崩れた熊本城の石垣 8割が平成に再び崩れていた    2016年11月1日

161101meijiA.jpg熊本城調査研究センターは、明治熊本地震での熊本城の被災状況を記した「明治天皇御手許書類」の中の「震災ニ関スル諸報告」(宮内庁公文書簡蔵)を公開しました。

明治熊本地震は1889年(明治22年)7月28日、熊本県西部を襲った地震で、震源は熊本市の西、マグニチュードは6.3と推定され、死者20人、建物の全壊239棟の被害がありました。

報告書は、当時熊本城内に駐屯していた陸軍第六師団が明治天皇に被害状況を報告するため作成したもので、公開されるのは初めてです。損傷した石垣の範囲が地図に記されており、明治熊本地震では城の石垣全体の約1割にあたる62か所、8900平方メートルの石垣で崩落やふくらむなどの被害がでたことが報告されています。

今回の熊本地震ではその約3倍の規模の石垣が崩落していますが、明治熊本地震の崩落か所と照らし合わせてみると、明治に修復した石垣の8割が再び崩落していました。この理由について熊本城調査研究センターでは「石垣の下の地盤や当時の復旧技術に問題があったのではないか」と話しています。

明治熊本地震は1880年(明治13年)に地震学会が発足してから初の大きな都市型地震として調査が行われ、記録が残っています。熊本城の石垣被害の写真は、日本の大地震の被害を写した最古の記録ではないかといわれています。

写真は国立科学博物館のホームページで公開されています。国立科学博物館のホームページ(yubiyubi.pngこちら)から、研究活動と標本・資料→標本・資料データベース→理工の「地震・火山・測地資料」→地震資料室→その他地震の熊本地震【1889】をクリックすると閲覧できます。

エントリー