ハンセン病 差別と偏見との戦い

ハンセン病家族訴訟 原告の思い     2016年2月15日放送 

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第1陣の提訴をしたハンセン病元患者の家族たち。原告団の一人が2016年1月、KKTのインタビューに応じ、自らの苦難の歩みを話してくれました。

話をしてくれたのは、父親が元ハンセン病患者で岡山県在住の原田信子さん(72)です。父親の金次郎さんは、原田さんが小学校2年生だった1951年(昭和26年)7月、青森県の国立ハンセン病療養所、松丘保養園に強制隔離されました。

「部屋が真っ白に雪が積もったくらいに消毒されたんです。寝ていた布団はみんな持っていかれて山の方で燃やされた」と原田さんは語ります。残された原田さんと母・コノさんには、地獄のような生活が始まりました。

「母が働いていた加工場をすぐにクビになったみたいです。生活していけないから、母は本当に何回ももう死のう死のうと言いました」

噂は瞬く間に広がり、近所の人や親族からも無視されたり、誹謗中傷を受けたりしました。差別や偏見は娘の原田さんにまで及びました。

「(学校では)もういじめられっぱなし。何をするにも『うつるからそばに来るな』『汚いから来るな』と、もうすごかったね、それは」

親しくしてきた友人にまで裏切られてきた原田さん。父との面会のため、松丘保養園にいる時だけが、偏見にさらされることなく安らげたといいます。しかし、原田さんは「(父親には)甘えたこともないし、触られたこともないです。大きくなってから、父は(病気が)うつっては困ると思ったんじゃないかと感じました」と振り返ります。

父親の強制隔離から50年たった2001年(平成13年)に、熊本地裁はハンセン病国賠訴訟で、らい予防法に基づく強制隔離政策を違憲とする判決を出しました。国は控訴も検討しましたが、世論の反発も強まり断念。この判決によって全国の元患者たちは国から謝罪と賠償金を勝ち取りました。しかし、同じ期間苦しみを味わってきた家族たちへの救済は一切ありませんでした。

「本当はあきらめていました。もうこのままで終わるんだなと」。しかし、今回初めてチャンスが生まれました。

「国には親を連れて行かれた子供たちの苦しさを訴えたいと思います。聞かなかったらわからないじゃないですか。(家族は)みんな隠れて出てこないのでね。心の悩みは患者さん以上だと思うんですよ」。「みんなとだったら怖くない」との思いで、原田さんは裁判に向かいます。

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