日替わりコラム

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『昨日の夕飯は何を食べたっけ?と、“食べた内容”を思い出せないのが、加齢による物忘れ。昨日は夕飯を食べただろうか?と、“食べたこと自体”を忘れてしまうのが認知症』
と、訓練校で学んだのだけれど、先日そういう光景を実際に見る機会があった。
昼食を全部食べ終えたばかりの利用者さんが、「まだ何も食べていない」と言いだされたのだ。
ついさっき食べられたのに、“食べたこと自体”が記憶からスッポリ消えている。
すると、職員の方は、「そうですか、じゃ、すぐに何か持ってきますね、」と、笑顔でゼリーを少し持ってこられた。「お待たせしましたね。はい、どうぞ」。
すると、利用者さんは、すぐにゼリーを食べ始められた。

たった今食べたことをすっかり忘れて、「食べていない」と訴える認知症の方。でも、食べていないことが、その人にとっての“現実”なのだ。
それは“認知症という病気”が引き起こしている現象。その人が悪いんじゃない。
“その人の現実”に合わせる、って、なるほど、こういうことなんだなぁ、と、ゼリーを食べる利用者さんを見ながら実感した。

認知症の特徴のひとつとして、“時間の認識がなくなる”ということがある。
今がどんな時代で、今日が何日で、自分が何歳で、今自分がどういう状況・環境にいるのか、などが分からなくなっていくのだ。
ある人は、自分を働き盛りの40代と思いこみ、ある人は新婚時代、ある人は学生時代…。
そうやって、その人が“頭の中で過ごしている時代”はその人にとって紛れもない“現実”で、誰かがそれを「違う」と否定しても、いくら「そうじゃないの!本当はね、」と正しても、わからせようとしても、それは無理なのだ。いや、逆効果。だって、それがその人の「現実の世界」なのだから。
否定すればするほど、その人に、怒りや、混乱や、恐れや、悲しさや、いら立ちや、悪い感情ばかりを引き起こしてしまう。


さらに、認知症の人が頭の中で過ごす時代は、いつも同じではない、ということも、学んで知った。
ある時は子育て真っ最中の時代に飛び、別の日には女学生時代に飛ぶ。そして、飛んだ先の時代を「現実」として、そこで生きている。


そういえば、十数年前、亡くなる前の<MCMS_KKT_NOBUKO2>の父にもそういう状態があった。
お見舞いに訪れた病室で、父が心配そうに言ったのだ。
「信子ちゃん、<MCMS_KKT_HIDETOMO>はまだ眠っとるとかい?」
突然のことに、とっさに、「うん」と答えたら、「置いてきてよかとかい?大丈夫かい?」と心配する。小学生の英智を、まだ生まれたばかりの赤ん坊と思っているようだった。

別の日、父が今度は「信子ちゃん、今日はもう学校は終わったとかい?」と尋ねてきた。
「うん!」と答えると、「テストは終わったかい?」と言うので、また「うん!」と答えた。
今思えば、あの時父は、わたしを高校生だと思っていたんだなぁ…。


その人にとってそれが「現実」であるのなら、周りは、その「現実」を受け入れて、同じ時代に飛んで行くしか方法はない。
そうすれば、穏やかな時間を共有できるかもしれない。



「はい、おこずかい」と言いながら、あの日父が笑顔で手渡してくれた500円玉を、わたしは忘れない。

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