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 明るいですね。
 元気ですね!
 ストレスないでしょう?
 人生楽しんでますね。
 プラス思考ですね。
 いきいきしてますね。
 ほんとにいつも幸福そう!

・・・と、よく言われる。
 そして、続けて尋ねられる。
 「どうしてそうできるんですか?」

 そこでは考える。
 どうしてそうできるんだろう?

 私が自分を幸福だと感じるようになったのは、いったいいつからなのだろう?
 自分を不幸だと思ったことはあまりないけれど、はっきりと幸福だなぁと自覚すようになったのは、小学生の頃からだ。

 きっかけは、当時読んださまざまな本の数々。
 とにかく本が好きだった。
 ページをめくるたびに出会う魅力的な登場人物―――やさしい人、おもしろい人、勇敢な人、温かい人、気高い人、強い人、清らかな人・・・。
 物語の中の彼らの言葉や行ないから、たくさんの影響を受けた。そして、子どもながらに、人世の一部を学んだのではないかと思う。
 そんな中でも、特に影響を受けた本の一つに、「少女パレアナ」がある。
 いつでも、どこにいても、そして、自分の身にどんなことが起こっても、あるがままを全部受け入れ、その中から喜びや満足、楽しみや幸福を見出していく主人公のパレアナは私のあこがれだった。
 パレアナのまねをして、当時始めた「喜びの遊び――よかった探し」を通して、"意識して探すことで幸福はどこにでも見つけられるんだ"と感じたのを、今でも覚えている。
 その頃始めた「よかった探し」はその後もずっと―――中学生、高校生、社会人、そして結婚し、出産してからも――――今に至るまで、私の支えになっている。
 人生にはいろんなことがあるけれど、何が起こっても、いったんありのままを受け入れて、"この経験もきっと私に必要だったんだ"と思ってしまえば、案外楽になる。そして、いったん受け入れてしまったら、その中から喜びや幸福を見つけるのだ。
 これが私の幸福探しの一つのコツかもしれない。

 それともうひとつ。
 これは、子どもが増えていくにつれて、ますます必要を感じたのだが、「でけたしこたい!」と思うこと。
 「でけたしこたい」というのは、熊本弁で「出来た分でいい」というような意味。亡くなった祖母が良く使っていた言葉だ。
 子どもが小さい頃は特に、あれもこれも、それも・・・と、することは山のようにあるのに、どれも中途半端にしかできなくて、イライラしたり落ち込んだりするけれど、そういう時に、この言葉が役に立つ。「でけたしこたい!」
 今日はこれだけだ!と開き直る。
 あとはもう無理!とあきらめる。
 ・・・これって、大切なことだと思う。だって、無理なものは無理。できないものはできないんだもの。
 その環境、その状況の中で、その時自分にできる精一杯のことをやったんだったら、それでよし!それで充分!出来なかった分のことは、くよくよ考えないであきらめる。亡くなった祖母は、私が学生の頃、試験前に夜遅くまで勉強していると、良くこの言葉で励ましてくれた。
 「信ちゃん!でけたしこたい!」
 今思えば、この言葉は、"よく頑張ったね、出来なかった分のことは気にしなくていいよ"というねぎらいの言葉でもあったんだなあと感じる。

 一人一人、、おかれている環境も状況も違うんだもの。人と同じことは出来ない。
 その人がその人なりに、そのときに出来ることを頑張ったなら、出来た分で充分だと思う。
 「でけたしこたい!」と胸を張って頑張った自分をほめればいい。

 かく言う私、今日は洗濯もしてないし、台所も片付いておりません・・・。
 しかし、「でけたしこたい!」
 頑張ったことがほかにいっぱいあるから、
 それでよし!といたしましょう(笑)