日替わりコラム

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 今日、“ハリーポッターと不死鳥の騎士団”を観て来た。
 シリーズ最高傑作!との評判通りの面白さ!!
 映画の続きが知りたくてたまらなくなった<MCMS_KKT_NOBUKO>は、一緒に行った<MCMS_KKT_REIKA>と<MCMS_KKT_IBUKI>に聞いてみた。「ねぇ、ねぇ、この後どうなるの?」
 本好きの二人はとっくに原作を読んで知っているからだ。
ところが二人は、口を揃えてこう言った。「知らない方がいいよ!」
 ええ〜っ、そんな〜っ……
 私は続きを教えるように何度も頼んだ。でも二人は決して応じようとはしない。
「ねぇ、教えてよぅ!」
「先に結末を聞いたらつまんないでしょ?」
「いいから教えてよぉ!」
「だって、初めから結果がわかってたらおもしろくないじゃない」
「いいってば!教えてよ!」
「知らない方が信ちゃんのためだって!」
「もうっ!麗花ちゃんといっくんの意地悪!ケチ!薄情者!」

 私は、半ば本気で腹をたてていた。
 教えてもらえないことへの腹立たしさ、というよりは、「信ちゃんのためだ」と言って譲らない二人に対して、“私の人生なのに、なんであなたたちが勝手に決めるのよ!”という気持ちになったからだ。

 結果が先にわかっていてもかまわない、と私が言っているんだもの。黙って教えてくれればいいじゃない。なんであなたたちが私の人生を決めるのよ。私の人生なのに、どうして私の好きにできないの?・・・なぁんて、大袈裟なことを考えているうちに、ハッとした。・・・子どもたちも、こんな気持ちを感じることがあるのかもしれないな、と。
「あなたたちのため」という言葉で、いろんなことを制限されたり、押し付けられたりしているように感じることもあるのかもしれないな・・・

自分で考え、選んで、決めて、その選びの結果を自分で引き受ける、という経験は、とても大切なことだと私は考えている。
時には間違った選択をしてしまうかもしれないけれど、失敗しながら、だんだん選ぶのが上手になっていくのだと思う。
 自分で考え、選び、決めることで、達成感や満足感を得ることができるし、自分の人生を、自分のものと実感することができる。だから、子どもたちにもその経験をさせたいと、ずっと願ってきた。

 上の子たちがまだ小さかった頃のことだ。
 自分で選ばせる、といっても、なにもかも子どもの自由にさせてしまうと、問題が生じる。
 例えば、お出かけの時、「好きな服を自分で選んでいいよ」と言っておきながら、子どもが突拍子もない服を選んでしまったからといって、「あら、そんな服はダメダメ!」と着せ替えるのでは、子どもがせっかく自分で選んだ意味がない。
 だから、そういう時は、これならOKという服を、あらかじめ何枚か用意しておいて、「さぁ、この中で一番好きなのを選んでいいよ!」と言えば、子どもは嬉々として服を選ぶし、その選びに対して、「うん、それいいね!」と、言ってあげることができる。
 初めのうちは、そうやって、制限のある中から選ばせて、子どもが選んだものを尊重するように心がけていた。

 奇しくも、今日観たハリーポッターの中で、校長先生がハリーにこんなことを言っていたっけ。
「人間には、善と悪、両方の心がある。大切なのは、どちらを選んで生きるかだ」

 子どもたちを、良いものを選ぶことの出来る人間に育てていけたらいいなぁ、と、心から思う。
 そのためには、私が、良いものを選べる人間にならないとね。

 さて、今の私の選択肢はふたつ。
 一つ目! どうしても映画の続きを知りたいので、また娘たちにしつこく頼んで、結末を教えてもらう!
二つ目! 私のために教えない、という子どもたちのやさしい心を汲んで、続きを聞くのを我慢する。

 う〜ん・・・・・う〜〜ん・・・・


 しゃあない! ここは、三つ目の選択肢!
自分で原作を読むっきゃなーい!

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