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 年を取る、ということに今とても関心がある。「中年の真実」の中にも書いたが、自分の肉体が自分の意志に関係なく着実に"老い"に向かって変化していくのを感じる時、それに戸惑うこともあるからだ。関心があるからこそ、本であれ、新聞や雑誌の投稿欄であれ、コラムや対談の記事であれ、年配の方たちの文章に自然に目がとまる。私の先を生きている人たちの言葉の中に、私の求めている答が見つかることは少なくない。最近読んだものの中にもそれがあった。ある80代の女性はこんなふうに書いておられた。

 朝、目が覚めた瞬間、よく見える時と、ぼんやりかすんで見えない時がある。
ベッドに腰かけたままゆっくりと部屋を見渡してみる。よく見えた日は、"あぁ、うれしい!"と心から思う。"目が見えるってすばらしい!"と心から実感する。
年を取らなければ"見えること"に感謝することも知らなかっただろう。
体が不自由にならなければ、忍耐することも、謙遜になることも、知らないままだっただろう。

こんな文章を記した高齢の男性もいらした。

 肉体は着ぐるみのようなものにすぎず、その中にいるのが本物の自分のような気がする。子どもの体、青年の体、老人の体の中で、一人の自分が生きている。

 「人生の目的」をふと思う。
 生きている目的って何だろう?人によって様々な答があるだろうけれど、"高い人格を築く""より良い自分になる"ということもその一つだと思う。
 前にも書いたが、私はクリスチャンだ。神様の存在を心から信じている。全知全能の神が私たち一人一人を本当に愛して下さっているのだと、心から信じている。
 神様にできないことがないのなら、人を、はじめから、"老いることのない存在"として作ることもできたはずだ。それなのに、そうはなさらなかった。
 人は弱い。
 病気もし、疲れもし、けがもし、やがては老いていく。・・・
 でも、それはきっと、理由があるからに違いない。弱い肉体だからこそ学べることがあるのだと思う。より良い自分になるためには、病気も、けがも、そして老いも、なくてはならないものなのだろう。
 すべてのことを理解できるわけではもちろんないけれど、"このことには、きっと何か理由があるんだ"と深く考える時、パッと光が見えてくる。
 "老いもまた、人生に必要なものなんだ"・・・
・・・そんなあたたかい光を、私は心に感じている。