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  今回は先週の絵日記のつづき。
  人世を楽しく過ごす方法について熱意を込めて語ってみようと思う。(ちょっと長くなるけどごめんなさい!)

  処世訓となる言葉は私たちの周りにあふれている。でも、ひとつの方法が万人に合うとは言えないようだ。
  「120パーセントを常にめざして全力を尽くしなさい」という言葉もあれば、「100パーセントを求めないで、いつも80パーセントでよしとすべきだ」という言葉もある。
  「自分に厳しく」と諭す言葉もあれば、「弱音を吐いて」と諭す言葉もある。
  「競え」と勧める言葉もあれば、「競うな」と勧める言葉もある。
  ある人の成功手段が他の人にもそのまま当てはまるとは限らない。
  結局は、たくさんの言葉や方法の中で、自分の心にスッと入ってきたもの、心に一番響いたものが、きっとその人にとっての一番なのだろう。
  私の場合は、というと、心に響いた最初の言葉は、小学5年生のときに読んだ1冊の本「少女パレアナ」だと思っている。これは、私が、自分がどんな人になりたいか、どんな人生を送りたいのかを考えるきっかけとなった本だ。 主人公のパレアナは、“どんな状況の中でも、どんな環境にあっても、その中から喜びや幸せ必ず見つけられる”ということを、小学生だった私に力強く教えてくれた。
  パレアナの真似をしてその時に始めた“よかった探し”は、その後私が中学生、高校生になっても、いつも私の思いの中心にあった。
  “幸せは自分次第、自分の心が決めるもの”という当時の私の思いに新しい考えが加わったのは、高校を卒業してすぐに教会を知ってからのことだ。
  聖典を通して“悪いことをしながら幸福を求めても幸福は得られない”と学んだ時、私は、そうだ、その通りだと心から感じた。悪い思いや悪い言葉、悪い行いは、自分も人も不幸にしてしまう。幸福になりたいなら、なりたいと思うだけでなく、自分の中から悪いものを取り除く努力が必要なんだ・・・。
  私はバプテスマ(洗礼)を受け、教会の一員となった。30年以上前のことだ。
  以来、教会で学んだことは数え切れないけれど、中でも特に私が影響を受けたのは“神様の思いと人の思いは異なる”とイザヤ書の中の教えだった。
  私たちが精一杯考えて、これが一番!これ以上のことはない!と思った方法や状況よりも遥かに良いことを神様は用意しておられることがある。人間の知恵は神様の知恵に遠く及ばないのだ。――このことを知ってから、私の考え方は随分変わった。
  全知全能の神様にできないことなんて何もない。そして神様は、私(たち)を心から愛し、私たちの幸福を願っておられる。そう心に強く確信していると、自分の願いに反して辛いことが起こったとしてもこんなふうに考えることができる。
  “神様にはできないことは何もない。だから、この辛いことが起こらないようにすることなんて、簡単なはずだ。でも神様はそうはされなかった。ということは、つまり、このことには何か意味が、神様の知恵があるに違いない。そうだ、これはきっと、私に必要なことなのよ!”

  3月16日付の日記「おだやかな笑顔でいるために」の中に書いたスルツカヤ選手のように、「そう、これが私の人生」と、すべてを受け入れる生き方は、クリスチャンであるなしに関わらず、人を平安な気持にしてくれるようだ。・・・こんな風に、どんな経験も自分に必要なものとして受け入れること。それに加えて、毎日の生活の中で“よかった探し”をすること。――それが私の“人世を楽しくする方法”と言えると思う。

  ちなみに私がやってきた“よかった探し”のやり方はこうだ。
  困ったことが起こったら、口に出してまず「よかった」と言ってしまう。言った後でその理由を考える。こじつけでも何でも構わない。
  例えば、朝から自転車がパンクしていたら、「よかった今日はふうちゃんと久しぶりに歩いて幼稚園に行ける
  例えば車をぶつけてしまったら、「よかった大きな事故にならなくて。今度はもっと気をつけられる」・・・という感じ。
  「よかった」という言葉は、そのときに応じて、「うれしい」でも「ラッキー」でも、「チャンス」でも、「ありがとう」でも構わない。
  要は、とにかく、ガッカリする前に「よかった」といってしまうのがコツ。
  言ったもの勝ちなのだ。
  「よかった」と言ってしまえば、その理由がこじつけだろうが、無理矢理だろうが、思い込みだろうが、不思議なことに、困ったことが本当に良かったことに変わっていく。
  よかったと何でも喜んでいると、うれしいことがうれしいことを呼ぶように、楽しいことがいっぱいやってくる。幸せだなあと心から思っていると、幸せがもっと増えていく・・・と、これが私の幸せのレシピ。

  お気に召したら、お試しあれ