蛍丸を復元せよ!

奉納焼き入れ 大太刀の刀身現る ハイライト動画      2016年8月29日放送

2016年8月に放送した蛍丸復元プロジェクトのハイライト動画を公開します(無断転載禁止)記事は yubiyubi.png こちら

行方知れず 幻の宝刀を再び

「蛍丸」は鎌倉時代の1297年(永仁5年)、名工とうたわれた山城国の来国俊(らいくにとし)の作とされる刃渡り101.35センチの大太刀です。

hotarue.jpg1336年(建武3年)、南朝方の菊池氏・阿蘇氏らと足利尊氏が戦った多々良浜(福岡市東区)の戦いで、阿蘇惟澄(これずみ)はこの刀で奮戦しました。南朝方はこの戦いに敗れ、hotarutakuhon_R.jpg惟澄の刀もガタガタに刃こぼれしてしまいましたが、惟澄が無数の蛍が集まって刀身に止まる夢を見た翌朝、刃が元通りになっていたという言い伝えがあり、この伝説から刀は蛍丸と呼ばれるようになりました。

15.jpg阿蘇神社大宮司家が600年引き継ぐ

蛍丸はその後、阿蘇神社大宮司の阿蘇家に代々引き継がれました。合戦などにも使われたらしく、江戸時代はじめの記録ではかなりの刃こぼれがあったようです。

元禄年間(1688~1704)には肥後熊本藩3代藩主の細川綱利が召し上げようとしましたが、大宮司家は頑として拒否したとも伝わっています。仕方なく細川家は一時借り上げる形で藩主の佩刀(はいとう)としたそうです。

寛政年間(1789~1801)に老中・松平定信らが編纂を始めた古美術の木版図録集「集古十種(しゅうこじっしゅ)」には、「螢丸 肥後國阿蘇大宮司藏」が兄弟刀ととhotaru-SYUUKO.jpgもに模写されています。それには、「惣長四尺五寸 元幅一寸三歩 先幅七歩半」という記録もあります。写真右上のような蛍丸のものとされる押形(拓本)は複数存在します。

時代の荒波にもまれつつ、刀は600年以上も阿蘇家が大切に引き継いできました。1933年(昭和8年)には旧国宝に指定され、戦前に撮影された写真も残っています。

15.jpg海底に眠る?アメリカにある?

しかし、終戦直後の1945年(昭和20年)に連合国軍総司令部(GHQ)が行った「刀狩り」によって接収されてしまいます。蛍丸は「長光」の大刀、「牡丹造(ぼたんづくり)」の腰刀などの名刀とともに地元の警察署に提出され、熊本進駐軍の倉庫に運び込まれた後、行方が分からなくなってしまいました、

「接収を指揮したGHQのビーターセンがアメリカへ持ち帰った」という説や、「他の刀とともに三角港内の海に沈められた」といった説がある一方で、「進駐軍の倉庫から持ち出され、今も熊本県内のどこかに隠されている」という説も根強く残っています。

hotarucyara_R.jpg台湾から復員した阿蘇神社の宮司、阿蘇惟友さん(故人)は、生涯かけて蛍丸を探し続けました。高松塚古墳を発見し、文化勲章を受けた考古学者・末永雅雄さん(故人)も蛍丸の行方を気にして、広く情報提供を呼びかけていたそうです。最近では文化庁が2013~14年にかけて行方を探しましたが、依然として見つかっていません。蛍丸は所在不明のまま国の重要文化財に指定されている、文字通り「幻の宝刀」なのです。

蛍丸が再び注目されるようになったきっかけは、2015年に登場したオンラインゲーム「刀剣乱舞」でした。蛍丸などの名刀を擬人化したゲームは人気を集め、そのキャラクターのもとになったのはどんな刀なのかについても関心が高まりました。「刀剣女子」と呼ばれる若いファンや、「歴女」が増えていることも、こうした動きに拍車をかけているようです。

「刀剣女子」を分析したヨミウリ・オンラインの記事は yubiyubi.png こちら

阿蘇神社の池浦秀隆学芸員は「私たち職員もみんな戦後生まれで、姿を見たことがない。歴史的にも意義がある太刀なので、今回の復元でその姿を見ることは非常に楽しみだ」 と話しています。

15.jpg挑戦するのは2人の若き刀鍛冶

kajihutari_R.jpgこうしたなか、岐阜県と大分県の2人の刀鍛冶が蛍丸を復元し、阿蘇神社に奉納するというプロジェクトを始めました。

復元に取り組むのは岐阜県関市の福留房幸さん(写真右)と、大分県竹田市の興梠房興(こうろきふさおき)さん(写真左)です。2015年11月にインターネット上で資金を募るクラウドファンディングという手法で資金を募ったところ、当初の目標だった550万円をわずか5時間で達成し、最終的には刀剣ファンなど3193人の支援者から4512万円もの資金が集まりました。2人は残された写真などをもとに、2017年の初夏ごろには復元した蛍丸を阿蘇神社に奉納する予定です。復元に取り組む2人に復元を決めた経緯や蛍丸の魅力を聞きました。

【プロジェクトの裏に不思議な縁(えにし)】

――なぜ蛍丸を復元しようと考えたのですか。

hotaruhukutomekao_R.jpg福留さん 一緒に修行していた弟弟子(おとうとでし)の興梠さんが修行を終え、大分県で刀鍛冶を始めることになったため、前から「2人で記念に何か合作しよう」と話し合っていました。「合作なら1人で作るのは難しい大太刀に挑戦しよう」と、資料などを見て試作もしていました。

――最初から蛍丸をやろうと決めていたわけではないのですね。

福留さん 興梠さんの仕事場を見に行った時、「近くに阿蘇神社がある」と聞いて「蛍丸があったところだ。ぜひお参りしよう」とお参りに行ったんです。その時にたまたま宮司さんにお会いできて、話をした時に「蛍丸の写しを作って(=復元して)奉納するのはどうですか」と伺ったところ、「それはとてもいいことで、応援します」と言ってくれました。「では何とか実現できないか考えてみましょう」と関市に戻ったところ、市から「クラウドファンディングを始めます。何か企画はないですか」という話が来たんです。とんとん拍子に話が進んで、何か蛍丸との縁(えにし)みたいなものを感じます。

――あっという間にたくさんの資金が集まりましたね。

興梠さん 募集期間内にぎりぎり目標額に届けばいいかな、と思っていたので、たった5時間で目標額に達するとは思いませんでした。ゲーム(「刀剣乱舞」)に登場する蛍丸が人気になっていることも知りませんでしたし。後からネットで知って「なるほど、そうだったのか」と。お金の額には関係なく一生懸命やるだけですが、やはり注目度が高いとやりがいがありますね。
福留さん 開始時は出資1人ごとにメールが来る仕組みにしていたので、1日で2500通ものメールが来て、すごいことになって非常に驚きました。最近は落ち着きましたが。


【600年前の姿を再現】

――蛍丸の魅力とは何ですか。

福留さん 作者の来国俊(らいくにとし)は非常に有名な鎌倉末期の刀鍛冶ですが、大太刀よりも短刀の名人というイメージが強いんです。しかも蛍丸のような大太刀が流行するのは南北朝時代になってからで、鎌倉末期にはそれほど作られていません。その時期に短刀の名人に作らせたというのは、よほど特別な注文だったと思います。文化庁に残っている作風の詳しいデータを見ても、蛍丸はかなり入念に作られた刀です。刀身に彫刻があったのも、特注だった証でしょう。来国俊としても思い入れのある作品だったのだろうと思います。
興梠さん 刀そのものの魅力に加えて、蛍丸にはミステリアスな経緯があります。国内、国外、海中のどこにあるのかという伝説にも惹かれます。
――制作で難しいところは。

福留さん 刀というのは、研げば減るし、戦に使われれば刃が欠けて、次第に細く、短くなっていきます。復元は70年前ではなく、600年前はだいたいこんな形だったと推察し、作成時の形をイメージして作ります。大太刀ですから長さも厚さもあり、当然重くなります。材料も大きいものを用意しないといけない。その分、作るのは難しくなります。大きいと材料自体にアラやムラが出やすくなり、焼き入れムラもできやすくなりますから。

興梠さん 伝統文化を継承するため、作り続けていくことが大事です。刀だけで食べていくのは難しいことですが、今は追い風なので、知らない人に刀鍛冶の仕事を知っていただけるのも仕事のうちと思っています。korokikao_R.jpg

【復元を発見につなげたい】

――苦労して復元した後で、もし本物が見つかったら?

福留さんそれは本当にうれしい。実は今回のプロジェクトは、行方不明の蛍丸の発見も狙いなんです。阿蘇氏の家宝として600年強も同じ場所で保存され、大切にされてきたのに、わずか70年前に失われて行方が分からないというのは非常に悲しいことです。復元が話題になれば、多くの人が「蛍丸とはどんな刀だったのか」と興味を持ってくれます。復元すれば形がはっきりわかるようになるので、「こういう刀を見たことがある」という人が出てきて、見つかる可能性も高くなります。復元した蛍丸を撮影して実寸大のポスターを作るので、ポスターを利用した探索活動が簡単になるでしょう。

――刀鍛冶とは、だれでもできる仕事なのですか。

福留さん 文化庁長官から刀を作ることを許可されないと、刀鍛冶にはなれません。5年以上の修業を積んで、文化庁の研修会(美術刀剣刀匠技術保存研修会)を受け、事実上の試験(8日間で小さな脇差を作る)に合格して修了証書を持つことが必要です。現在は全国に250人程度の刀鍛冶がいます。

――ともに二十五代藤原兼房師匠のもとで修業した兄弟弟子と聞きましたが、そもそも、なぜ刀鍛冶の仕事を選んだのですか。

福留さん母親が茶道の先生だったこともあり、小学生のころから日本の伝統文化に関心がありました。地元(福岡)の陶芸教室に通って、中学を卒業したら陶芸家になろうと思っていたのですが、親に「高校くらいは出てくれ」と言われまして。高校で写真部に入って、博多包丁の鍛冶工場を訪れた時に、鍛冶の仕事って面白そうだなと思って、高校卒業後にすぐ修業先を探し、入門しました。


興梠さん子供のころから刀に興味があったわけではありません。大分の高校を卒業してから大阪に出てフリーターをしていたんですが、24歳のころにこれからどうしようと考えて、スポーツ選手のように現役の期間が短い仕事より、手に職をつけて老いても現役を続けられれる仕事に就きたいと思って刀鍛冶を志しました。刀鍛冶を志したのが遅かったので、福留さんは兄弟子ですが、弟弟子の私の方が年齢は上なんです。

15.jpgものづくりの伝統技術を結集

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復元プロジェクトはどのように進むのか、制作にあたる福留房幸さんに教えてもらいました。

刀身の制作は、刀鍛冶の仕事です。砂鉄と炭から作った玉鋼(たまはがね)で塊をつくり、たたいて伸ばして切って曲げ、という工程を繰り返して鍛錬していきます。固さが違う鉄を組み合わせて棒状に伸ばし、刀の形にしていきます〈上の図の工程①〉。

2人は岐阜の福留さんの工房と大分の興梠さんの工房で、最低6本の刀身を作ります。この後、研師(とぎし)が粗いやすりで刃の形をつけます〈工程②〉。6本がおおまかに大太刀の形になるまでに半年ほどかかり、この時点で出来のいい3本を決めます。最も出来のいい刀が阿蘇神社に奉納され、2番目は岐阜県関市の鍛冶伝承館、3番目は復元プロジェクトに270万円を出した最高額出資者にそれぞれ贈呈されます。

刀鍛冶が刀身に彫刻を彫り〈工程③〉、刀身と鞘を固定する鎺(はばき)と呼ばれる金具を作ります〈工程④〉。今は白銀師(しろがねし)が担当しますが、蛍丸では大半の制作は刀鍛冶が担います。鞘師(さやし)が朴(ほお)の木を削って刀をおさめる白木の鞘(さや)〈工程⑤〉と柄(つか)を作ります〈工程⑥〉。さらにもう一度研師が仕上げ研ぎをして〈工程⑦〉、柄の内部におさまる刀身部分の茎(なかご)に銘を入れて〈工程⑧〉奉納される白鞘の蛍丸は完成します。阿蘇神社に奉納されるのは2017年春になる予定です。

プロジェクトはこれで終わりではありません。白鞘の刀の制作の途中から、同時並行で「拵え(こしらえ)」の制作が始まります。拵えとは柄や鞘などにさまざまな装飾を施すことです。白鞘の刀が普段着なら、拵えは外出着。復元され奉納された蛍丸は、阿蘇神社で"着替え"の完成を待つことになります。

拵えのうち、鍔(つば)など刀につける金具は白銀師が作り〈工程⑨〉、塗師(ぬし)が白鞘とは別に漆塗りの鞘を作ります〈工程⑩〉。巻師(つかまきし)がきれいに柄を巻き〈工程⑪〉、刀を身に着けるための下緒(さげお)は組紐職人〈工程⑫〉が担当します。全国にいる職人がそれぞれ作業するため、拵えの工程は必ずしも順番通りに進むわけではありません。

拵え一式が完成するのは、白鞘の刀の奉納後、さらに半年~1年かかる見通しです。一式は阿蘇神社に追加で納められ、ようやく復元プロジェクトはすべて完了します。

2人の刀鍛冶が作るのは図中赤線で囲んだ工程①③④⑧で、多くの部分は研師、鞘師をはじめ、白銀師、塗師、柄巻師など、さまざまな専門職人が担当します。蛍丸の復元は全国の職人が携わる、ものづくりの伝統技術を結集したプロジェクトでもあるのです。

復元プロジェクトのサイトは yubiyubi.png こちら

福留さんのサイトは yubiyubi.png こちら 

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復興への思い込め奉納焼き入れ 阿蘇神社で「魂」吹き込む   2016年8月27日

160827HOTAA.jpg幻の宝刀「蛍丸」の奉納焼き入れ儀式が、楼門が倒壊するなど熊本地震で大きな被害を受けた阿蘇神社で行われ、刃渡り1メートルを超える刀身が初めて姿を現しました。

焼き入れとは、細長く打ち延ばした鉄を熱し、急激に冷やすことで刀へと変える重要な工程で、「刀に魂が吹き込まれる瞬間」といわれています。神事を受けたのは、終戦直後から行方が分からなくなっている蛍丸の復元にあたっている刀匠の福留房幸さんと弟弟子の興梠(こうろき)房興さんです。

焼き入れの儀式は地震で倒れた拝殿の隣で行われました。およそ100人が見守る中、蛍丸は徐々に真っ赤に光っていきます。「蛍の光によって闘いで刃こぼれした太刀が元通りになった」という伝説のように、炉から上がる火の粉は蛍の光のように空に舞い上がっていました。鉄を800度まで熱するため、炉に贈られる空気は勢いを増し、そしてついに水に入れられた刀身は「ジュッ」と大きな音をたてました。

福留さんは「このプロジェクトが始まったときは楼門も高くそびえていましたが、震災で崩れてしまいました。失われてしまっても技術が途絶えない限りはその形は取り戻すことができるということが活動(プロジェクト)の趣旨」と言います。蛍丸の復元を阿蘇神社の再建と重ね、復興への祈りを込めているのです。

興梠さんが住む大分県竹田市も4月の地震で震度5強を観測。幸い、作業を行う鍛錬場の被害は少なく、復元作業は急ピッチで進められています。福留さんは蛍丸について「以前の蛍丸のように何百年先までもずっと安泰で、ずっとそこにある町の風景の背景としてある存在になれば」と話しています。

いったん蛍丸は再び刀に仕上げる作業を経て、来年の春、阿蘇神社の仮拝殿に奉納される予定です。

動画特集は yubiyubi.png こちら

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蛍丸復元プロジェクト予定通り 阿蘇神社復興へのシンボルに   2016年5月16日 

国の重要文化財で現在は行方不明の宝刀「蛍丸」の復元にあたっている2人の刀鍛冶が、地震で大きな被害を受けた阿蘇神社を訪れ、復興支援に動き出しました。

160516HOTARUSAIKAI.jpg16日に阿蘇神社を訪れたのは、岐阜県の福留房幸さんと、大分県の興梠(こうろき)房興さんです。2人は「蛍丸」の復元プロジェクトを進めていて、2月にはプロジェクトの開始を阿蘇神社に報告する奉納鍛錬を行っていました(写真上)。その阿蘇神社は、4月16日の地震で国指定の重要文化財の楼門など主要な建物が倒壊(写真下)。文化庁によると、再建には10年の歳月と20億円がかかるとされています。

2人は、阿蘇神社の現状を自分たちの目で確かめたいと、地震後初めて阿蘇神社を訪れました。興梠さんは「映像を見て知ってはいましたが、改めて見るとショックです」と倒壊した神社をじっと見つめていました。2人はすでに、蛍丸復元プロジェクトで集めた資金から、見舞金として100万円を阿蘇神社に贈っています。福留さんは「単純に刀を作ることだけではなくて、文化をいかに守っていこうかというのが(プロジェクトの)主な目的としてある」とその理由を説明します。

2人は阿蘇神社の再建に向けて蛍丸復元プロジェクトが何ができるか、神社側と話し合いました(写真右下)。神社の意向は「プロジェクトはスケジュール通りに進めてほしい」。興梠さんは「本来の目的とは別に、復興の一助、シンボルになれるようにスムーズに仕事を進めていきたい」と話します。蛍丸の復元を復興のシンボルに。2人は「復元作業を通じて阿蘇神社の現状を全国に発信し、復興の力になりたい」と決意を新たにしています。

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興梠さんの住む大分県竹田市も震度5強の揺れに見舞われ、興梠さん(写真右から2人目)も一時、車中泊を強いられましたが、鍛錬場に大きな被害はありませんでした。福留さん(写真右端)は近く大分に移り、制作を本格化させます。復元作業は8月末に、阿蘇神社で刀身の仕上げにあたる「焼き入れ」の奉納鍛錬を行う予定です。

阿蘇神社復興 蛍丸サイダー発売                 2016年5月16日

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地震で甚大な被害を受けた阿蘇神社を支援しようと、宝刀「蛍丸」をイメージしたサイダーが発売されました。

阿蘇神社は先月16日の地震で多くの建物が倒壊し、文化庁によると、再建には20億円を要するとされています。その復興を支援しようと、阿蘇神社の水を使っている酒店「阿蘇・岡本」が、神社の宮司、阿蘇家に伝わる宝刀、「蛍丸」をイメージしたサイダーを作りました。刃こぼれした大太刀に蛍が群がり元通りになった、という蛍丸の言い伝えから、その光を表した黄緑色のマスカット味になっています。

蛍丸サイダーは16日から「阿蘇・岡本」の店頭とホームページで販売されていて、1本ごとに100円を募り1億円の寄付を目指すということです。

阿蘇・岡本の阿蘇神社復興プロジェクトのページは yubiyubi.png こちら

蛍丸復元プロジェクト 甚大被害の阿蘇神社に100万円        2016年4月29日

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幻の宝刀「蛍丸」の復元プロジェクトを進めている実行委員会代表で刀鍛冶の福留裕晃さん(写真)が、熊本地震で壊滅的な被害を受けた刀の奉納先、阿蘇神社の応急処置などに使ってもらおうと、見舞金としてプロジェクト資金4500万円のなかから100万円を送金すると公表しました。福留さんは「当初目的の刀剣制作に関わる用途ではないが、文化継承の基盤となる地域の象徴を支援することはプロジェクトの趣旨から逸脱するものではないと考えた」としています。

160424asojinja.jpg阿蘇神社には終戦直後に行方不明になるまで蛍丸を保有しており、復元プロジェクトでは2月末に神社内で奉納鍛錬も行われました。しかし一連の地震で楼門と拝殿が倒壊し、他の建物も中規模以上の損壊という状況になっています。

福留さんによると、神社の再建には15~20億円以上が必要で、重要文化財として国から補助を受けたとしても4〜6億円が必要になるとしています。福留さんは正確な工費が確定次第、あらためて修復募金についてお伝えするとしています。復元プロジェクトのスケジュールについては、5月中旬以降に検討するということです。

福留さんが修業た岐阜県関市の関鍛冶伝承館には募金箱が設置されました。

阿蘇神社の現状や社殿復旧のための奉賛(口座開設)についてはyubiyubi.pngこちら

初公開の蛍丸押形 伝統工芸館に登場     2016年4月1日

阿蘇神社に伝わり、現在は行方不明になっている幻の宝刀「蛍丸」の押形が、熊本市中央区の伝統工芸館で初めて公開されています。

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蛍丸は阿蘇神社の宮司を務める阿蘇氏に伝わる宝刀で、終戦直後に所在不明となっています。押形は2008年(平成20年)に熊本県出身の工芸品コレクターの家族から伝統工芸館に寄贈されていたもので、来国俊の銘や刃渡りおよそ1メートルの刀の形が、刃こぼれした部分まで克明に写し取られています。

蛍丸の押形は阿蘇神社も保管しており、これまでに公開されたこともありますが、今回展示される押形の公開は初めてです。蛍丸復元プロジェクトが注目されていることを受けて、展示が決まったということです。銘が入った表だけでなく、刀の裏や鎺(ハバキ)、峰(みね)の押形もあり、今後、順次入れ替えて公開される予定です。

会場には同田貫(どうだぬき)の薙刀(なぎなた)も展示されています。この企画展は6月5日までです。

日本酒も品切れの人気     2016年3月24日

160112hotarusake_R.jpg幻の宝刀「蛍丸」にちなみ、上益城郡山都町の酒造メーカーが売り出した日本酒「蛍丸」に全国から注文が殺到し、生産が追い付かないほどの人気になっています。

売り出したのは山都町の酒蔵「通潤酒造」です。山都町は蛍丸の持ち主だったとされる阿蘇氏が居館を構えていた地とされ、それにちなんで2015年6月に蛍丸と名付けた新ブランドの販売を始めたところ、全国から予約が殺到し、300本がおよそ7時間で完売する大人気となりました。2016年は1万本以上の出荷を見込んでいます。

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この蛍丸、正面から見ると浮かび上がった刀の上に蛍が飛んでいるように見えるデザインも人気です。最近では、酒蔵の見学にも訪れる若い女性もいるそうです。

通潤酒造の菊池一哲さんは、「伝承を楽しむだけではなく、お酒まで楽しみ、こんな田舎まで足を運んで頂けて、すごい効果を感じています」と話しています。日本酒「蛍丸」は単品(370ミリリットル)が1500円(税込・送別)、グラスセット(2個付き)が2300円(税込・送別)です。

通潤酒造では3月24日から、本数・期間限定の新酒「初神成(はつかもし)蛍丸」(370ミリリットル、税込1800円)の販売を始めました(写真右)。産まれたばかりの蛍丸をイメージした白色のデザイン。隠しギミックが仕込んであり、暗闇に置くとラベルに驚きの変化が表れるそうです。

通潤酒造の特集ページは yubiyubi.png こちら

岐阜県関市でも奉納鍛錬     2016年3月13日

160313=hotarutanren.png幻の宝刀「蛍丸」の復元を始める「奉納鍛錬」が、2月末の阿蘇神社に続いて、岐阜県関市でも行われました。

関市は復元にあたる福留房幸さん(31)と興梠(こうろき)房興さん(34)が修業した世界でも有数の刃物の産地で、福留さんの鍛錬場もあります。復元される3本の大太刀のうちの1本(影打)は、関市の関鍛冶伝承館に贈られることになっています。

160313hotaruseki1_R.JPG奉納鍛錬はその伝承館の鍛錬場で行われ、プロジェクトに出資した人や刀剣ファンなど、全国から約200人が集まりました。関鍛冶の守護神とされる春日神社の神主が復元作業の無事を祈願した後、刀の材料となる玉鋼(たまはがね)を打ちのばす「打始式」を行いました。一部の儀式には出資した人も参加しました。

プロジェクトの資金はインターネットで出資を募るクラウドファンディングという方式で集められ、3193人から4512万円が集まりました。これは地域振興を目的に行われた日本のクラウドファンディングプロジェクトでは、これまでのところ過去最高額ということです。

関鍛冶伝承館の情報は yubiyubi.png こちら

刀鍛冶の製法見学がグランプリ     2016年3月4日 

160304hyouyou_R.jpg荒尾市の刀鍛冶、松永源六郎さん(68)が、35年間続けている鍛錬場での作刀見学が、地域に根差した名物を表彰する「NIPPON QUEST AWARD」の第1回グランプリに選ばれ、東京・浅草のまるごとにっぽんで表彰式が行われました。

AWARDは地域の名物を世界に発信するため、経済産業省の補助を受けて博報堂が今年から始めました。インターネットやイベント会場に設置した投票箱で、全国からノミネートされた「食」「モノ」「アクティビティ(行動・遊び)」の3部門で人気投票を行ったところ、アクティビティ部門で和菓子づくりや座禅体験、カヌー下りなどをおさえて、松永さんの作刀見学がグランプリに選ばれました。特に外国人の関心が高く、留学生などが多くの票を入れたとみられます。

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松永さんは脱サラして38年前に刀鍛冶となり、たたら製法と呼ばれる昔ながらの技法で日本刀を作り続けています。「若い刀匠が蛍丸を復元するそうだが、技法はみな同じ。日本の伝統工芸をぜひ知ってほしい」と話しています。

松永日本刀剣鍛錬所の見学は、少なくとも1週間前の予約が必要です。料金は1000円です。電話での問い合わせは0968-68-2250まで。

厳かに阿蘇神社で奉納鍛錬     2016年2月27日

160227asotanren1_R.jpg幻の宝刀「蛍丸」の復元を始める儀式、「奉納鍛錬」が阿蘇神社で行われ、復元プロジェクトがいよいよ正式に始まりました。

復元にあたる福留房幸さん(31)と興梠(こうろき)房興さん(34)は、まず神前で復元作業の開始を報告。拝殿の中で採火した火を使って、この日のために臨時に境内に設けられた鍛錬場で、刀の材料となる玉鋼(たまはがね)を打ちのばす「打始式」を行いました。式には福岡や佐賀からも刀鍛冶が応援に駆け付けました。

復元プロジェクトに賛同してまとまった額を出した支援者16人が白装束姿で打ちのばしに参加したほか、約50人の支援者が間近でカメラを向けるなどして鍛錬に見入りました。この日は全国各地から刀剣ファンが集まり、境内の会場に入りきらない大勢の人が、興味深そうに式典の様子を見ていました。

最高額出資者も見守る

今回の復元プロジェクトに最も多くの額を出資したのは、東京に本社があるゲーム制作・販売会社「ニトロプラス」の小坂崇氣社長でした。同社は蛍丸人気の火付け役となったゲーム「刀剣乱舞‐ONLINE‐」の制作を手がけており、小坂さんも奉納鍛錬に出席しました。

大太刀は3本制作され、出来が3番目のものは最高額を出資した人に贈呈されることになっており、小坂さんは「贈呈を受けたら、多くの刀剣ファンに見てもらえるようにしたい」と話しています。

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大分県の鍛錬場が始動     2016年2月24日  

160224kourokikajiba_R.jpg幻の宝刀「蛍丸」の復元に取り組む興梠(こうろき)房興さん(34)が作業を行う大分県竹田市の鍛錬場が完成し、「火入れ式」が行われました。

式には興梠さんの師匠の25代藤原兼房さん(59)や兄弟子の福留房幸さん(31)のほか、首藤勝次・竹田市長ら地元の関係者も出席。興梠さんは白装束に烏帽子(えぼし)姿で、玉鋼(たまはがね)と呼ばれる砂鉄と炭を混ぜた刀身の材料を炉に入れて、鞴(ふいご)で風を送りながら真っ赤に熱し、師匠の出席者が焼けた玉鋼を金づちで打って、神前に供えました。

興梠さんはこの鍛錬場で蛍丸の復元作業に取り組みます。岐阜県関市の福留さんの鍛錬場でも復元作業が行われ、2人は互いの鍛錬場を行き来しながら最低でも6本の刀身制作を進める予定です。

刀剣の機能美魅せる展示会     2016年2月17日 

160217(18)katana_R.jpg昔と今の日本刀を鑑賞できる展示会が、熊本市の島田美術館で始まりました。

「刀剣の機能美」展には、日本刀の一大名産地、備前の名工藤原則光が室町時代に手がけたとされる太刀や、肥後細川家の初代・細川忠興(1563~1645)が、大徳寺の僧を無礼討ちしたときに使われたと伝えられている脇差など、昔の刀や九州各地の刀匠が手がけた現代の刀、あわせて28振りが展示されています。最近の日本刀ブームの影響か、若い女性の姿も。「アクセサリーを見るのと同じで、細身で使いやすそうな、持てそうなものがやはり、きれいだなと(思います)。飾っておきたいという感覚ですね」と話していました。

美術館事務局長の清川真潮さんは、「日本刀というのはもともと敵を殺傷するという機能があるわけですが、その機能を失っても、なお日本だけでなく世界中の人々をひきつけています。それはやはり、日本独特の文化というものの中に培ってきた美意識があるからだと思います」と話しています。

島田美術館のホームページは yubiyubi.png こちら

阿蘇氏ゆかりの地で企画展     2015年10月31日

151031hotarutennrann_R.jpg上益城郡山都町の「道の駅通潤橋」で、「阿蘇大宮司家と宝刀蛍丸展」が始まりました。明治時代に撮影された蛍丸の写真をメーンにパネルを並べ、阿蘇家の系譜やゆかりの史跡などを紹介するほか、模造の刀で使って記念撮影できるコーナーもあります。熊本や九州の史跡めぐりのガイドブックや、蛍丸関連グッズも販売されています。ゲーム「刀剣乱舞」で蛍丸役を務めた声優、井口祐一さんによる音声案内(有料)も体験できます。井口さんの音声案内はDVDで発売され、収益の一部は復興支援に使われるということです。

入場は無料。企画展は2016年9月30日まで開かれています。


企画展と関連情報は yubiyubi.png こちら

同田貫にも刀剣女子     2015年5月28日 

玉名市歴史博物館こころピアで展示されている刀剣の「同田貫(どうだぬき)」を一目見ようと、全国から刀剣好きな若い女性たちが見学に訪150528doudanuki_R.jpgれています。

「同田貫」は、安土桃山時代に加藤清正の庇護を受け、肥後菊地の同田貫地域から玉名に移り住んだ刀工集団、または彼らが作った刀の呼び名です。展示されているのは加藤清正から一字を授かったという切銘「同田貫正国」(長さ71.4センチ)の刀で、1886年(明治19年)11月、明治天皇の御前で剣豪・榊原鍵吉(直心影流)が兜を割った「天覧兜割り」で使われた刀として知られています。最近では、ゲーム「刀剣乱舞」に登場する擬人化されたキャラクター「同田貫正国」が、「たぬきくん」の愛称で人気を集め、本物の刀を見たいと「刀剣女子」と呼ばれる女性ファンが多く訪れるようになりました。

刀剣女子は熊本だけでなく、九州一円や東京、広島など全国各地から多い日は1日80~90人が訪れ、学芸員の説明を聞きながら同田貫を見学し、模擬刀を持って記念写真を撮っています。

こころピアの同田貫についての解説はyubiyubi.png こちら

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