ハンセン病 差別と偏見との戦い

病気はほぼ根絶されたが

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ハンセン病はらい菌の感染によって、菌の抵抗力のない人にごくまれに発病する感染性疾患です。ノルウェーの医師、アルマウェル・ハンセン(1841~1912)がらい菌を発見したことからこう呼ばれています。通常生活でうつることはなく、今は薬で完全に治ります。しかし、かつてはハンセン病は「うつると不治の病」という誤った知識が広がり、誤解が患者や元患者、その家族らに対する偏見や差別を助長してきました。

その原因にもなったのが、100年以上前に始まった国の強制隔離政策です。らい予防法の始まりは1907年(明治40年)、「癩(らい)予防ニ関スル件」が制定され、各地を放浪し、神社や寺、公園などに寝泊まりしている患者の取り締まりが行われました。1931年(昭和6年)に「癩予防法」に改められた後は、強制隔離の対象が家で療養している患者にも広がりました。

1947年(昭和22年)には治療薬「プロミン」が日本でも使われるようになり、ハンセン病は治る病気になりました。にもかかわらず、1953年(昭和28年)に制定された新たな「らい予防法」では、患者の労働や外出禁止が追加されていました。

151515.jpg間違いだった国の隔離政策

mukashi.png患者の隔離政策に基づいて、1909年(明治42年)4月には、全国に開設されたハンセン病の公立療養所の一つとして、九州七県連合立「九州癩(らい)療養所」が開設されました。現在の「菊池恵楓園(けいふうえん)」です。

恵楓園はかつてはハンセン病患者の救護あるいは隔離・収容の役目を担い、全国最大の収容施設として、病床が2200床もあった時期もありました。

1931年(昭和6年)の癩予防法の制定以降、国はハンセン病患者を国立施設などに隔離する政策を強化しました。患者は強制的な隔離によって家族から引き離され、塀の中だけで暮らす生活を強いられたのです。

恵楓園でも監禁室に閉じ込められて罰を受けたり、弁護士のいない「特別法廷」で裁かれたりといった行為があったといいます。戦後には治療薬プロミンによる治療も始まったのですが、1953年(昭和28年)に制定された「らい予防法」でも、患者を排除し隔離する政策の基本は変わりませんでした。

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1996年(平成8年)にらい予防法はようやく廃止され、2001年(平成13年)には熊本地裁が「1960年(昭和35年)以降、ハンセン病は治療可能な病気になっていた」として、らい予防法による隔離政策に違憲判決を出し、この判決が確定しました。

特別法廷についても、最高裁判所が設置が正しかったのかどうかについて再検証を進めています。

151515.jpg差別や偏見がなくなる日まで

現在の恵楓園入所者は全員、完治しています。身体障害の後遺症があり、高齢に伴う病気のため入院生活をしている方もいますが、介護を受けて通常と変わりない生活を送っています。現在の恵楓園は入所を続けている方の医療・福祉、生活支援の場となっており、園内には野球場や医療施設、郵便局、コンビニエンスストア、商店などがあります。また、園内にある社会交流会館(歴史資料館)は、ハンセン病を取り巻く歴史や病気に対する正しい理解、偏見のない共生を考える拠点としても重要な役割を担っています。

ハンセン病への理解も昔より進み、園内で行われる盆踊り大会やゲートボール大会、カラオケ大会や文化祭などには地域の人たちも多く参加しています。一方で2003年(平成15年)には、南小国町のホテルで恵楓園からの団体客が宿泊拒否される事件が起きました。恵楓園側が抗議する姿が報道されると、自治会には誹謗中傷の手紙や電話が数多く寄せられました。

今、日本ではハンセン病者の発生は年間数名で、ほぼ根絶されたと言えます。しかし、かつて病気であったことを素直に話せない人も、まだいます。病気だけでなく差別と偏見が根絶されるまで、恵楓園の役割は終わりません。

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