

今日は、前回の絵日記でふれたもうひとつのエピソードについて書こうと思う。
文章にするのは、ちょっと気恥ずかしい思いもするけれど、子育てについて考えさせられた、<MCMS_KKT_NOBUKO>にとっては大切な思い出だ。
多分、かなり真面目な文章になる。そして、きっと長くなる。ごめんなさい。
もう、随分前のことだ。
その頃私は、夕刊配達をしていた。
当時私が担当していた区域には、新興住宅が建ち並び、よく手入れされたあちらこちらの花壇には、美しい花々が競うように咲き誇っていた。
「きれいですねぇ!」
「ほんとにきれいですねぇ!」
自転車を止めて花を眺めながら、同じように足を止める人たちと、そんな言葉を交わすこともしばしばだった。
住宅街を抜けて、田んぼの横をしばらく走り、細い砂利道に出て、それから舗装されていないデコボコの道を進んでいく。橋とも呼べないような小さな古い橋に差し掛かったところで、ポケットに入れていた鍵を落としてしまった。
私は自転車を留めて、橋の下に降りていった。
「あった、あった」
どぶ川のような細い川の横に手を伸ばして、鍵を拾う。
ふと目をやると、橋の下に、小さな愛らしい花が咲いていた。
「あら、かわいい。・・でも、こんなとこに咲いてても、誰にも見えないね」
しゃがんで、花に声をかけながら、周りを見ると、湿った土手の下の方にも、可憐な花が咲いている。道行く人の目にはふれることもない場所だ。
こんなにきれいに咲いてるのにね。
誰にも見てもらえないで、きれいね、と声をかけられることもないまま枯れていくんだ・・・
さっき見た花壇の花たちとはなんて大きな違いだろう。
なんか、可哀想だな・・・
そんなことを思いながら、自転車に乗り、私は再びペダルをこいだ。
気をつけて見てみれば、路肩の下や、ごみ置き場の周りにも、小さな花が咲いている。
だけど・・
そんな所で咲いてても、誰にも気づいてもらえないよ・・
せっかく咲いてるのに、なんか、可哀想だな・・・
切ないような気持ちのままで自転車をこぎながら、ふと、考えた。
でも、・・・そうかな?
ほんとにそうかな?
ほんとに誰も気づいてないのかな?
・・・・・
・・・・・
もしかしたら、蝶々は、「きれいに咲いたね!」と言いながら、花の周りをヒラヒラ飛んでいるのかもしれない。てんとう虫は、「いい色だねぇ」と言いながら、花びらの上に登っているのかもしれない。もしかしたら、風は、「素敵な香りだよ」と言いながら、花の横を通り過ぎているのかもしれない。
もしかしたら、ただ、人間が気づいていないという、たったそれだけのことなのかもしれない。
・・・・・
そうだ。
きっとそうだ。
だって、光には、太陽には見えているはずだもの。
汚い古い橋の下で、こんなに可憐に咲いている小さな花たちの姿が。
・・・・・
お母さんという仕事は、周りから評価してもらうこと、頑張りを認めてもらうことが少ない。
でも、かわいいてんとう虫や、青虫や、蝶々や、はちや、ミミズや、だんご虫や、鳥や、雲や、風たちが、ちゃあんと見ていてくれるはず。
そして何より、太陽が、きっと見ていてくれるはず。
思いをはせているうちに、頭の中にひとつの言葉が浮かんできた。
『置かれた場所で咲きなさい』
教会の友人からずっと前に教えてもらった言葉だ。
「花には足がないから、自分の好きなところへは行けないけれど、神様が置かれた場所で、一生懸命咲いている。 咲くことが花の使命。だから、花は、置かれた場所で、一生懸命咲くんだよ」
橋の下のあの小さな花は、自分の置かれた場所で一生懸命に咲いて、自分に託された持ち場を、きれいにしていたんだ・・・
薄暗い橋の下は、花の咲いた周りだけ、ぱっと明るくなっていたもの。
頭の中に、もう一つの言葉が浮かんできた。
『神様は、
人に喜びを与えるため、
人に慰めを与えるため、
世界を美しくするために、
この世に花を創造されました。
そして、
神様がつくられたこの世で最も美しい花は、
女性です』
この言葉が本当に大好きで、長女には 麗花という名前をつけたのだ。
咲かなくちゃ。
私も咲かなくちゃ。
私が置かれた、岸家族という家庭の中で、
一生懸命咲かなくちゃ。
遠くで見ている太陽に、「頑張って咲いてるね」と、目を細めて言ってもらえるように。
私はビュンビュン自転車を飛ばし、ビュンビュン涙をとばしながら、心の底からそう 思った。
十数年前の、ある春の日の出来事だ **(^−^)**
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