くまもと温故知新

震災を超えて戦争の教訓を伝える 遺跡を回り保存活動     2016年6月7日放送

160607sensouiseki_R.jpg

戦争を知る一つの手がかりとなるのが「戦争遺跡」です。今も県内に多く残されていますが、熊本地震ではその遺跡も被害を受けており、中には姿を消そうとしているものもあります。調査保存活動を続けている玉名市の高谷和生さん(61)は、被災した戦争遺跡の被害状況を調べ続けています。

2MIHUNE-KAO.jpg

熊本市南区城南町にある戦争遺跡のひとつ、「油倉庫」。この倉庫が残る城南町一帯には、旧陸軍の隈庄(くまのしょう)飛行場がありました。開設されたのは1941年(昭和16年)。1945年(昭和20年)4月には戦況が悪化し、ここから多くの若者が沖縄特攻に出撃し、命を落としました。世界的な俳優、三船敏郎さんもこの隈庄飛行場で終戦を迎えたといわれていて、舞台の祭りで演劇を披露した時の写真(右)も残っています。

油倉庫はここに隈庄飛行場があったことを示す貴重な遺跡。投じは飛行場のエンジンオイルなどが保管されていたとみられています。今回の地震でコンクリート製の壁が崩れ、大きな被害を受けました。高谷さんは「文化財の指定に相当するようなものだと思っていたので、状態が良かっただけに残念としか言いようがないですね」と顔を曇らせます。戦争遺跡は軍の建物など、戦争を今に伝えるいわば「無言の証人」です。終戦から70年以上が経ち、戦争を体験した人が少なくなっている今、戦争遺跡は貴重な存在なのです。

高谷さんはこれまで50か所以上の戦争遺跡を確認した高谷さん。そのうち30か所近くで倒壊や亀裂などの被害が確認されました。しかし、確認したのはまだ一部だけ。調査が進むにつれ、被害はさらに増えるとみられます。

「いろんな開発行為から逃れ、地元の方々の熱意で残ってきた戦争遺跡が倒壊していまうのは非常に悲しい」と高谷さん。しかし、戦争遺跡の多くは文化財などの指定を受けておらず、復元費用への公的援助が見込めないため、すべてを元通りに復元することは難しいのが実情です。実物が残さなければせめて図面に残そうと、高谷さんは油倉庫の測量をしています。「先の戦争のような悲惨な戦争をしてはいけない。そのために次の世代の私たちができることは客観的なデータをもとに戦争に様子を伝えていくこと。そのための資料作りです」。震災を超えて戦争の教訓を後世に伝えようと、高谷さんはきょうも頑張っています。

エントリー