くまもと温故知新

元熊本市長・星子敏雄さんが子どもにも語らなかった過去とは   2016年8月15日放送

HOSIKOb.jpg熊本市長を4期務めた星子敏雄さん(ほしこ・としお、1905~1995)の激動の生涯を記した本が、このほど出版されました。副題は「満州国の最期を背負った男」(弦書房、2000円、写真右下)。著者は元新聞記者の荒牧邦三さんです。

星子さんは1905年(明治38年)に鹿本町(現在の山鹿市)に生まれ、1970年(昭和45年)から4期16年間にわたって熊本市長を務めました。荒牧さんが星子さんのことを調べ始めたのは、熊本姿勢を担当し、星子さんの経歴を調べたことがきっかけでした。荒牧さんは「これだけの経歴を持った人が、一切しゃべっていない。記録にも残していない。4期16年も熊本市長をやった力の源泉は何なのか。そこをきちんと描き出すのは面白そう、という新聞記者特有の本能で取り組み始めた」といいます。

160815hosiko1_R.jpg星子さんは東京帝国大学を卒業後、すぐに中国の旧満州にわたり、「満州国」の建国に立ち会います。「アジアの平和に貢献したい」という強い思いを持ち、39歳の若さで警察組織のトップに上り詰めるなど、満州国の治安維持に尽力しました。しかし、日本は敗戦。満州に攻め込んできた旧ソ連に、治安組織のトップとしての責任を問われ逮捕され、シベリアの収容所に連行されました。

マイナス30度にもなる極寒のシベリアでの厳しい抑留生活。「ある日、だれか気でも狂ったのだろうか。断末魔のようなギャーッという声を聞いた。自分だってその寸前だった」

星子さんは荒牧さんに手を見せて、つまんで見せたといいます。「つまむと皮膚が浮き上がる。これが元に戻らない、という。それぐらいやせ細ったと」。5万人以上が死んだといわれる過酷なシベリアでの抑留生活。辛くも生き延びた日本人の多くは4年以内に帰国の途に就きましたが、星子さんの抑留生活は11年に及び、ようやく帰国できたのは1956年(昭和31年)のことでした。

160815hoshiko5_R.jpg1995年(平成7年)、89歳で生涯を終えた星子さんは、最後まで満州やシベリアでの経験を家族にも話すことはありませんでした。息子の昭宇さん(74)は「自分が満州国建国という理想に燃えていて、思うような国ができず、途中で挫折したというのはあったと思う」と考えています。シベリア拘留中に届いた家族への葉書にも、家族への謝罪と健康を気遣う言葉ばかりでした。

160815hoshiko6_R.jpg取材をした荒牧さん(写真左)も「(星子さんは)満州生活13年5か月、シベリア抑留生活11年。これをそう簡単に一口では語れない、あるいはわかってもらえないだろうと(言っていた)」と振り返ります。そんな星子さんを説得し、25時間に及ぶインタビューでその経験を聞くことができた荒牧さん。星子さんのほかに20人以上の証言、200冊以上の資料を集め、まとめたのが「満州国の最期を背負った男」です。30年も前から取材をしていましたが、昨年になって星子さんの話を裏付ける旧ソ連の調書(写真右)をロシア政府から入手できたことが、出版の大きなきっかけになりました。

荒牧さんは「星子さんを通じて私は日本の歴史の一端を見ました。本当の歴史とは別のひとりの国民の歴史だと思っています」と言います。

「私たちは星子さんの生き方を見ながら戦争に対して何をしなければならないのかを学ばなきゃいけない。歴史の中で何度も戦争を見てきていますけど、絶対にあってはならない。してはならない。許してはならない」

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