熊本城と加藤清正

420年前の恩返し 主従を祀る神社の「地震の絆」とは       2016年6月24日

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「420年前の地震の時の恩返し」として、名古屋市中村区の豊國神社が、地震で被害を受けた熊本城内の加藤神社に義援金を届けました。

加藤神社が祀る加藤清正は、名古屋市中村区で生まれたとされ、豊國神社では熊本地震後、熊本への支援を始めました。復興支援のためオリジナルの「御朱印」を作成したところ、申し込みが3000枚以上にのぼりました。そこで豊國神社の近藤一夫宮司が加藤神社を訪れ、初穂料の一部を義援金として贈りました。

豊國神社が祀る豊臣秀吉も名古屋市中村区で生まれ、親戚だった清正を召し抱えて肥後一国の大大名にまで取り立てたことはよく知られています。ただ、今回の義援金には420年前に起きた大地震で結ばれたもうひとつの絆がありました。

1596年(文禄5年)に起きた伏見大地震では、当時秀吉の居城だった伏見城(写真下、現在の模擬天守)の天守閣などが倒壊しました。清正は石田三成の讒言によって蟄居閉門中でしたが、真っ先に伏見城の秀吉のもとに駆けつけ、動けない秀吉をおんぶして脱出させ、閉門を解かれたという逸話があります。この逸話は歌舞伎「増補桃山譚」(通称「地震加藤」)などにも登場します。

近藤宮司は「420年前に清正公が秀吉公と一族を救ったので、今度は私が一番最初に駆けつけて、加藤神社に420年ぶりの恩返しをしたい」と述べました。加藤神社の湯田崇弘宮司は「感謝の気持ちでいっぱい。400年の歴史を越えた深い絆が嬉しいです。お互いの神社が連携して義援金をいただいた歴史に感謝したい」と話しました。

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伏見大地震の前には近畿地方で大小の地震が頻発し、秀吉は伏見城の耐震対策に力を入れていましたが、予想を上回る地震で天守閣の倒壊を防げませんでした。伏見大地震の直前には愛媛や大分で大きな「前震」があったという記録もあり、清正が領していた肥後もかなり揺れた可能性があります。伏見大地震の際の秀吉と清正の逸話は後世の創作という見方もありますが、2人を結ぶ地震の縁はほかにもあったかもしれません。

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