熊本城と加藤清正

日本三名城のひとつ 熊本のシンボル 地震で大きな被害

sirozenkei_R.jpg熊本のシンボル、熊本城は、加藤清正(1562~1611)が熊本市中心部の茶臼山丘陵に、1601(慶長6年)から1607年(慶長12年)にかけて築いた城です。力強く優美な外観、壮大な石垣など見所が多く、姫路城(兵庫県)、松本城(長野県)とともに、日本三大名城のひとつとされています。三大名城には別の組み合わせもありますが、熊本城が外れることはありません。

茶臼山にはすでに応仁年間(1467~1469年)に千葉城、1496年(明応5年)には隈本城が築かれていました。清正はこれらの古城を取り込む形で壮大な城郭を築き、地名の「隈本」を「熊本」に改めたと伝わっています。

siroutoyagura_R.jpg清正の築いた城域は98ヘクタールにおよび、標高50mの天守台には大小2つの天守閣があります。3層6階の大天守は籠城戦に備えた部屋割りになっています。2層4階の小天守は大天守より後に増築され、景観を考慮し西にずらして建ち、居住を意識した造りになっています。本丸の西北には「三の天守」とも呼ばれる3層5階の宇土櫓(国重要文化財、写真左手前)があsiroishigaki_R.jpgります。かつては小西行長の居城だった宇土城天守閣を移築したとの説もありましたが、現在は否定されています。

熊本城には、築城の名手だった清正の知恵があちこちに生かされています。石垣には上に行くほど反り返る「武者返し」と呼ばれる構造が採用されています。籠城戦に備えて「食べられる城」にするため、城内の建物の土壁にはかんぴょうを塗りこめ、畳の床には食用になる里芋の茎を用いたといわれます。また、城内には井戸が120カ所もあったといいます。

15.jpg熊本の基礎をつくった加藤清正

sirokiyomasa_R.jpg熊本城を築いた加藤清正は、戦に強く、築城が得意な大名でした。幼いころから豊臣秀吉に仕えて数々の武功を立て、1588年(天正16年)に27歳で肥後北半国の領主となりました。治山治水、新田開発などに力を入れて領民に慕われ、今でも熊本では善政の事跡は「せいしょこさんのさしたこつ(清正公のなさったこと)」とされています。

秀吉の死後、1600年(慶長5年)の関ヶ原の合戦では東軍につき、戦後は西軍の小西行長が領していた肥後南半国も加えた54万石の大大名となります。ただ、東軍についてからも清正の豊臣家に対する恩顧の念は強く、本丸御殿の大広間奥の「昭君之間」は、秀吉の遺児、秀頼に危険が迫った際に熊本にかくまうために作ったとされています。

しかし、熊本城に秀頼が来ることはありませんでした。清正は1611(慶長16年)に秀吉の遺児秀頼と徳川家康の会見を実現させた直後、50歳で病気のために亡くなります。4年後の大坂夏の陣で豊臣家は滅亡してしまいました。

15.jpg西南戦争で初の戦火に

清正の死後から間もなく加藤家は改易され、熊本城は細川氏の居城となります。その後、熊本城が明治維新まで実際に戦火にあうことはありませんでした。本格的な戦火が交えられたのは、築城から270年が経過した1877年(明治10年)の西南戦争。西郷隆盛率いる薩摩軍が政府軍の拠点となった熊本城を攻めましたが、薩摩軍は城を落とすことができませんでした。西郷は西南戦争に敗れて自決する際「わしは官軍に負けたのではない。清正公に負けたのだ」という言葉を残したといいます。しかし、この攻防戦の最中に原因不明の火災が発生し、天守を含む本丸御殿や櫓などは焼失してしまいました。

siromarason_R.jpg城域は1945年(昭和20年)7月の熊本大空襲では罹災を免れ、1960年(昭和35年)には現在の天守閣が復元されました。内部は熊本博物館分館、最上階は展望所となっています。1998年度(平成10年度)からは城郭全体の復元整備計画が始まり、南大手門や戌亥櫓、飯田丸五階櫓などが復元されました。

2007年(平成19年)には築城400年祭りが盛大に行われ、2008年(平成20年)には本丸御殿の大広間が復元されました。整備計画はまだ続いており、熊本市は1口(1万円)で寄付を募っています。寄付した人には「城主証」や市内の観光施設が無料になる「城主手形」が贈られ、天守閣に名前が記されます。

熊本城を訪れる人は年間約170万人にのぼり、最近は外国人も増えています。城郭内の加藤神社には多くの初詣客が訪れるほか、加藤家の菩提寺・本妙寺では、清正の命日の7月23日~24日)に頓写会(とんしゃえ)と呼ばれる法要が行われ、多くの参拝客でにぎわいます。毎年2月の熊本城マラソンには多くの市民ランナーが参加します。熊本城は熊本の観光の目玉となっている熊本城は、熊本市民の暮らしにも深くとけ込んでいます。

15.jpg熊本地震で大きな被害

160430iidamaru_R.jpg

熊本城は2016年4月の熊本地震で大きな被害を受け、城の中はもちろん、公園となっている城域内にも立ち入りができない状態となっています。4月14日の「前震」でも天守閣の瓦が落ちるなどの被害を受けましたが、16日の「本震」では瓦としゃちほこがほとんど崩落してしまいました。城域内の櫓も壊れ、平成になってから復元された飯田丸は下部の石垣がえぐれるように崩落し、1列の石垣だけでかろうじて立っている状況が続きました。石垣の崩落は50か所、全体の約3割に達し、修復には350億円もの費用が必要といわれています。

熊本市は、ラグビーワールドカップなど国際的に大きな催しがある2019年に大天守と「奇跡の一本石垣」として有名になった飯田丸五階櫓を修復します。それ以外の櫓や建造物については国の重要文化財となっている宇土櫓など13の建造物を優先的に復旧し、2020年度までの着工を目指す方針です。その他の建造物や石垣の復旧は、すでに着手している天守閣と飯田丸五階櫓を除いて2022年度以降に着手します。

sirodanmen.jpg

天守閣は大天守最上階の柱が損傷したため、最上階は取り壊すこととなり、2017年5月から工事は本格化しています。左の図のように新たにエレベーター(青部分)が設けられる計画です。

熊本城公式ホームページは yubiyubi.png こちら

熊本ニュースまとめ読み 一覧へ

最新の県内ニュースへ

 

 

 

 

落下した天守閣のしゃちほこ復元 展示始まる        2017年8月30日

170830syatihoko.jpg熊本地震で天守閣から落下したしゃちほこが復元され、熊本城内の観光施設、城彩苑「湧々座」で公開が始まりました。

170830syatihoko_R.jpg復元されたのは、復旧工事中の大天守用と小天守用の2対で、宇城市の鬼瓦職人・藤本康祐さんが熊本市からの依頼を受けて制作し、2017年7月28日に窯出しされていました(写真右)。

大きさや形は被災前のしゃちほこと同じ瓦製で、大天守用(写真上)の一つの大きさは全長119cm、重さは100kg。美しいいぶし銀に仕上がっています。しゃちほこは熊本城の復旧工事の進捗に合わせ、大天守用の1対が2018年2月末まで、小天守用の1対が2019年8月末まで行われる予定です。

大西一史市長は「できるだけ早く天守閣に設置することで、復興が進み次の段階に進む希望が見えることになる」と話しています。

170410syatihokoA.jpgしゃちほこの復旧費用約2500万円は、熊本地震からの復興を支援してきた日本財団が助成しました。2017年4月10日、日本財団の笹川陽平会長が蒲島知事を訪ねて助成を表明しました。

天守閣のしゃちほこは地震の揺れで落下したり傾いたりして、天守閣の屋根の上などに無残な姿をさらしていました(写真下丸囲み)。

日本財団はすでに熊本城の修復費のうち30億円を負担すると発表しており、2017年度から22年度まで5億円ずつ提供します。日本財団は5月に熊本市内の事務所を閉じます。財団の支援総額は127億4000万円余となるということです。

大津町の地震復旧ルートから「清正公道」出土         2017年8月19日

170819seisyokodouA.jpg加藤清正が建設に関わったとされる「清正公道(せいしょこどう)」が大津町で見つかり、現地で説明会が開かれました。

清正公道は、豊後街道の大津町から阿蘇市の二重峠までの区間で、熊本城を築いた加藤清正が建設に関わったと言われています。清正は大阪への最短ルートとして整備し、自ら使ったほか、江戸時代には細川氏も参勤交代に利用しており、多いときには1日に3000人近い旅人が行き交っていたそうです。全国を測量して日本地図を作った伊能忠敬のほか幕末には勝海舟や坂本龍馬、吉田松陰なども通ったとされています。

大津町付近の当時の道路は埋められていますが、熊本地震で寸断された国道57号の復旧ルートが大津町から阿蘇市の間で建設されることになり、県が発掘調査を行って清正公道を確認しました。道路の幅は約9メートルで当時としては大きく、轍(わだち)の跡も確認できました。

清正公道を含む豊後街道は、熊本城から子飼を通って大津、二重峠(ふたえのとうげ)から阿蘇外輪山を越え、大分県九重(久住)、豊後鶴崎に至る道で、現在の県道337号、国道57号にほぼ沿っています。現在の熊本市から大津町に至る大津街道と、大津町から二重峠に至る清正公道は街道の主要な部分でした。街道の起点となる熊本市新町(現在の1丁目)の「札の辻(ふだのつじ)」には幕府の法令を掲げるための高札(たかふだ)があり、終点の豊後鶴崎は瀬戸内を経て江戸・大坂への船が出る港町でした。

清正は街道に里数木(りすうぎ)を植えて整備したとされ、細川氏も大切に育ててきまました。現在も「一里木」「三里木」などの地名が残っています。清正は杉を戦いのときに切り倒して敵の侵入を防ぐために植えたとか、熊本城改築の際の用材を備蓄するために植えた、などの説もあるそうです。台風などで杉は多くが倒れてしまいましたが、現在も県道337号とJR豊肥線をはさんだ両側に杉並木の一部が残っています。

街道沿いには宮本武蔵を祀る武蔵塚もあります。これは武蔵の「豊後街道を参勤交代で通っていく細川氏を見守っていきたい」という遺言によるものだといわれています。

国重文・細川家波奈之丸 半世紀ぶり"船出"         2017年6月9日

juubunB.jpg熊本城天守閣に取り残されていた国の重要文化財「細川家波奈之丸(なみなしまる)」の舟屋形の搬出作業が行われました。

細川家波奈之丸は細川家が参勤交代などで使ったとされる船の一部で、続櫓(つづきやぐら)に展示されていました。地震での損傷はほとんどなく、天守閣に移されて以来約半世紀ぶりの"船出"となります。

舟屋形の一部は熊本城西出丸の資材置き場に保管され、修復後の2018年10月に熊本市の博物館で展示される予定です。

くまモン、ひごまると連携 熊本城の観光客減防止にひと役    2017年6月8日

1706HIGOKUMA.jpg県と熊本市が検討していた熊本県の「くまモン」と熊本市の「ひごまる」のキャラクター連携の内容が決まり、蒲島知事が定例記者会見で発表しました。

くまモンが夏休み中の7、8月に1週間ずつ熊本城に隣接した城彩苑のステージでひごまると共演します。くまモンは熊本城おもてなし武将隊とも協力し、復旧工事の本格化で観光客の減少が懸念される熊本城をPRします。

くまモンとひごまるはこれまでもイベントなどで数多く同席していますが、城彩苑のステージで共演するのは初めてです。くまモンはひごまるより後輩ですが、知名度はくまモンの方が上で、城彩苑では外国人観光客などから「なぜくまモンがいないのか」という問い合わせや苦情が多く寄せられていました。

熊本城天守閣では熊本地震からの復旧工事が本格化し、天守閣が外から見えにくくなることから観光客が減ることが心配されており、くまモンはひごまると組んで応援することになりました。

県と熊本市は2017年5月29日、互いの連携を強化するため議会議長らも出席して初の「調整会議」を開き、このなかで熊本市の大西一史市長が「城彩苑にくまモンを登場させてほしい」と蒲島知事に要望し、知事は前向きな検討を即答していました(yubiyubi.png こちら)。

大天守と飯田丸五階櫓の修復本格化 文化財初の無人重機も  2017年5月19、29日

熊本地震で傷ついた熊本城の本格的な復旧工事が、天守閣(大天守)と、1列の隅石だけで倒壊を免れた「奇跡の1本石垣」で知られる飯田丸五階櫓で始まり、報道陣に公開されました。

天守閣は大きく損傷した6階部分が間もなく取り壊されます。6階部分の取り壊しは6月中に終わり、8月からは再構築していくということです。天守閣前広場では、足場を組むための「構台(こうだい)」の据え付け作業が行われていました。

飯田丸五階櫓では、石垣の石が崩落するおそれがあり、二次災害を防ぐため、「サロゲート(分身)」と呼ばれる装置を使って遠隔操作された重機で石垣を除去しています。石を傷つけないように、アームの先にはゴムがついた特別な「持ち手」も取り付けられています。500〜550個とされる石垣の撤去は6割ほど終わっており、6月中旬までには終わる見込みです。石の撤去後は、櫓を支える台座の設置に取りかかります。

無人の重機による工事は、1991年(平成3年)に起きた雲仙・普賢岳の大火砕流の復旧工事などで取り入れられました。熊本地震では阿蘇大橋が崩落した土砂崩れの現場でも導入されていますが、作業にあたる大林組によると、文化財の修復現場で行うのは初めてということです。大林組は「無人化の作業は今後、他の復旧現場でも活用できる可能性がある」と話しています。

昭和の"再建"手がけた大林組ОB 平成の"築城"への思い    2017年5月18日放送

大林組が進める熊本城の復旧工事を、昭和の天守閣再建工事に携わったOBがじっと見守っています。手探りで進められた昭和の再建工事。2度の天守閣大工事で熊本城への思いは後輩に引き継がれます。

復旧工事前の最後の雄姿 大型連休に大勢の観光客    2017年5月5日放送

170505GWA.jpg大型連休の期間中、熊本市中央区の熊本城二の丸広場は、熊本地震からの復旧の様子をひと目見ようとする多くの人でにぎわいました。城の周辺には立入禁止ですが、天守閣は大型連休を過ぎると工事用のシートで覆われるため、観光客らは二の丸広場から今の貴重な姿を写真に収めていました。

観光客の中には地震があってから初めてじかに熊本城を見る人も多く、熊本をから熊本出身で山口県から来た観光客は「(熊本城には)昔よくお花見とかで来ていた。見たら涙が出てきます」と話しました。鹿児島県から来た小学生は「崩れているところが早くきれいになってほしい」と語り、徳島県から来た男性は「実際に生でみるとショックです。復興城主になって、できる限りの寄付はさせていただきました」と話していました。

「復興城主」に応募続々 10億円突破 流行語大賞特別賞も    2017年5月4日

170506siro.jpg熊本地震で大きな被害を受けた熊本城の復興に寄付すると「城主」になれる「復興城主」への寄付の総額が10億円を超えました。募集を始めた2016年11月1日からわずか半年での大台突破で、名城・熊本城の早期復興への強い思いを反映しています。

好天に加え、工事シートがかけられる前の天守閣最上階がはっきり見える最後の機会になることから、大型連休期間中(4月29日~5月7日)には熊本城周辺に県内外から推計9万3000人が訪れました。これに伴って「復興城主」への寄付も増え、5月4日までの累計で約6万2000件、総額約10億760万円の応募がありました。

「復興城主」制度は、一口1万円以上の寄付をすると城主証、市内の観光施設に割引で入れる城主手形がもらえるほか、城に近い観光施設「城彩苑」内に設置した専用のスクリーンで城主として名前を確認できるようにするというものです。城主証に記された個人番号や氏名を入力すると、スクリーンにデジタル画像が映し出されます。これまでの一口城主約7万7000人の名前もこのスクリーンで確かめることができます。

161201hukkou1.jpg「復興城主」は、2016年12月1日、その年に流行した言葉を決める「ユーキャン新語・流行語大賞」で選考委員特別賞に選ばれました。募集を開始してから、わずか1か月で「流行語」として認められたのです。

選考委員会は受賞理由について「熊本城は全国各地からの復興への思いを集めるランドマーク(目印)となった」として、熊本市の取り組みを高く評価しました。授賞式には大西一史市長が「ひごまる」とともに登場し「特別賞受賞は被災した熊本の人にとって本当に大きな励みになると思います。寄付をしてくださった多くの人にもうれしい受賞だと心から感謝しています」と感謝の気持ちを述べました。

161101hukkouB.jpgのサムネイル画像

「復興城主」制度は、一口1万円以上の寄付をすると城主証、市内の観光施設に割引で入れる城主手形がもらえるほか、城に近い観光施設「城彩苑」内に設置した専用のスクリーンで城主として名前を確認できるようにするというものです。城主証に記された個人番号や氏名を入力すると、スクリーンにデジタル画像が映し出されます。これまでの一口城主約7万7000人の名前もこのスクリーンで確かめることができます。

2016年11月1日に募集が始まると、県内外から熊本城の早期復旧のためにと寄付をする人が相次ぎ、開始からわずか6日で約4850件、6450万円が集まり、開始から1か月では2万1895件、3億3077万円余に達しました。県出身の漫画家、尾田栄一郎さんの描き下ろしイラストが入った「ONE PIECE」限定グッズセットが先着1万人までもらえたことも、寄付の呼び水となりました。

HITOKUTI_R.jpg熊本城への寄付については、1998年(平成10年)から1万円以上を寄付すると「一口城主」になれる制度があり、7万7000人が一口城主になっています、一口城主には城主証が発行され、天守閣内の芳名板(写真上)に名前が掲示されていましたが、地震で被災した熊本城内は立入禁止となり、寄付をしても芳名板で自分の名前を確認できなくなっていました。「城主」の特典がなくなり、一口城主の受け付けを休止せざるを得なくなった市が、デジタル技術を使って考えたのが復興城主でした。

1101hukkoujousyuA無題.jpg募集開始からしばらくは、城主の名前を漢字で登録するため漢字が分からないクレジットカードでの寄付を受け付けず、専用の振込用紙で確認する方式をとったことから、熊本城総合管理事務所には振込用紙の送付をも求める全国からの電話が殺到しました。現金で寄付を受け付けた城彩苑にも長蛇の列ができ、寄付をするのに1時間以上待たされることもありました。

熊本城全体の復旧には20年の歳月と634億円の費用がかかる見通しです。熊本市は「復興城主(への寄付)をきっかけに、今しか見ることができない熊本城に足を運んでもらいたい」と話しています。

砂の熊本城 早期復興に願い込め「砂の祭典」に        2017年5月3日

170503suna1.jpg日本三大砂丘のひとつ、鹿児島県南さつま市の吹上浜で開かれている「吹上浜 砂の祭典」に、崇城大学の学生ら4人が早期復興の願いを込めて制作した高さ3メートル、石垣の横幅2.5メートルの「砂の熊本城」が出展されました。

制作したのは芸術学部彫刻コースの学生のほか、同大OBで彫刻家の東耕平さんら4人です。熊本地震の復興応援にと祭典の実行委員会が、祭典の審査員を務めたことがある同大芸術学部の楠元香代子教授に制作を依頼しました。4人は会場に通い、市民の助けも借りて5日間で築城しました。

出来上がった砂の熊本城は、熊本地震で落下したしゃちほこや崩れた石垣も細かく再現され、訪れた大勢の人が見入っていました。

170503sunaA.jpg

熊本城被災から1年 いよいよ本格復旧工事へ      2017年4月25日放送 

熊本地震で大きな被害を受けた熊本のシンボル・熊本城。特別に許可を得て撮影したドローンの映像も交えて、熊本城のこの1年を振り返り、本格復旧工事を前にした状況をまとめました。

大天守最上階など3か所は解体へ 柱などの損傷ひどく     2017年4月20日

熊本城.png熊本市の大西一史市長は記者会見で、熊本城天守閣の復旧工事について、大天守最上階(6階)、天守閣出口の付櫓(つけやぐら)、小天守1階の3か所(写真=熊本市提供=の黄色部分)を解体して造り直す方針を明らかにしました。

大天守は柱などに大きな被害がなく、補強すれば修復できるとみていましたが、その後の調査で最上階の屋根を支える鉄骨の柱の損傷が大きいことが分かりました。付櫓と小天守1階は、石垣の崩落に伴う建物の沈下や傾きが大きいことが分かりました。最上階は5月下旬に解体を始め、6月には解体を終える見込みです。付櫓は4月下旬から、小天守は6月下旬から解体します。

大天守は1960年(昭和35年)に鉄筋コンクリートで再建されてから初の造り直しとなります。大天守2019年、小天守2021年の復旧完了目標は変更しません。

5月の大型連休明けには天守閣はシートで覆われますが、工事の進み具合が見えやすいように半透明のシートを使う予定で、夜間のライトアップもこれまで通り続けます。

本格工事前の最後の桜 大天守には意外な花も...      2017年4月13日放送

熊本城では天守閣本格工事前の最後の桜の花が城の周囲で満開を迎えました。本格工事が始まると、天守閣は工事用シートに覆われてしまうため、天守閣と桜のツーショットは来年は拝めなくなります。大天守の屋根の上には意外な花も咲いていて...

通行止めの行幸坂 花見シーズン限定で開放      2017年3月25日~4月9日

0409行幸坂.jpg熊本地震で路面に亀裂が入り、通行止めとなっている熊本城の行幸坂が、花見シーズンの3月25日から4月9日にかけて、歩行者に一部開放されました。

行幸坂は両側にソメイヨシノの並木が続く熊本城域内の桜の名所の一つで、花見シーズンだけ通行できるようにしたものです。開放されたのは坂の入り口から城彩苑の北側に曲がるまでの約200メートルで、当初は3月末と4月の最初の土日のみ開放の予定でしたが、桜の開花が遅れたため、さらに1週間後まで開放されました。

桜並木は最終週の4月9日には満開となって、大勢の市民が訪れて桜と写真を撮ったり、鉄のアームに支えられた飯田丸五階櫓を間近に眺めていました。

被災した二の丸広場の休憩所 プレハブで新設        2017年4月7日

0407kyuukeiA.jpg熊本市は、熊本城二の丸広場の駐車場に無料休憩所「お休み処(どころ)」を開設しました。冷暖房付きの授乳室が設けられ、情報提供する担当者が常駐します.12月30、31日を除き、午前9時から午後5時まで開いています。

0407KYUUKEI1_R.jpg二の丸広場は熊本地震で損傷した石垣や天守閣を間近に見ることができ、多くの観光客が訪れていますが、駐車場内の休憩所は熊本地震で建物が被災して閉鎖されています(写真右)。

観光客から「雨の日や夏場の暑い日に休める場所が欲しい」という要望が出されたため、プレハブ平屋で代替施設を建てました。

熊本城復旧工事いよいよ本格化 加藤神社で安全祈願祭    2017年4月5日

城祈願_R.jpg熊本城の天守閣と飯田丸五階櫓の復旧工事が本格的に始まるのを前に、熊本市の加藤神社で安全祈願祭が行われました。

祈願祭には熊本市の大西一史市長、熊本市議会の澤田昌作議長、施工業者の大林組の白石達社長ら約50人が参列し、工事の安全を祈願しました。祈願祭の後、大西市長は「後世に安全で歴史的、文化財的な価値を引き継いでいくという大きな使命が今の私たちにはある」と話しました。

0405kigabA.jpgやぐら土台の石垣が崩落し「奇跡の一本石垣」といわれた1列の角石だけで倒壊から耐えてきた飯田丸五階櫓。復旧工事は櫓(やぐら)などを一度すべて撤去し、3年後の春の完成を目指してまず石垣の再建を進めます。櫓の再建については今後、工法などの検討を進めるということです。多くの瓦が崩れ落ちた天守閣は大天守から復旧工事を始め、2年後の復旧を予定しています。

白黒フィルムで撮り続けた熊本城石垣          2017年3月27日放送

熊本市の写真家が、地震前に撮り続けてきた熊本城の石垣を公開する準備を進めています。 かつては美少女の写真を得意としてきた熊本市の写真家、稲原豊命さんが、地震前に撮り続けてきた熊本城の石垣を公開する準備を進めています。白黒フィルムで撮影した石垣の写真を見ていると「石垣が何かを語りかけてくるように思える」ということです。

傷ついた5体の熊本城新キャラ発表 復興にあわせ元気に    2017年3月20日

熊本地震で傷ついた熊本城の櫓(やぐら)や塀をモデルにした新キャラクター「熊本城のなかまたち」が誕生し、3月20日熊本市中央区の城彩苑でお披露目が行われました。

kyaraD.jpgおめみえしたのは(上写真左から)①屋根が壊れた「げんのしん」(源之進櫓)②「奇跡の一本石垣」で持ちこたえた「いいだ丸」(飯田丸五階櫓))③内部が傷ついた「うとやぐらじぃ」(宇土櫓)④倒壊した国重要文化財「なが兵衛」(長塀)⑤櫓がつぶれた「あかずちゃん」(不開門=あかずのもん)―-の5体です。いずれもばんそうこうを張ったり包帯を巻いたりした痛々しい姿ですが、城の復興状況にあわせて図柄を変え、傷ついたキャラクターも元気になっていくということです。

城キャラ.jpg作者は熊本市のキャラクター「ひごまる」を手がけたイラストレーターの村井けんたろうさんです。村井さんは「キャラクターにすることで城の被害自体を知ってもらい、応援する気持ちをもってもらえればいいなと制作しました」と話しました。

新キャラクターの利用料の一部は、城の復旧費に充てられる予定です。

段ボールの熊本城 富山からの支援で慶徳小に        2017年3月8日 

170307siroA.jpg熊本市の慶徳小学校の4,5年生44人が、富山県から届いた段ボールで熊本城づくりに挑戦しました。

段ボールの熊本城は富山県の段ボールメーカー「サクラパックス」が熊本復興応援企画として用意したものです。子どもたちは体育館に集まり、設計図を確認しながら協力して段ボールに色を塗ったり、折り曲げたりしていました。ひと足先に熊本城を完成(写真上)させた富山市の呉羽小5年生からの慶徳小への応援メッセージも届き、メッセージを見た子どもたちは、「熊本のことを応援してくれてうれしい」「富山のことももっと知りたいと思った」と話していました。慶徳小の熊本城は3月8日に完成し(写真下)、学校の玄関に飾られました。

170308sirof.jpgサクラパックスは、手のひらサイズの熊本城が作れる組み建てキットを2000円(送料込み)で販売し、売り上げを全額熊本城復興のために寄付する募金活動を行っています。

「熊本城組み建て募金」の特設サイトは yubiyubi.pngこちら

20年続く?石垣復旧の過程を撮り続ける女性         2017年3月1日放送

熊本城の石垣の復旧過程を毎日、ほぼ同じ時間に撮り続けている熊本城調査研究センターの女性職員がいます。熊本地震からの復旧で、1889年(明治22年)7月28日の明治熊本地震からの復旧過程を記した史料が役に立ったことから、「記録を残す大切さ」を痛感したといいます。

熊本城マラソン 早期復旧に願い込め1万3300人が力走       2017年2月19日

熊本地震後初の開催となった第6回熊本城マラソンは2月19日、快晴の下開かれ、1万3300人が力走。沿道から過去最高の23万人が応援し、熊本が復興に向けてひとつになりました。

熊本城マラソンを走ったランナーの中から、地震で被災した美容室の再建にかける店主、被災した御船町の小学校の先生、地震で散り散りになる女子サッカー・益城ルネサンスの元選手に密着し、マラソンにかける思いを特集しました(2017年2月21日放送)

スターターを務めた熊本市の大西一史市長は最後のランナーがふらふらになってゴールするのを出迎えました。大西市長は閉会のあいさつでは感極まる場面もありました。

熊本城マラソン受付開始 参加賞は天守閣の瓦        2017年2月17日

0217MARAa.jpg熊本城マラソンに出場するランナーの受け付けが、熊本市中央区の辛島公園で始まりました。

熊本城おもてなし武将隊が「いざ出陣じゃ!」と声をあげると、参加者から大きな拍手がわきました。今年の熊本城マラソンはフルマラソンと30キロロードレースのほか、約3キロを走る「復興チャレンジファンラン」が新設され、抽選で参加権を得た1万3500人が熊本の街を駆け抜けます。

0217MARA2_R.jpg今年は参加賞に地震で被災した熊本城の天守閣の瓦の一部が用意されました(写真右)。会場には「がまだすばい(がんばるぞ)」の大きな文字が描かれたメッセージボードも設けられ、参加者が思い思いのメッセージを書いていました。

受け付けに来場した参加者は「復興の年に走れるというのは、がんばろうという力が一層湧くような気がします」「(地震で)大変な目に遭いましたが、この熊本で走れるということがすごくうれしい」と笑顔を見せていました。香港から参加するというランナーは「マラソンに参加して熊本市民を応援したいと思います」と話しました。

熊本城大雪像が福島の雪まつりに 応援の恩返しに      2017年2月10日

170210YUKINOKUMAMOTO.jpg福島県只見町で開かれた「只見ふるさとの雪まつり」に熊本城の大雪像がお目見えし、福島から熊本に復興のエールが送られました。

雪まつりでは熊本地震で大きな被害を受けた熊本を応援しようと作られたメインの熊本城大雪像は高さ14メートル、幅30メートル。地元の建設業者などが10トントラック約800台分の雪を集めて作りました。夜には雪像のライトアップが行われ、熊本復興支援の花火も打ち上げられました。また、熊本からくまモンも駆けつけ、ステージを盛り上げました。

雪まつりが熊本復興支援をテーマにしたのは、2011年の新潟・福島豪雨で町が被災した際、町を応援するため熊本県出身の歌手・八代亜紀さんが13年の雪まつりに出演した恩返しということです。

熊本大学が熊本城復旧テーマにシンポジウム       2017年1月31日

0131熊本大熊本城.jpg熊本大学が熊本地震で大規模に崩落した熊本城の石垣の復旧をテーマにシンポジウムを開き、学生や市民約200人が集まりました。

シンポジウムでは熊本城の被害状況や、石垣が崩落したメカニズムが説明された後、熊本城の保存や活用に取り組む熊本城調査研究センターや建設会社などが熊本城の石垣の復旧について意見を発表しました。熊本城調査研究センターの網田龍生副所長は「熊本城の石垣の構造や形状は文化財です。こういうふうにすれば(地震に)強い、という工法があったとしても、熊本城は熊本城として(元の工法で)復旧すべきもの」と話しました。

熊本大学では熊本地震を受けて大学独自の復興支援プロジェクトを立ち上げていて、今後も有識者を交えて復興シンポジウムを開く予定です。

櫨方門や長塀などの修復状況を公開               2017年1月24日

熊本地震で大きな被害を受け、立ち入り禁止となっている熊本城。9か月あまり経って修復はどこまで進んでいるのか、櫨方門や長塀などの復旧工事の現状が公開されました。

壊れた櫓の部材を集め続ける棟梁         2017年1月12日放送

熊本地震で大きく破損した熊本城の櫓(やぐら)を復元するため、この道25年の棟梁が現場に張り付き、ひたすら部材を拾い集めています。支えているのは部材のひとつでも見逃すまいという使命感と、自らも復元に携わった櫓を元の形に組み上げたいという城への強い愛着です。

植木市の創始者、隈本城主・城親賢の墓前祭       2017年1月5日

0105UEKIITI.jpg熊本の春の植木市を440年前に始めたとされる当時の隈本城主、城親賢(じょう・ちかまさ、?~1581)の墓前祭が熊本市西区の岳林寺で行われ、親賢の子孫や植木市の関係者が成功を祈りました。

植木市は、天正年間に親賢が病床にある子を慰めるため、獅子頭や雉子(きじ)等の玩具を並べた「市」が起源と伝えられています。 墓前祭は親賢の遺徳をしのび、あわせて1月21日から始まる「くまもと春の植木市」の成功と発展を祈願するものです。

今年の植木市は熊本地震の影響で熊本市西区役所隣の城山公園に場所を移して開かれます。開催日も早まり1月21日に始まります。

ペットボトルの熊本城 青年会議所が城彩苑に築城       2016年12月4日 

161204pettoA.jpg熊本市の小学生が ペットボトル3000本を使ってペットボトルの熊本城を作り、4日、城彩苑で点灯式が行われました。

ペットボトルの熊本城は、熊本青年会議所が青少年教育事業の一環として行ったものです。熊本市内の小学校に呼びかけ、本物の10分の1、高さ4メートルの熊本城大天守と小天守を再現しました。骨組みは木でできており、内部にはLED電球が仕込まれて夜間は点灯します。点灯式では熊本城おもてなし武将隊の演舞やルーテル学院大の学生がクリスマスの歌を歌った後、城に点灯すると、制作した子どもたちから歓声があがりました。

ペットボトルには一人ひとりの名前があり、「一口城主」ならぬ「一本城主」と呼ばれています。石垣には子どもたちの復興メッセージも書かれています。点灯式では主催者が「みなさんが大人になっても熊本城はまだ元通りになっていないかもしれないけれど、いつか光り輝く城を取り戻すという気持ちを忘れずに」とあいさつしました。ぺットボトルの熊本城は来年3月まで設置される予定です。

無人の天守閣前広場で色づく 銀杏城の大イチョウ    2016年12月2日放送

加藤清正が植えたとされ、熊本城の別名 「銀杏城」の由来ともされる天守閣前広場の大イチョウが美しく色づきました。この大イチョウは1860年に強風で幹が折れ、1877年(明治10年)の西南戦争で焼け落ちて枯れたとされていますが、根元から若芽が芽吹き、大木に戻ったとされています。

熊本地震による石垣の崩落で天守閣前広場は立入禁止になっているため、今年は見事な色づきを間近に見ることができません。そこで熊本市が1日限定で報道陣に公開しました。

熊本城天守閣の修復は崩落した石垣の撤去・整理も終わり、頬当御門にスロープを設置するため、石垣のあった斜面はモルタルで固められています。熊本市はスロープを設置して天守閣前広場に重機を入れ、来年度から天守閣の修復に本格的に着手する考えです。

旧細川刑部邸敷地 紅葉見ごろで一部を開放       2016年11月23日 

1123gyoubuteiA.jpg熊本地震で被災し、立ち入り禁止となっている旧細川刑部(ぎょうぶ)邸が、紅葉の季節の期間限定で一部が開放されました。

旧細川刑部邸は熊本藩主・細川忠利の弟、細川興孝が刑部家を興して立てた武家屋敷で、1993年(平成5年)に現在の熊本城二の丸広場北側に移築されました。県の重要文化財に指定されていますが、熊本地震で壁が崩れるなどの被害が出ました。外側の塀も大きく崩れ、これまで敷地への立ち入りはできませんでした。

しかし、周辺の紅葉が見ごろを迎えたため、正門から刑部邸入口までの石畳の道を期間限定で度全8時から午後8時まで開放しました。午後5時半ごろからはライトアップも行われました。

熊本城修復で副知事と副市長が初会議             2016年11月22日

hukuhuku_R.jpg熊本県の副知事と熊本市の副市長が、熊本城の復旧について話し合う会議が初めて開かれました。

熊本市役所で開かれた会議には村田信一副知事と高田晋副市長が出席。長期化が見込まれる石垣の修復に必要な職人の育成を進めることで一致しました。また、熊本市は土木や文化財に詳しい職員の派遣を県に要請し、県側は検討することになりました。

熊本城の修復には長い年月がかかることが見込まれることから、県と市は今後も緊密に連携していくことにしています。

レゴブロックの熊本城 7万5000ピースの職人技         2016年11月10日

161110regoA.jpg日本観光振興協会と日本旅行業協会が、熊本の観光を応援しようと、レゴブロックで作られた50分の1サイズの熊本城天守閣の模型を熊本市に寄贈しました。城彩苑内の湧々座に展示されます。

rego=kao.jpg両協会が9月に東京で開いた「ツーリズムEXPOジャパン」で熊本地震復興支援の催しとして企画。制作したのは日本で唯一プロのレゴ職人(ビルダー)としてレゴ社が認定している三井淳平さん(写真右)です。幅110センチ、高さ70センチ、奥行き50センチの大作で、約7万5000ピースのレゴを使って、地震で被災する前の勇壮な姿を再現しました。

質感を出すため石垣ひとつに10個のパーツを組み合わせるなど、細かいところまで精巧に制作されています。台座部分にはツーリズムEXPO来場者が書いた熊本応援メッセージでびっしり埋まっています。

湧々座で行われた贈呈式では、観光振興協会の山口範雄会長らから寄付金458万円もあわせ大西一史市長に贈られました。大西市長は「勇気づけられる素晴らしいプレゼントをいただいたと思っています。これ(レゴ熊本城)のリアルなものがみんなの手によって必ず復元できると、これを見て確信しました」とお礼を述べました。

国債買って熊本城復興を 肥後銀行が「応援プラン」     2016年11月10日

1111ouen.jpg、肥後銀行は10日から、個人向け国債を購入すると熊本城の復興を支援できる個人向け国債「熊本城応援プラン」 の取り扱いを始めました。購入額に応じて銀行が熊本城復旧・復興に向けた資金を寄付する仕組みです。

一口あたりの購入額が500 万円未満の場合はその0.1 %相当額を、購入額 500 万円以上の 場合はその0.2 %相当額を、それぞれ銀行が熊本市に寄付します。満期や金利は通常の個人向け国債と同じで、購入者の寄付に伴う負担はありません。

このほか、個人向け国債を100万円以上購入すると熊本城応援グッズがもらえます。500万円以上購入すると、これらに加えて熊本城の「復興城主」に登録されます(ONE PIECE限定グッズの対象にはなりません)。「応援プラン」の受付は2017年3月末までです。

肥後銀行のホームページは yubiyubi.png こちら

天守閣、宇土櫓内部の映像を公開          2016年11月4、16日

熊本市は2016年11月4日、熊本地震で被災した熊本城の天守閣(1960年=昭和35年再建、大天守と小天守)の内部の映像を、熊本地震後初めて公開しました。市熊本城調査研究センターが9月21日に撮影したものです。被害が大きかった小天守、大天守穴蔵(地下)の石垣が大規模に崩落したり、大天守最上階の鉄筋が破断したりしている様子が分かります。

siroA.jpg熊本市は大天守の工事を2018年度、小天守の工事を2019年度までに完了させる予定で、2019年4月から大天守を一般公開し、小天守の工事の様子を見学できるようにする計画です。大天守には地震前にはなかったエレベーターが設置されます。

11月18日には「熊本城第3の天守閣」ともいわれる宇土櫓(うとやぐら)の内部を撮影した映像が、やはり地震後初めて公開されました。熊本城総合事務所の職員3人が11月16日に撮影したものです。

宇土櫓は熊本城築城当時の姿を残す櫓として国の重要文化財に指定されており、1600年(慶長5年)の関ケ原の合戦まで肥後半国を領していた小西行長の居城、宇土城天守閣を移築したという俗説(現在は否定されている)があった古い建造物です。熊本地震でも外見に大きな傷はありませんでしたが、内部の壁の多くがはがれ落ち、建物全体が北側に傾いている可能性があることが分かります。熊本市は国などと相談しながら修理方法を検討するとしています。

明治に崩れた熊本城の石垣 8割が平成に再び崩れていた    2016年11月1日

161101meijiA.jpg熊本城調査研究センターは、明治熊本地震での熊本城の被災状況を記した「明治天皇御手許書類」の中の「震災ニ関スル諸報告」(宮内庁公文書簡蔵)を公開しました。

明治熊本地震は1889年(明治22年)7月28日、熊本県西部を襲った地震で、震源は熊本市の西、マグニチュードは6.3と推定され、死者20人、建物の全壊239棟の被害がありました。

報告書は、当時熊本城内に駐屯していた陸軍第六師団が明治天皇に被害状況を報告するため作成したもので、公開されるのは初めてです。損傷した石垣の範囲が地図に記されており、明治熊本地震では城の石垣全体の約1割にあたる62か所、8900平方メートルの石垣で崩落やふくらむなどの被害がでたことが報告されています。

今回の熊本地震ではその約3倍の規模の石垣が崩落していますが、明治熊本地震の崩落か所と照らし合わせてみると、明治に修復した石垣の8割が再び崩落していました。この理由について熊本城調査研究センターでは「石垣の下の地盤や当時の復旧技術に問題があったのではないか」と話しています。

明治熊本地震は1880年(明治13年)に地震学会が発足してから初の大きな都市型地震として調査が行われ、記録が残っています。熊本城の石垣被害の写真は、日本の大地震の被害を写した最古の記録ではないかといわれています。

写真は国立科学博物館のホームページで公開されています。国立科学博物館のホームページ(yubiyubi.pngこちら)から、研究活動と標本・資料→標本・資料データベース→理工の「地震・火山・測地資料」→地震資料室→その他地震の熊本地震【1889】をクリックすると閲覧できます。

石垣なぜ崩れた 崩壊を防ぐ工夫が裏目に?        2016年10月19日放送 

今回の地震でなぜ熊本城の石垣は大規模に崩落したのでしょうか。特別に許可を得て撮影したドローンによる城域内の映像も交えて、その理由を検証しました。

地震の傷をいやす灯籠の明かり       2016年10月8、9日

20161009mizuakari.jpg秋の夜に熊本城を竹灯籠や三角灯籠の明かりで飾る「みずあかり」が、8日と9日、熊本市中心部の花畑公園を中心に行われ、ライトアップされて暗闇に浮かび上がった熊本城と灯籠の明かりの美しい彩りを楽しみました。8日は雨のため点灯から1時間ほどで中止となりましたが、9日は好天に恵まれ、2日間で8万4000人が訪れました。

この催しは2004年に始まり、竹灯籠の制作や点灯作業を多くのボランティアが支えることで知られています。今年は熊本地震で広範囲に倒れた長塀近くでの展示はなくなりましたが、運営委員会によると1万100個の灯籠が用意され、2日間で約3万個のろうそくが使われました。

熊本城は依然立入禁止で、飯田丸を支える鉄骨がくみ上げられていますが、灯籠の明かりは熊本地震で受けた傷をいやすかのように城を取り囲み、暖かく城を照らしていました。今年のみずあかりは熊本地震で大きな被害を受けた御船町、南阿蘇村、益城町でも行われます。

歴代熊本城主の墓所 無残な姿に 復旧には3年以上か 2016年10月6日

kitaokaB.jpg熊本市は6日、国指定史跡で歴代熊本城主(熊本藩主)の墓地でもある北岡自然公園を、熊本地震後初めて報道陣に公開しました。地震によって、歴代藩主の廟所入り口の「唐門(写真上右)」が倒壊(写真下左)していたほか、歴代藩主の墓も大きく傷ついていました。

公園は初代熊本藩主、細川忠利の菩提寺、妙解寺(みょうげじ)の跡地です。妙解寺は4代藩主だった細川光尚が忠利を弔うため、1642年(寛永19年)に創建しました。忠利らの三霊廟(れいびょう)をはじめ、歴代藩主の墓や石灯籠などがあります。忠利の家来で森鴎外の小説「阿部一族」のモデルとなった阿部弥市右衛門の墓もあります。1955年(昭和30年)11月に熊本市が細川家から買い取って公園として整備しました。

kitaokaA.jpg市の文化振興課によると、唐門は江戸時代前期に建立された唐門が倒壊したのは初めてということです。また、霊廟の南にある細川重賢の墓は、上部にあった石材が転げ落ちたほか、他の墓や灯籠もほとんど転倒したりずれたりしたままになっていました。

復旧には3年以上かかるといわれ、市は来年度から、崩れた部材を組み立てる修復工事を始めることにしています。

城彩苑内の湧々座全館オープン 熊本城被害の展示も          2016年10月1日

161001WAKUa.JPG熊本城の観光施設、城彩苑の中にある「湧々座」が、熊本地震の影響で休館していた1階の復旧工事を終え、1日から全館でオープンしました。

湧々座は、熊本の歴史や文化を学び体験できる観光客に人気の施設ですが、熊本地震で壁や天井が崩落し、機材も壊れるなどの被害を受けました。7月22日から被害の少なかった2階だけ入ることができるようになりましたが、1日から1階の展示室もオープンしました。1階の奥では地震直後に撮影された熊本城のビデオを上映したり、地震で崩れた石垣を展示しているほか、全館オープンに合わせてバーチャル映像(VR)「不落の名城を読み解く」が2階で上映されています。

湧々座が地震で休館していた間、熊本城のVRは東京都台東区の東京国立博物館で上演され、この間の鑑賞料金はすべて熊本城復旧のために寄付されます。VRは印刷大手の凸版印刷が、史料や古図面をもとに5年前に制作しました。天守閣や本丸御殿などの建造物や石垣をデジタル撮影した画像4万枚を活用し、城が最も威容を誇っていた江戸時代の熊本城の全容を再現しています。地震を受け、映像には大西一史熊本市長のメッセージが加えられました。

SIROVR.jpg

"正面玄関"頬当御門の修復工事を公開            2016年9月20日

天守閣に通じる城の正面玄関にあたる頬当御門(ほほあてごもん)の石垣撤去作業の模様が公開されました。

160921HOOATEA.jpg

頬当御門周辺は、熊本地震によって石垣が広範囲にわたって崩落しました。石垣はクレーンで吊り上げられてトラックで運び出され、積み直す時に必要な番号を付けたうえで、近くの奉行丸(ぶぎょうまる)で保管されています。

撤去が完了した後は、長さ70メートルの仮設スロープが造られ、天守閣を修復する大型の重機の搬入路となります。熊本城管理事務所の河田日出男所長は「城の修復は20年の長期にわたりますが、一歩一歩確実に、目に見えるように進めていきたい。天守は3年で何らかの形に(修復)したい。多くの人が少しでも近いところで天守を目のあたりにできる、まずはそういう城を目指したい」と話しています。

夜の天守閣を背に「復興ねぶた」  幻想美2万人を魅了     2016年9月3日

熊本城二の丸広場で、青森から運ばれてきたねぶたが披露され、勇壮な引き回しに会場は熱気に包まれました。

はじけるようなたくさんの笑顔。心躍る囃子(はやし)と掛け声。ライトアップされた熊本城を背景に、まるで生きているように勇壮に動く「ねぶた」に、集まった2万人が魅了されました。

熊本でねぶたを企画したのは外崎玄さんです。「青森が誇るねぶたで熊本に復興のエールを送りたい」と、青森と熊本を往復する外崎さんの呼びかけに、ねぶた師や囃子や指揮を執る人などおよそ50人が賛同し、青森などから駆けつけました。

8月6日の青森ねぶた祭りが終わると、まつりで披露されたねぶたは解体されてトラックへ。2000キロ以上離れた熊本に運ばれました。ねぶた祭りには欠かせない踊り手である「ハネト」には熊本の人たちも参加。「本場さながらの気分で祭りに参加してもらい、楽しんでほしい」というのは外崎さんの願いでした。

ねぶたの引き手を務めるのも熊本の高校生。鎮西高校サッカー部の40人です。ねぶたは長さ9メートル、重さは4トン。扇子と笛の合図だけで動かし、声は一切出しません。練習を重ねる引き手の高校生は「腰痛いです...でも楽しい」と笑顔です。

こうして熊本の人たちでつくる祭りが始まりました。午後6時45分、点灯されたねぶたは「纏(まとい)と唐獅子牡丹(からじしぼたん)」。災いや災害を振り払うといわれ、「ケッパレ(がんばれ)熊本」のエールも書かれています。願いはもちろん、東北と熊本の1日も早い復興です。

ハネトが「みんなで一緒に、ラッセラー!」と祭りを盛り上げます。観客からは「ありがたいですね、涙が出る」「大きくですごくいい」「初めてこんなに近くで見られて元気が出た」と感動の声が上がりました。外崎さんは「(みなさんの笑顔が)見られません。涙が出てきますから...見ている人、踊っている人、みんながこんなにも自分が持ってきたねぶたを熱いまなざしで見てくれて...ありがたい」と話してくれました。外崎さんや熊本に来てくれたねぶた関係者は「ぜひ来年も開催したい」と話しています。

熊本城マラソン募集前イベント 42.195メートルの大作登場     2016年8月26日

160826MARASONA.jpg9月1日からランナーや大会ボランティアの募集が始まるのを前に、26日、熊本市中心部の下通アーケードでキックオフイベントが開かれました。

なかでも会場を盛り上げたのは熊本中央高校書道部の書道パフォーマンスです。マラソンにちなんで42.195メートルの紙に部員たちが応援のメッセージを書き上げると、会場から大きな拍手が送られました。

熊本城マラソン 来年2月19日開催決定 4キロコースは短縮  2016年8月4日

160221marason7_R.jpg地震による影響が心配されていた熊本城マラソンが、来年2月19日に開催されることが正式に決まりました。地震の影響で4キロのコースは3キロに短縮され、ゴール地点も変更になります。

6回目となる次回の熊本城マラソンについて、熊本市の大西一史市長は開催する意向を示し、コースが安全かどうかを検討してきました。フルマラソンと熊日30キロコースは地震の影響で道路の亀裂やくぼみなど対応が必要なところはあるものの、「開催に問題はない」とみており、コースの変更はしません(写真は今年のゴール風景)。

ただ、ゴールとなる熊本城一帯は石垣が崩れ、立ち入りが規制されており、4キロのコースは御幸坂が通行止めになっていることから、ゴールを二の丸公園から熊本市民会館前に変更することにしました。

熊本市は次回の大会について、地震への支援に感謝し、参加者を元気づける内容を盛り込みたいとしています。

城北西側の市道 3か月半ぶりに規制解除            2016年8月1日

160801sirodouroA.png

熊本地震で石垣が崩壊したため通行止めが続いていた熊本城北西側の市道の撤去工事などが終わり、1日、約3か月半ぶりに規制が解除されました。

規制が解除されたのは、熊本城の北西側を通る「市道宮内1号」の古京町の新掘橋から新町の子ども文化会館まで、約900メートルの区間です。この区間は熊本地震の本震で崩れた石垣が道路をふさいだため通行止めが続いていましたが、石の撤去と崩落防止の工事が終わったことから規制が解除され、車や歩行者など全ての通行が再開されました。

これで熊本城周辺の道路で規制が続いているのは御幸坂だけとなりました。熊本市によると、御幸坂については解除の見通しは立っていないということです。

「奇跡の石垣1本立ち」飯田丸 緊急工事終了           2016年7月29日

熊本地震で石垣が崩れ、石垣の角の隅石1列でかろうじて倒壊を免れていた飯田丸五階櫓(やぐら)の緊急工事が29日、完了しました。

飯田丸は城の南側を守る要で、2005年(平成17年)に復元されました。一連の地震で石垣が崩れ、「隅石1本立ち」で櫓の重量の半分を背負って倒壊を免れてきました。熊本城工事事務所の土山元治所長は「ある意味で奇跡という言葉が当てはまる。いろいろな要因が重ならないとこのような形で残ることはできない」と話しますが、梅雨の大雨の影響で、櫓の床板もさらに変形が進んでいて、いつ倒壊してもおかしくない状態となっています。

どのように倒壊を防ぐか検討した結果、高さ14メートル、重さ420トンの鉄骨を「コ」の字に組んだ装置で飯田丸を囲った上で、櫓の柱の下に鉄骨を差し込み、下から支えて隅石にかかる荷重を分散させました。鉄骨で組んだ"鉄の手"で櫓を包み込む工法は、橋の工事の技術を参考に考案された、これまでになかった手法です。およそ8000万円をかけて6月10日から始まり、飯田丸近くで"鉄の手"をくみ上げた上で、7月21日からジャッキでゆっくりと南側、西側へと動かし、先端にある約8メートルの支えを櫓の下に差し入れました。

これで地震から3か月半にわたって「奇跡の1本立ち」で残ってきた飯田丸は倒壊を免れました。熊本市では今後、櫓の修復が可能か、修復可能ならどのように本格的な修復工事を進めるかを調べる予定です。完全に元の姿に戻るのかどうかや、復元時期のメドはまだたっていません。

熊本市長「天守閣は3年、城全体は20年以内に復旧」表明  2016年7月26日

16072600NISHI.jpg

熊本市の大西市長は7月26日の記者会見で、天守閣を3年後に、城全体はおおむね20年以内に復旧させたいとする考えを明らかにしました。

大西市長は「熊本城復旧基本計画を平成29年度(2017年度)までに策定するとともに、計画の策定と並行して、着手が可能な部分から復旧工事に早期着手していきたい」と述べました。そのうえで熊本城の天守閣については、熊本市でラグビーのワールドカップや女子ハンドボール世界選手権が開かれる2019年までに復旧させたいという目標を示しました。櫓(やぐら)や石垣など、熊本城全体の復旧については、おおむね20年以内に完了させる考えです。復旧にあたっては「単なる復旧ではなく、熊本城本来の姿に近付ける形で復元していきたい」と述べました。

一方、大西市長は、「ポケモンGO」に関連して熊本城の立ち入り規制区域をゲームの対象から外すようメーカーに求めたことに触れ、「熊本城の立ち入り規制区域に入るのは危ないが、すべて排除しようというわけではない。観光や復興支援につながる場所であれば市も協力したい」と、一定の理解を示しました。

復興に願いを込めて 規模縮小し清正公祭り         2016年7月24日

160724SEISYOKO.jpg熊本城周辺で24日、復興への願いを込めた「清正公まつり」が開かれました。

清正公まつりは城域内の加藤清正をまつる加藤神社の夏祭りで、初開催から今年で42年となり、熊本の夏の風物詩として定着しています。しかし、熊本地震で熊本城が大きな被害を受けたことから、前日に加藤神社の境内で開催予定だった前夜祭は安全面を考慮して中止され、神幸行列も規模を縮小して約300人の参加とまりました。例年は20以上が練り歩くみこしも今年は3基となりましたが、祭りで熊本を元気にしたいとの思いを込めています。

沿道の人たちは子どもたちが加藤清正に扮して練り歩く「千人清正」などを楽しんでいました。

地震で折れた清正の片鎌槍が復活 本妙寺で記念の式典    2016年7月23日

160723KIYOMASA-YARI.jpg熊本地震で槍が折れた熊本市の本妙寺にある加藤清正の銅像が元通りに修復され、23日、寺の関係者など50人ほどが出席して、記念の式典が行われました。

熊本市西区の本妙寺は加藤清正の菩提寺で、長槍を持つ高さおよそ17メートルの清正の銅像があります。4月16日の熊本地震の本震で、銅像の清正の持つ槍の先端部分からおよそ2メートルが折れてしまっていました(写真右)。6月からおよそ1か月をかけて修復工事が行われ、鎌形の刃が片方だけ長く突き出ている「片鎌槍(かたかまやり)」の姿を取り戻しました(写真左)。

式典に参加した女性は「槍があってこその清正公。県民みんなが喜んでいると思います」と話していました。

地震後初の修学旅行生が鹿児島から くまモンも出迎え        2016年7月12日       

160713syuugaku2.jpg熊本地震の影響で熊本への修学旅行のキャンセルが相次いでいる中、12日、地震後初めて熊本城を修学旅行生が訪れました。熊本城を訪れたのは、鹿児島県阿久根市立折多小学校の6年生17人です。熊本城は石垣が大規模に崩落して城の近くや城内には入れませんが、児童たちはボランティアガイドから熊本城の地震による被害状況について説明を受けながら、二の丸広場から天守閣や石垣などを見学しました。また、児童たちを歓迎するために「くまモン」も登場し、子どもたちとじゃれあっていました。

見学した児童は「熊本城が崩れていたのがすごくショックだった」などと感想を話してくれました。出迎えた熊本県観光連盟の木村奈津美さんは「来ていただいただけですごくうれしいこと。本当に大きな一歩になると思う」とうれしそうでした。

熊本県観光連盟によると、地震発生から6月までで約1万8000人の修学旅行のキャンセルが出ているということです。

「壊れないように...」願い込めた400年前の絵 崩れた石垣から発見   2016年7月12日

160713isigakinoe_R.jpg

一連の地震で崩落した熊本城の石垣で、約400年前に描かれたと見られる人の形をした絵が石の中から見つかり、12日に公開されました。

見つかったのは熊本県立美術館本館と藤崎台県営野球場の間にある熊本城西側の石垣です。人物像の大きさはおよそ22センチで、目、鼻、口がハッキリと描かれています。約400年前に石垣を作った石工が、石垣が壊れないようにとの願いを込めて描いたとみられています。

熊本城調査研究センターの山下宗親さんは「石垣の中に人形が見つかったのは今回が初めて」と話します。熊本市は今後調査をしたあと、一般公開も予定しているということです。

また、この日は熊本城北側にある百間石垣の工事現場も公開されました。崩れた石はすでに撤去され、防護ネットを張る作業が行われていました。この崩落で通行止めが続いている藤崎台県営野球場と熊本市の京町をむすぶ市道は、9月中にも通行可能になるということです。

エントリー