熊本城と加藤清正

大津町の地震復旧ルートから「清正公道」出土         2017年8月19日

170819seisyokodouA.jpg加藤清正が建設に関わったとされる「清正公道(せいしょこどう)」が大津町で見つかり、現地で説明会が開かれました。

清正公道は、豊後街道の大津町から阿蘇市の二重峠までの区間で、熊本城を築いた加藤清正が建設に関わったと言われています。清正は大阪への最短ルートとして整備し、自ら使ったほか、江戸時代には細川氏も参勤交代に利用しており、多いときには1日に3000人近い旅人が行き交っていたそうです。全国を測量して日本地図を作った伊能忠敬のほか幕末には勝海舟や坂本龍馬、吉田松陰なども通ったとされています。

大津町付近の当時の道路は埋められていますが、熊本地震で寸断された国道57号の復旧ルートが大津町から阿蘇市の間で建設されることになり、県が発掘調査を行って清正公道を確認しました。道路の幅は約9メートルで当時としては大きく、轍(わだち)の跡も確認できました。

清正公道を含む豊後街道は、熊本城から子飼を通って大津、二重峠(ふたえのとうげ)から阿蘇外輪山を越え、大分県九重(久住)、豊後鶴崎に至る道で、現在の県道337号、国道57号にほぼ沿っています。現在の熊本市から大津町に至る大津街道と、大津町から二重峠に至る清正公道は街道の主要な部分でした。街道の起点となる熊本市新町(現在の1丁目)の「札の辻(ふだのつじ)」には幕府の法令を掲げるための高札(たかふだ)があり、終点の豊後鶴崎は瀬戸内を経て江戸・大坂への船が出る港町でした。

清正は街道に里数木(りすうぎ)を植えて整備したとされ、細川氏も大切に育ててきまました。現在も「一里木」「三里木」などの地名が残っています。清正は杉を戦いのときに切り倒して敵の侵入を防ぐために植えたとか、熊本城改築の際の用材を備蓄するために植えた、などの説もあるそうです。台風などで杉は多くが倒れてしまいましたが、現在も県道337号とJR豊肥線をはさんだ両側に杉並木の一部が残っています。

街道沿いには宮本武蔵を祀る武蔵塚もあります。これは武蔵の「豊後街道を参勤交代で通っていく細川氏を見守っていきたい」という遺言によるものだといわれています。

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